続・山陽本線乗り歩きの旅③:4度目の正直、宮島を2時間半で観光する

旅行記

2025年3月に「青春18きっぷで山陽本線乗り歩きの旅」と題して、岡山駅を起点に途中下車しながら山陽本線の普通列車を乗り継いで西へ向かった。
予定では本州の西の端、下関駅まで行く予定だったが、事情により山口市で引き返さなければならなくなり、それ以来やり残した宿題にとりかかる機会をうかがっていた。
そして6月中旬にそのリベンジを果たすこととなる。
せっかくなので前回訪れなかった都市にも寄りながら2日間かけて、改めて「続・山陽本線乗り歩きの旅」を終わらせようと思う。

本記事は1日目・第3回。
宮島を約2時間半で観光した。

スポンサーリンク

まずは桟橋付近を観光

宮島に来るのは実はこれが4回目である。
1回目は小学6年生の修学旅行で、広島まで0系「ウェストひかり」に乗ったのが一番の思い出である。
友人たちからのトランプの誘いを再三断っていた。

2回目はその翌年の正月だった。
いつの間にか廃止されてしまった「元日・JR西日本乗り放題きっぷ」で、0系から当時最新型の「ひかりレールスター」に至る山陽新幹線全車種に乗った時、僅かな合間を使って厳島神社に参拝した。

3回目は大学の卒業旅行。
博多に集合して、福岡・兵庫・名古屋と参加メンバーの実家に泊まりながら青春18きっぷで東京に戻った。

とまあこれまでの旅行について書き出したが、読者もお分かりの通り、私は宮島をまともに観光したことはないのである。
桟橋に降り立った時、ここに初めて来たような気がしたのも無理はない。

宮島に来るとまずは鹿が迎えてくれる。
暑いのはお互いさまで、木陰で休んでいるものが多い。
そういえば3回目の卒業旅行では、他の連中がトイレに行っている間に私が観光案内所で地図をもらってきて旅行通の面目躍如だったが、その地図は1分後に鹿に破られてしまった。

フェリー乗り場の近くに平清盛像があった。
彼こそが厳島神社を現在の寝殿造りの社殿に改修し、宮島の発展に貢献した人物である。
そんな清盛の像がの存在を4回目にして初めて知るとは我ながら恥ずかしい。

さて、ほとんどの観光客はフェリーを降りたら商店街を通って厳島神社に行くのだが、その前にフェリーを降りて正面の丘にある宮尾城跡(要害山)を訪れる。
ここは毛利元就が陶氏との戦いで築いた城で、数で劣る毛利氏が勝利する要因となった。
木々の間から海を見渡すことができ、聖地ではなく戦地としての宮島を思い出させる。

スポンサーリンク

厳島神社へ

それでは厳島神社へ向かおう。
商業主義の盛んな商店街は人が多くてごみごみしていたので、日差しを浴びながら海岸沿いの道を歩いて行く。
厳しそうな女性の先生が修学旅行の生徒を「○○さん、班での行動をお願いします。」と叱っている。
少年よ、そのストレスは今夜枕投げで発散し給え。

厳島神社の参拝入口に着いた。
外国人も大勢訪れる場所にもかかわらず、チケット売り場は小さな社だった。
もっと料金を徴収してもかまわないから、横にビジターセンターでも造って情報提供などを行えばよいのにと思う。

山を背負い、海上に現出した寝殿造りの社殿は平清盛による発想で、その後毛利元就が再建したとされる。
今は満潮に近い時刻なので、大鳥居は遥か沖合に見えた。

本殿でお参りを済ませ、その後ろの高舞台へ。
その左右には舞台に合わせて楽器を演奏する楽房がそれぞれある。
今でいう野外音楽ステージだ。

高舞台

高舞台や楽房の後ろには大鳥居を臨む火焼前ひたさきには、鳥居をバックに写真を撮ろうとする外国人観光客の長い列ができていた。
それにしても、なぜ彼らは皆が皆同じポーズで映りたがるのだろうか?
Xやインスタグラムには利用者の個性と創造力を奪う作用があるのか、さもなくばよほど厳格な写真投稿のガイドラインがあるのかと考えざるを得ない。
承認欲求とアルゴリズムの奴隷たちを傍目に厳島神社を後にした。

神社の出口からも引き続き海岸線に沿って歩くと、浜辺には清盛神社があった。
場所といい、その大きさといい、一体何に遠慮しているのかと思う神社である。
戦後になってから建立された神社のようだ。
わざわざ(といってもそれほど遠くはないが)ここまで来る人は少なく、辺りは静かな雰囲気だ。
1回目訪問した修学旅行の時に、友達や先生と夕方に水切りをしたのを思い出す。

清盛神社
スポンサーリンク

大願寺と大聖院

厳島神社の出口の近くにあるのが大願寺
この寺は厳島神社との関係も深く、幕末期には勝海舟と木戸孝允らの間で停戦交渉が行われたこともあるという。
大願寺から南へ坂を登っていくと、大聖院の質実剛健とした山門に迎えられる。
806年に弘法大師が開基した歴史の深い寺だ。
山を切り開いた境内はなかなか広く、ベビーカーを持って観光していた外国人などはまさに修行しているようだった。

これで宮島桟橋に戻ろう。
麓に降りて何気なく道を歩いていると、観光ルートとは違って街並みがしっとりと落ち着いていることに気付いた。
昔ながらの生活感のある雰囲気にホッとさせられる。
通りを吹き抜ける風も涼しい。

やがて混雑エリアの商店街と合流した。
そして雑踏の中に「宮島ビール」のスタンドを見つけると、自然と足が引き寄せられてしまった。
いくら商業主義や俗化を非難してみたところで、真夏日の観光後の地ビールとくれば敵わない。
味のタイプと色を考えながら3種類のビールを注文した。
自分の生命力が回復していくのが実感できる。

他の種類は列車やホテル用にも別途買い求めたので、もう思い残すことはなく帰りの船に乗り込んだ。
宮島での滞在時間は約2時間半だった。
「4度目の正直」と題したわりには短いと感じられようが、これでようやく「宮島を観光したことがある」と人に言えるくらいにはなったかと思う。

次回が1日目の最終回。
柳井駅で途中下車しながら投宿先の徳山駅を目指す。


コメント

タイトルとURLをコピーしました