ハンガリー・ブダペストにある社会主義時代の残像、メメント・パークに行く

海外旅行記

「ドナウの真珠」と讃えられるハンガリーの首都・ブダペスト。
くさり橋や王宮や国会議事堂は誰が見ても文句なしに美しい。
そんなブダペストの街中にあって、冷戦時代に存在していた共産主義思想を体現した彫像を集めて展示しているのが「メメント・パーク」である。

オーストリア=ハンガリー帝国時代の絵になる風景を心にとどめたら、今度は共産主義時代の異様なほど力強い息吹を感じに行くのはどうだろうか?
「負の遺産」という審判を受けた歴史の残骸は、これもやはり美しいものであった。

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巨大な彫像の数々

メメント・パークに行くには、Budapest-Kelenföld駅から出ている市内バスで10分ほど。
Memento Parkのバス停を降りるとすぐ近くに入り口が見えた。

レンガ造りの門の左右では、マルクス・エンゲルスとレーニンの像が待ち構えている。
「やはりこの3人か」と誰もが納得する、共産主義三銃士である。
昔の軍歌風の曲が流れる受付で、チケットと英語のガイドブックを購入する。
このガイドブックは展示品の解説だけでなく、時代背景についての言及や写真も豊富なので、お土産兼図録として是非購入しよう。
余談だが、帰りのシャルルドゴール空港のX線検査でこの冊子が引っかかって検査員にチェックされた時は、私が思想犯の嫌疑をかけられたのかと冷や汗をかいた。(タブレットと間違われたか?)

屋外に小さなプレートから巨大な彫像まで約40点が展示されている。
赤裸々に思想を打ち出した各々の作品には、「解放」・「友情」・「英雄」など、これまた仰々しい名称が付いている。
こんなものが街中に当たり前のように存在していた社会とは、一体どんなものだったのだろうかと思う。
皮肉なことに、これらの彫像は曇った灰色の空によく映えた。
足元で健気に咲く小さな花が、重苦しい雰囲気をいくらかは和らげてくれる。

「中盤の見せ場」としては、ハンガリー・ソビエト共和国のリーダーのクン・ベーラ生誕100年を記念した作品がある。
クン・ベーラが指し示す方向に向かって、兵士を先頭とした市民の群衆が押し寄せていく光景を描いた一連の像である。
共産党が政権を取った市民革命を表現したものだそうだ。

これだけ派手なものだけあって、1980年代末の体制転換期には相当傷つけられたらしく、近くで見ると廃墟遊園地のメリーゴーランドのように痛々しい姿である。
特に頭の外れた貴婦人などはホラーそのもので、これは共産党政権の非人間性を揶揄した作品かと逆手に取って解釈できるほどだった。

公園の一番奥には一際大きな彫像が並んでいる。
旗を持った軍人の彫像(下の写真中央寄り)は、そのあまりの躍動感から、当時市民から「衣装預かり所の職員」と呼ばれていたそうだ。(「お客さん、スカーフを忘れてますよ!」)
好戦的な権威の発露に対する、人々の機知に富んだニックネームである。

一番奥の兵士が3人並んでいる像の傍に男性が立っている。

それらの像の背後には入口と同じ煉瓦造りの壁が延びている。
この彫像公園と現実社会の断絶を暗示しているようだ。

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人民の国民車と指導者たちの声

メインコンテンツとなる彫像公園の見学を終えて入口に戻ろう。
受け付けの裏には、東ドイツの国民車として知られる「トラバント」がある。
出目金のようなライトが愛嬌のある水色の小さな車だ。
だが機械製品としてはいささか頼りなさげで、これで高速道路など走れたのか心配になる。
見た目も内部も1950年代の車かと思うほどのレトロさを感じるが、この車は1980年代まで製造されていた。
西側水準との歴然とした格差と、それでも東ドイツの人々にとっては憧れと愛着の対象だったことこそ、トラバントが東側諸国社会の象徴として語られるゆえんだろう。

トラバントの隣には錆びついた公衆電話があった。
これはただの見世物ではなく、ブースに入って受話器を取って共産主義を代表する歴史的人物の話を聞くことができる。

面白いことに、「電話帳」には電話番号ではなく、各人物に関連する年号がヒントとして載っている。
例えばレーニンならロシア革命の1917、毛沢東なら中華人民共和国建国を宣言した1949となる。
私も含め、メメントパークに来るような人なら裏面の答えを見るまでもなかろう。
電話口から雑音に交じって聞こえてくる声は何を言っているのだろうか?
人民に語るバラ色の社会実現の物語か、それとも秘密警察に向けた物騒な指令か?

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スターリンのブーツの影で

さて、施設の背後にはバルコニーと台座に建つブーツが見下ろすように鎮座する。
何も知らないと見過ごしてしまうかもしれないが、メメント・パーク全体の輪郭を成す最も重要な展示物である。
これは、元々は高さ8mに及ぶスターリン像があったが、1956年のハンガリー動乱で引き倒されてブーツの部分だけが残ったものである。
恐怖政治とそれに対抗した人々。
ハンガリー現代史の象徴と言って良い。

不気味な独裁者の残骸だ。
かつて指導者たちがパレードを謁見したバルコニーに登って、その足元に忍び寄った。
まるで透明のスターリンがこちらを見ていて、今にも踏みつけられそうな気配を感じる。
サモトラケのニケもそうだが、全体像が失われていることで、かえって見る者に作品の印象を強めている。

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芸術とプロパガンダの境界

メメント・パークを訪問して私が最も心に残ったのは、「芸術とプロパガンダは何が違うのか?」という問いである。
我々は何故にサモトラケのニケが芸術で、メメント・パークにある彫像がプロパガンダだと区別しているのだろうか?
前者にも当時の国威発揚の意図はあったし、後者にだって芸術性はあることを訪問者は感じるに違いない。
先ほど私が「勝利の女神ニケ」と「独裁者スターリン」を同列に扱ったことを、読者は強引な比喩だと思ったかもしれない。
しかし、私の意図は作品を「善と悪」という概念から切り離すことにあった。

なるほど、抑圧的な社会主義体制は「負の遺産」と言って良いが、その思想を体現しようとした作品の持つ芸術性までもが切り捨てられてよいとは私は思わない。
もっと言えば、時代によって移り変わる「倫理的感情・正義」よりも、人が純粋に感じ取る「芸術的価値・崇高美」の方がよほど普遍的である。

メメント・パークに集められた彫像は、その時代放った息吹を結晶化した芸術作品である。
だからこそ、社会主義時代の負の要素について重々承知しているにもかかわらず、我々はその美と迫力に圧倒されたり感心したりするのだ。




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