本州を除く主要三島のなかで、九州・北海道と比べると存在感が薄いのが四国である。
全体的に穏やかというか地味な印象で、福岡・札幌のような圧倒的な力を持つ都市もない。
そして日本最後の新幹線空白地帯でもある。
2024年11月下旬、そんな四国を七日間かけて高松を起点として反時計回りに一周した。
本シリーズでは旅程を「みぎうえ」「ひだりうえ」「ひだりした」「みぎした」の4パート(部)に分けてその様子を綴っていく。
なお、一周旅行全体のルートや「上下左右」の概念については、ガイダンス記事を参照していただきたい。
本記事は「ひだりうえ」の第2回、今治城を訪問した後に特急「しおかぜ」に乗って新しくなった松山駅に至る。
藤堂高虎の今治城
高松駅を出発して川之江駅・伊予西条駅と途中下車し、高架式の今治駅に着いたのが15時前。
伊予西条駅や川之江駅よりもずっと人が多い。
今治は愛媛県で2番目の人口を持つ都市で、広島県の尾道とを結ぶ「しまなみ海道」の起点である。
造船業やタオル生産でも知られている。
今治城は築城の名手、藤堂高虎が築いた城のなかでも「最高傑作」を謳っている。
かつては三重の堀(内堀・中堀・外堀)で囲われた広大な城で、現在の今治城跡は内堀以内の範囲に過ぎないという。
堀が海と繋がっている水城なので、フグやタイなどの海水魚が泳いでいた。
四国では高松城もこのタイプに属し、大分県の中津城を加えて「三大水城」と呼ばれている。
これらは全て瀬戸内海沿いにある。
内堀に架かる橋を渡り、桝形の虎口(出入口)より堅牢な鉄御門をくぐると、藤堂高虎像と天守閣のそびえる広場に出た。
なお武将の像には珍しく、藤堂高虎は甲冑姿ではなく平服姿になっている。
関ヶ原の戦い以後に築城されたため、彼が平和な世に相応しい城・城下町を造ったことを表現しているらしい。
実際に、鉄御門より先は姫路城に代表されるような敵の侵入を防ぐ複雑な造りにはなっていない。
天守内部は郷土の歴史・自然博物館となっている。
伊予半国20万石を与えられた藤堂高虎は身長188㎝、体重113㎏の巨漢だったという。
昔の日本人は今より小さかったから、文字通り規格外の人物だったのだろう。
その割には意地の悪そうな顔をした肖像画だ。
最上階に登って瀬戸内海を望む。
今ここに立って、しまなみ海道も鉄道も車も無い時代にいると想像すると、この地がいかに海陸交通の利便性が高いかが理解される。
観覧券では天守閣以外の櫓にも数カ所入場できる。
面白かったのは入り口の鉄御門の上の櫓で、パネルや映像の展示によってその守りの堅い構造を解説している。
帰り際、まだ閉館まで30分以上も時間があるのにスタッフが戸締りをしていた。
「ゆっくりしていってください。なんせ窓が多いんで、今くらいの時間にやらな間に合わんのです。」
この櫓は2007年に再建されて以来、湿気による被害もないらしい。
「ただ、この網を被せないと鳩が来るんですわ。中に入られたらどうしようもありません。」
堅牢なる今治城も鳩には敵わないようだ。
城を出て、今度は外から眺める。
城というよりは港の灯台のようだ。
今治では自転車に乗った外国人のグループをよく見かけた。
私も1日目は今治から周辺の島へ自転車で行くことを当初は考えていたのだが、四国一周の片手間にやることでもないと思い直し、もっと地味な愛媛県の中小都市巡りをしているわけである。
新駅舎になった松山駅へ
今治駅に戻って、17時45分発の「しおかぜ17号」のグリーン席を券売機で予約する。
結局「四国グリーン紀行」を使ってグリーン車に乗るのはこれが最初で最後だった。
例によって予讃線で5分程度の遅れが生じているらしい。
自由席乗車口は長蛇の列で、向かい側のホームで特急の到着を待つ普通電車も通勤通学客で大変混雑している。
私はベンチに座って悠々と列車を待っていられるわけで、これでこそグリーン車の有難みを感じる。
もっとも、先頭1号車はベンチの位置から遠くて乗車時には焦ったが。
今治駅を出た頃には外は暗くなっていた。
今治から松山にかけては、これまでの予讃線のなかでは景色が良い方である。
あいにく車窓を楽しむことはできないが、工場夜景や造船所のクレーンが光っていた。
終点の松山駅に着いたのは18時半過ぎだった。
松山駅は2024年9月末に新駅舎になったばかりだ。
ホームは高架式になって、コンコースにはたくさんの土産物屋があった。
今までは四国最大の都市とは思えないほどレトロな駅だったが、今回の高架化事業でその面目を完全に一新した。
ところで、そのレトロな旧駅施設は2024年11月の段階ではまだ取り壊しされておらず、地上の旧ホームを通って駅の外に出るという奇妙な構造だった。
先ほどは新しい「四国の首都駅」を称えたばかりなのに、何度もお世話になった味わいのある旧駅に対する感傷が高ぶってきた。
有人改札の隣にある店で「じゃこ天うどん」を食べたのが懐かしい。
松山で魚と温泉
松山といえば市内中心部にどっかりと構える松山城だろう。
日本を代表する平山城(平野の中にある山に築かれた城)で、その規模と威容は松山が人口50万人の都市であることを忘れさせる。
歩くだけでなく、ロープウェイやリフトで登れるのも面白い。
道後温泉が湧き、正岡子規や夏目漱石にゆかりのある松山は「いで湯と文学のまち」でもある。
これまで訪れてきた工業都市とは、同じ県でも街の雰囲気が異なる。
繰り返しになるが、「しおかぜ」の新旧車両で松山に合うのは懐古趣味の性癖のある8600系の方だろう。
残念ながら、明日早朝に出発するので今回は松山観光ができない。
せめて魚と温泉だけでも堪能しよう。
旧駅舎に別れを告げて、近くにある居酒屋に行った。
駅前の人気店、しかも金曜日の19時なので空席は望み薄だったが、幸運なことにカウンター席に座れた。
愛媛県は漁業が盛んで、とくに魚類養殖生産量が日本一だ。
地酒とともにシマアジの刺身やアコウ(キジハタ)の煮つけなどで「水産王国」を味わった。
魚は文句なしに旨く、酒は中口やや濃醇といったところか。
今日泊まるのは、城山の裏側にある温泉付きのビジネスホテルである。
屋上には奥道後温泉から引いた露天風呂があった。
何も見えない夜の曇り空を見上げながら名湯に浸かっていると、ようやく1日目が終わったなと感じた。
コメント