【バスごとフェリー航送で2時間】鹿屋から鹿児島への直行バスに乗る

旅行術

鹿児島県の鹿屋かのや市は、県内第三の人口を擁する大隅半島の中心都市です。
この都市に乗り入れる鉄道(大隅線)は廃止されてしまいましたが、県都鹿児島市へは直行バスに乗って2時間でアクセスすることができます。
その直行バスというのが、バスごとフェリーに乗り込む全国的にも珍しい形態です。

2024年2月初旬、鹿屋から鹿児島まで直行バスに乗車しました。
本記事では直行バスに乗る際のポイントや乗車記を述べていきます。

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1日4往復、所要時間は2時間

鹿児島・鹿屋間直行バスは1日4往復が運行されています。
両都市間の所要時間は約2時間です。
鹿屋市の発着する停留所は「リナシティかのや」隣にあるバスターミナル、鹿児島市側は鹿児島中央駅や繁華街近くの天文館も経由します。
その途中にも幾つか停留所があります。

この路線は垂水港~鹿児島の鴨池港までフェリーに乗り込みます。
これによって陸地を迂回せずにショートカットできるのです。
航送する路線バスというのは非常に珍しいです。
もちろん乗船中は船内で自由に過ごすことができます。

青線:直行バスの経路
紫線:廃止された大隅線(志布志~鹿屋~国分)

乗車に際しては予約はできず、乗車時(鹿屋発の場合)または降車時(鹿児島発の場合)に運転手に支払います。
鹿児島・鹿屋間の運賃は1,400円で、これにはフェリー運賃も含まれています。
交通系ICカードは鹿児島県内のもの以外(例えばSuica・ICOCA・SUGOCAなど)は使用できません。

また、バスが満席の場合は乗車することができません。
その時には直行バスではなく鹿児島から鴨池港までは路線バスか市電、垂水港までフェリー、垂水港から鹿屋までは路線バスと、個別に自身で乗り継ぐ必要があります。
ちなみに、日南線の終着・志布志駅から鹿屋を経て垂水までは、路線バスが1時間に1本くらいの頻度で運行されています。

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乗車記:補助席まで使うほどの混雑ぶり

海に沿って旧大隅線と同じルートを走る

ホテルを出て川沿いに歩いてバス乗り場へ。
鹿屋市街はひっそり静まり返っていました。
日曜日の朝だからなおさらなのかもしれませんが、商店街の建物も古く傷んだものが多く、どうも景気が悪い街のように思えます。

ここは魚がとても美味く、特にカンパチの養殖が有名です。
現地では、その「上位互換」であるアカバラという、カンパチを長く育てて倍以上の大きさにした魚を食べて感動しました。
なお、カンパチの刺身は全国のイトーヨーカドーでも販売されています。
以来私も、地域応援のために値引きシールが貼られたものを時々買っています。

8時45分発のバスに乗車。
始発ではないので既に客が乗っていて、通路の補助席を使用するほど混んでいました。

バスは廃止された大隅線にほぼ沿って走ります。
しばらくして錦江湾が見えてきました。
曇り空なので見晴らしはたいして良くありません。
途中の停留所でも乗って来る人があり、その度に補助席の人たちが後ろにずれていました。
たまに右手に大隅線の廃線跡が見えます。

ピンク一色のフェリーの待つ垂水港へ。
バスは客を乗せたままフェリーに乗り込みます。
船内で停止したら下車することができます。
その際にバス乗車証明書のようなものを運転手から渡されるのでなくさないように。

フェリーにはうどん屋もあり、乗船時間は40分

フェリーの船内
この裏側にはうどん屋もある

満席で窮屈だったバスとは対照的に、さすが船内はゆったりしています。
乗船時間は約40分です。
垂れ下がった雲が上半分を隠してはいるものの、すぐそばを通り過ぎる桜島は横幅が広くて迫力があります。
直行バスに乗っていた若い中国人女性グループが、身を乗り出して写真撮影していました。

船内にはうどん屋があります。
アナウンスで利用するなら早めにしろとせかされるので、私もつい誘惑に負けてしまい、二日酔いの体を温めることにしました。
蒲鉾だけでなくさつま揚げもトッピングされているのが良いです。

やがて対岸の鹿児島市が見えてきました。
車利用の客は車内に戻れ、という船内放送が流れたらバスに戻りましょう。

船に戻り、すぐ鹿児島市内中心部へ

鴨池港から鹿児島中央駅までは10分程度。
路線バスと違って途中の停留所に寄らないので、市内を走っているうちにすぐ着いてしまいます。
予定時刻より10分近く早く到着しました。
繁華街へは次の天文館で降りた方が便利です。

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廃止された大隅線を惜しむ

大隅線が全線開通したのは1972年のこと。
往時(1973年10月号)の時刻表を見ると、快速列車が鹿児島~国分~鹿屋を約2時間、つまり現在の直行バスと同じ所要時間で結んでいます。
しかし1日1往復しか快速がなく、既にフェリー経由のルートが確立されていたため利用は低迷し、僅か15年後の1987年に大隅線は全線廃止されました。

大隅線を走った気動車
鹿屋市鉄道記念館にて

鹿児島市と密接に結びついた霧島市(県内第二の人口)と比較して、県都とは別の経済圏が成立している鹿屋市は大隅国の首都ともいえる都市です。
また鹿屋は農業・畜産業・漁業が盛んで、その意味でもふるさと納税寄付額が全国一位の宮崎県都城市と似ています。

鹿屋にもブランド食材供給基地(特に魚)としてのポテンシャルはあるはずですが、知名度が今一つなのは鉄道廃止が影響しているのでしょうか?
県内主要都市を経由できた大隅線は錦江湾や桜島の景色も良かったようで、今でも(今でこそ)活用の仕方はあったように思われます。

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