ルーマニアでは国鉄以外にも多数の私鉄が運行されている。
そのうち、最も料金が安くて人気があるのがSoftrans(ソフトランス)である。
といっても「安かろう悪かろう」では決してなく、近代的で快適な電車を運行している会社だ。
2026年4月下旬、ブラショフからシナイアまでソフトランスを利用した。
本記事では実用的な内容にいくつか触れた後、実際の乗車記を綴っていく。
ルーマニアの国産車両、Hyperion(ハイペリオン)
機関車が客車を牽く伝統的なスタイルの列車が多いルーマニアにあって、ソフトランスではHyperion(ハイペリオン)という新型の電車を運転している。
これはグループ会社の国内車両メーカーが自主開発・生産した車両だ。
スマートな流線型に垂れ目というユニークな外観で、最高速度は160km/h。
「ルーマニア=遅れた農業国」というイメージを覆すほどの実力を持つ。
「ルーマニアの国民車」が国産メーカーである「Dacia」(ダチア・ルーマニアの昔の地名)の自動車なら、ソフトランスのハイペリオンは「ルーマニアの国民電車」となろう。

設備は全て2等車。
車内にはデッキが無いので近距離用車両に近い構造ではあるが、座席はゆったりしている。
また窓側には充電用コンセントがあるので、ブカレスト~ブラショフ間の2時間半程度なら特に問題はないだろう。
また車内にコーヒーの自動販売機がある。
ルーマニアで車内販売がある列車は少ないので、これもなかなか気の利いたサービスだと言える。

料金は競合他社の半額程度と格安
ソフトランスの魅力は何と言ってもその安さにある。
日本人旅行者でも利用する機会の多いブカレスト~ブラショフ間を例にとると、国鉄の急行や私鉄の「アストラ・トランス・カルパチック」が75RONなのに対して、ソフトランスはわずか40RON程度だ。
「肉屋直営の格安ステーキ店」ならぬ「車両メーカー直営の格安鉄道会社」といったところだろうか。
格安だからといって、所要時間が競合他社より長いとか、発着する駅が不便な所にあるといったことも全くない。
ただし注意したいのは、チケットは駅の窓口では買うことができず、オンラインか車内での購入に限られるという点だ。
これはソフトランスに限らず、私鉄会社全てに当てはまる。
オンライン購入はソフトランスの公式サイトからできる。
残念ながら英語ページがないので、少し不便だが日本語翻訳を使いながらするしかない。
なお、オンラインチケットには号車と座席番号が一応指定されているが、ルーマニアでは誰も気にせずに適当な空席を見つけて座っている。
乗車記
今日はブラショフを起点にシナイアへ日帰りする。
行きと帰りでルーマニア鉄道の2大私鉄、ソフトランスとアストラ・トランス・カルパチックを乗り比べするのが一番の目的である。
とはいえ、せっかくシナイアに行くからには観光もしたい。
両方の私鉄に乗って、かつシナイアで十分な時間を確保するには、早朝5時25分発のソフトランスに乗る他ないことが分かった。
そんなわけで、私は朝4時過ぎに起きることになったのである。
一切れのパンだけかじってゲストハウスを出る。
こんな時間にタクシーが見つかるか心配だったが、Bolt(東欧で広く使われているタクシーアプリ)を使うと5分足らずで車が来て驚いた。
さすがに道は空いていて、駅に着いたのは20分以上前だった。
列車は既に入線していた。
周りにいるのがディーゼルカーや古い客車なので、流線型の電車はひときわスマートに見える。
「キーン」というモーター音を押し殺すように奏でながら、深紅の電車が真っ暗な駅に停車している。
しかし、そんな旅情ある光景も車両に描かれた落書きのせいで台無しだった。
初めて乗る列車を眺めながらホームを歩く厳粛な儀式も、治安の悪い通りを深夜にうろついているような気分になってしまう。

定刻5時25分、スルスルと加速しながらブラショフ駅を出発した。
電車らしい滑らかな走りだ。
早朝だけあって車内は空いている。
すぐに街灯りは消えて車窓は何も見えなくなった。
カーブが多いので山間部を走っていることは分かる。
やがて針葉樹のギザギザした影がおぼろげながら見えてきた。
だいぶ山奥にいることが感じられる。
次第に山の稜線まではっきりしてきた。
途中に停車した小さな町はまだ眠っている。
線路に寄り添う小川の流れは急で、その向きからして電車は下り勾配を走っているようだ。
そしてふと視線を上げると、目の前には峻険な雪山がそびえ立っていた。
三角屋根のペンションのような建物が多く、もうすっかり避暑リゾート地の雰囲気だ。

定刻の6時25分にシナイア駅に到着。
降りた途端に思わず声が出るほど、高原リゾートは肌を刺すほど寒かった。
これから訪れるペレシュ城を夏の離宮としていたルーマニアの王族がこの駅を利用したため、シナイアの駅舎もそれに相応しい重厚な風格を備えている。
落書きを纏った軽快な電車は自身の場違いを悟ったのか、その加速力を発揮してそそくさとシナイア駅を去っていった。

さて、「カルパチアの真珠」と称えられるシナイアの一番の見所は、ヨーロッパで最も美しい城とも言われるペレシュ城である。
しかし、そのペレシュ城の営業開始は9時15分。
それまでの3時間弱はやることがない。
駅の待合室でしばしホットコーヒーを飲んで体を温める。
我ながらこんな時間にシナイアに着いて阿保らしいなと感じざるを得ない。
扉を開け閉めする音が、バタンバタンと高い天井に響き渡っていた。

とりあえず周辺を歩いてみよう。
白い息を吐き出しながら駅前の階段を登ると、山峡に抱かれたシナイア駅構内が眼下に見えた。
通過していく特急列車の汽笛が山々にこだまする。
朝日がだんだん高くに上って、千切れ雲をオレンジ色に染め始めた。
時々散歩をする地元の人に会ったが、ホテルにもレストランにも商店にも人の姿はなかった。
それにしても、楽器の弦のように冷たく張り詰めた空気に、焚き木の香り、鳥のさえずりと小川のせせらぎ。
観光客が来る前のシナイアの静けさは、なんと清々しいことだろう。

「こんな時間にシナイアに来て阿保らしい」という当初の感想は間違っていたようだ。

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