満洲・満鉄紀行⑬:国境の街・丹東と北朝鮮を結ぶ二本の橋

アジア

満洲…
日本人にとっては、純粋に地理的な意味での「中国東北部」にはない、浪漫や憧憬、そして後ろめたさが交錯する不思議な力がこの言葉にはある。
そんな「日本の新大陸」を象徴する存在が、南満洲鉄道(満鉄)である。
単なる鉄道会社にとどまらず、植民地経営全般を幅広く手掛けていた。

現在でも線路・設備や建物など、その遺産は至る所に残っている。

満洲・満鉄紀行(序):鉄道が繋ぐ近代と現代のグラデーション
満洲…日本人にとっては、純粋に地理的な意味での「中国東北部」にはない、浪漫や憧憬、そして後ろめたさが交錯する不思議な力がこの言葉にはある。その広大な大地は豊かな資源を有する「日本の新大陸」であり、ヨーロッパへの入り口でもあった。そして193…

鉄道と近代史が共鳴し合う強烈な光(とその影)に引き寄せられた私は、2026年9月上旬に満洲を実質7日間旅行した。
本記事は第13回。
国境の街・丹東より対岸の北朝鮮の様子を垣間見た。

⚠️注意
自然な文章にするため、実際の旅行における時系列は一部前後させています。
また当サイトでは、「戦前の日本及び現代の中国・ロシア・北朝鮮=悪」といった西側諸国特製の世界観は採用しません。
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中朝国境の橋を渡る国際列車を待つ

日曜日の15時半、瀋陽からの高速列車で丹東駅に到着した。
駅前広場には、右手を穏やかに差し出す巨大な毛沢東像がそびえている。

中朝国境の橋の袂にあるホテルまでタクシーで向かい、荷物だけ預けて川沿いの遊歩道へ行く。
国境に架かる橋は2本あり、うち1本の北朝鮮側は失われている。
現役の橋は「中朝友誼橋」、もう一つの古い方が「鴨緑江断橋」だ。
いずれも戦前・戦時中に日本が造った鉄道橋であった。
鴨緑江断橋の方は朝鮮戦争でアメリカ軍により破壊され、それが現在では観光地になっている。

左:中朝友誼橋
右:鴨緑江断橋

時刻は16時15分。
間に合った。
予定通りなら、もうすぐ平壌発北京行き列車が中朝友誼橋を渡るはずだ。
中朝間の国際列車は2020年にコロナウイルスの影響で長らく運休していたが、2026年3月に運転を再開している。
また、キム総書記を乗せた専用列車がこの橋を渡って訪中するシーンは、国際ニュースでも度々報じられる。

といっても本当に列車が来るかどうかは正直心配だった。
なにせ、インフラやエネルギー事情が劣悪な北朝鮮の鉄道の信頼性にはあまり期待できない。
しかし、対岸の新義州駅で国境検査のため長時間停車するため、生じた遅れもそこで吸収できると私は密かに期待していた。

果たして16時19分、対岸の方で橋の上を何かが動いているのが見えた。
初めは私も疑心暗鬼だったが、やがて青と白のディーゼル機関車と白・青・赤の客車6両がはっきりと見えた。
本当に未知の世界、北朝鮮からの列車がやって来たのだ。
どんな人々が乗っているのだろうか?
どんな車内設備なのだろうか?
そんな想像を巡らせる間にも、列車はゆっくり踏みしめるように国境を越え、丹東の市街へ悠然と消えていった。

翌日午前の平壌行き
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市内を歩く

無事に列車を見送ることができたので、丹東の街を散策する。
まず目についたのが、北朝鮮の商品を売る土産物屋の多さだった。
どこも店先にチマチョゴリ(らしき服)を並べている。
棚にはハングル文字が書かれた酒やお菓子がたくさんある。
だが、よく見ると韓国の商品も混じっていた。
私は北朝鮮産のビールとドングリ焼酎を購入した。

筆者が感激した北朝鮮産ドングリ焼酎

路地ではこの地方特産の高麗人参やキノコなどが売られていた。
中国の「辺境」らしい、土臭い光景である。
街角には北朝鮮関連のツアーを取り扱う旅行会社も目立つ。
もっとも、現在はまだ一般人が自由に北朝鮮に入国できる状況にはなく、船で鴨緑江から同国を覗くものばかりのようだった。
入口には見所を写真で紹介するポスターが掲げられ、そのなかには「朝鮮女兵」なるものまであった。

通りを歩いていると、一般車や歩行者の交通量と比べて妙に大型トラックが多いことに気付いた。
その先には税関がある。
どうやら北朝鮮へ商品を輸出するトラックのようだ。

川沿いに戻ってみると、先ほど列車が通った中朝友誼橋の上で車両が渋滞していた。
単線の線路に並列して片側一車線の道路があるのみなので、交通量・通行可能時間は限られるのだろう。
ちなみに、翌朝見た時には中国行きのトラックが橋を埋め尽くしていた。
これらの光景だけで中朝貿易について語ることはできないが、実態に対してインフラが貧弱な現状が窺い知れた。

北朝鮮からのトラックが列をなす

(追記)
私が丹東を訪れた翌10月、中朝友誼橋より下流20㎞の地点に「新鴨緑江大橋」が開通した。
これを機に両国の貿易拡大が期待されている。

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遊覧船から北朝鮮を覗く

さて、国境都市の日常の雰囲気を観察したところで、鴨緑江の遊覧船に乗って対岸の北朝鮮を覗きに行こう。
このアクティビティは丹東観光のハイライトとなっている。
遊覧船乗り場は2か所あって、それぞれ周遊するコースが異なる。
私が乗った②番のコースは橋の下を通るので、たぶんこちらの方が面白いのではないかと思う。

いよいよ出航だ。
まだ知らぬ世界への冒険に心が高ぶる。
しかし自動音声案内のBGMで流れてきたのは、久石譲のお馴染みのピアノ曲「summer」だった。
拍子抜けである。

中国(左)と北朝鮮(右)が対峙する

それはさておき、船はまず橋に背を向けて進み、北朝鮮側の新しいマンションが建つ区画に近づいた。
岸まで僅か20mほどだった。
しかし、マンション(と思われる建造物)には人が住んでいる気配が全くなく、1階の商店も営業しているのかどうか怪しい。
それどころか全く人を見かけないのだ。

しばらくすると、乗船客の一人が叫びながら対岸を指さした。
確かに兵士と思われる人間が2人歩いていた。
お目当ての鳥を見つけたバードウォッチング集団さながら、一行はその兵士たちにカメラを向けた。
兵士しかいないということは、近くの住民には船から見られる場所への出入りを禁止しているのだろうか?
あるいはマンション自体が張りぼてなのか?
それでいて川沿いの遊歩道には、いかにも高校生カップルが並んで座りそうなベンチが設けられていて、何が何だか分からない。

船はUターンして橋の下をくぐり抜ける。
現役の中朝友誼橋も老朽化していて、ロープのようなものが幾つも垂れ下がっている。
遠くからは立派に見える橋も、下から見ると廃線の橋梁跡のようだった。

ツアーは約50分間で終了。
結局、北朝鮮について何も分からなかった。
しかし「分からなかったことが分かった」だけでも貴重な体験だった。

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鴨緑江断橋を歩く

もう一つの丹東の観光名所が鴨緑江断橋で、今では橋の上を歩くことができる。
前述したように、この橋は1911年に日本が造った鉄道橋で、その完成により朝鮮と満洲の鉄路が接続され、日本から満洲そしてヨーロッパへのルートが確立された。
そして戦時下の輸送が活発化する1943年に建設された二本目(複線化)の橋が、現役の中朝友誼橋である。

廃線跡となった橋の上を歩くのは楽しいものである。
自分が往年の列車の乗客になった気分を味わうことができるからだ。

橋が途切れている所まで行くと、その先には橋脚だけが並んでいる。
今年の7月、韓国側の軍事境界線近くの臨津閣イムジンガクで見たのと同じ光景だ。
その時は「日韓擬似国際列車の旅」と称して、東京を新幹線で発って、関釜フェリーと京釜高速線、京義線を乗り継いだものだった。
いつの日か、「日韓擬似国際列車の旅」と「満洲・満鉄紀行」の空白を埋めたいと強く思う。

辺りは薄暗くなり、橋にも明かりが灯り始めた。
私の感傷をかき消すように、中国国旗を掲げながら軍歌のような曲を歌って行進する集団が現れた。
その姿は周囲の観光地の雰囲気とはあまりに異質な光景だった。
日本人からすれば、この橋はノスタルジックな戦前の鉄道遺産である。
しかし中国人の視点に立てば、日本が建設してアメリカに破壊された建造物は、帝国主義への抵抗と社会主義国の連帯の象徴なのだろう。

橋の入り口近くにあるレリーフ。
朝鮮戦争で物資輸送に活躍したため、この橋は爆破された。

以上、駆け足であったが、北朝鮮へのフロンティア・丹東市の見所を周ることができた。
中国にとって北朝鮮とは古くからの旧友みたいなものなのだろうか。
改革開放政策以来、経済成長を目標にあくせく働いてきた中国社会に対して、北朝鮮は未だに学生気分のまま青臭い主体思想に拘っている。
会社帰りに場末の酒場に誘いたくなるような、貧しかったが懐かしい日々を思い出させてくれる相手。
そんな両国の縁を取り持ってきたのが中朝友誼橋なのかもしれない。






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