新幹線に夜行列車があれば、日本の鉄道の可能性はもっと広がるのではないか?
日本地図や時刻表を見るたびに、私はいつもそう思っている。
昨年はその症状が悪化して、博多~札幌間の夜行新幹線構想について、列車名・ダイヤ・車内設備に至るまで当サイトで発表したことさえある。
そんな私の夢を叶えてくれるのが、中国で実際に運行されている夜行高速列車だ。
それも単に高速列車が夜間に走っているのではなく、寝台車を連結した夜行専用の編成なのである。

そんなわけで2025年12月中旬、香港から北京の列車に乗車した。
気候・文化、そして何より政治制度さえ全く異なる二都市を繋ぐ夜行新幹線とくれば、私としては乗らない訳にはいかない。
本記事では列車の概要・車内設備を乗車記と併せて解説する。
中国の高速鉄道全般については以下の記事を参照していただきたい。
香港~北京を10時間半、運転日は金・土・日・月曜日
華北地域の首都北京から内陸部を南下して、経済成長率の高い華南地域の広州・深圳・香港に至る路線は、広大な中国の高速鉄道網のなかでも重要度の高い区間である。
北京から広州まで2,218㎞、香港まで2,360㎞という長大な路線距離で、最速の「復興」号(中国で最上位の高速列車)でも8時間以上かかる。
よってこの区間の主役は夜行列車となっている。
そしてその総帥ともいえる存在が、今回紹介する北京西駅(Beijingxi)~香港西九龍駅(Hong Kong West Kowloon)間の夜行版「復興」号である。
北京~香港間の所要時間は10時間半~11時間。
最高速度は他の「復興」号と同じ350km/hである。
途中、深圳北駅(Shenzhenbei)や広州南駅(Guangzhounan)を経由する。
始発駅を20時台に出発して終着駅に早朝に着くという、非常に利便性の高いダイヤとなっている。
ただし毎日運転ではなく、運転日は金・土・日・月曜日(出発日)のみなので注意しよう。
別に深圳・広州発の夜行高速列車があるので、香港発の夜行「復興」号が運転されていない日はそちらを利用すると良いだろう。
香港から広州までの所要時間はおよそ1時間だ。
【車内設備】寝台車は2段ベッドの4人用相部屋、カウンター席付き食堂車あり
16両編成のうち、ほとんどの設備が軟臥(ソフトスリーパー)と呼ばれる寝台車である。
2段ベッドが2つ並んだ4人用の個室で、他人と相部屋で使用することになる。
室内からは鍵を閉めることができる。
ヨーロッパの夜行列車に乗ったことがある人は、4人用クシェットと同等の設備だと思ってよい。
やはり各ベッドにカーテンはない。

日本の「サンライズ」やヨーロッパの夜行列車のように1~3人で貸切れる個室寝台は残念ながらない。
また追加料金を払って4人未満で部屋を貸し切ることもできない。
もっとも、中国の高速鉄道は車内の治安もよく、夜間の途中停車駅も少ないので、個室でなくても安全性は高いといえる。
先頭と最後尾車両だけ寝台車ではなく、2等座席と特等座席の設備になっている。
2等座席は新幹線の普通車と同じ2&3列の座席である。
特等座席は昼間の「復興」号の1等座席や商務席とはまた別のクラスのようだ。
私は実際に見ていないのだが、編成表を見ると2&2列の座席なので1等席+αの設備と思われる。
寝台車が最も料金が高いものの割引率も高い傾向にあるので、実際は他の設備とそれほど変わらないことが多い。
なのでケチらずに寝台車を予約することをお勧めする。
編成中央部の8号車には食堂車がある。
ただの売店でしかない昼間の「復興」号と違い、夜行「復興」号の食堂車には、「サンライズ」のミニサロンに似た感じのカウンター席が設けられている。
また商品ラインナップもより充実している。
運用が限られる車両にもかかわらず、特別仕様の食堂車になっている点は非常に評価したい。
我らが「サンライズ」にはショボい自販機しかないのだ。

他の中国の列車と同様に、デッキにはお湯が出る機械がある。
魔法瓶やお茶パックを持っていくとよいだろう。

【乗車記】香港西九龍駅→北京西駅
アジアの金融都市、香港
「復興」号の商務席で広州から香港に着いたのが13時過ぎ。
昼間の香港の気温は30度まで上がった。
ウォーターフロントから渡し舟で市内中心部へ。
かつて東京が欲しいままにしていた「アジアの金融都市」は、今や香港・シンガポールを指す言葉となっている。
高層ビルのロゴを見るだけで、本土と比べて漢字だけでなくアルファベットが目立つ、つまり外資系企業の存在感が大きいことがよく分かる。


そんなコスモポリタンで近未来的な都市の一画に、赤背景に黄色い文字の看板が異様な存在感を放っていた。
翻訳アプリで調べると、「『一国二制度』の偉大な方針を貫徹し、香港の長期的な繁栄と安定を守る」とのこと。
列車に乗る前から北京の気配を感じた。

香港西九龍駅の到着目安は出発時刻の1時間半前
遅い日没時間が過ぎ、ビル群の後方に山腹の灯りが輝く立体的な夜景を見納め、香港西九龍駅に向かった。
駅に到着したのは19時20分頃。
出発時刻が20時25分だから1時間少々前である。
結果として列車には間に合ったが、これはかなり余裕のない時間だった。

香港は中華人民共和国における特別行政区という位置づけであるが、香港側・本土側のそれぞれで荷物検査と出入国手続きが必要になるのだ。
いわば、香港西九龍駅の改札が香港と本土の境となっているイメージである。
この日は金曜日の夜のためか、12月中旬という閑散期にもかかわらず、列はなかなか混雑していて時間がかかった。
そもそも北京行き夜行列車の運転日は土日前後なため、香港西九龍駅での手続きはいつも以上に時間がかかるということを肝に銘じておこう。
少なくとも発車1時間以上前、できれば1時間半前には駅に着いておくべきである。
並んでいる間他の乗客のパスポートをチラ見した印象では、中国・香港(本土とは別のもの)以外ではマレーシア国籍が多かった。
全て手続きを終えて乗車口までたどり着いたのは20時過ぎ。
トイレで歯磨き等を済ませていると、20時10分に乗車が始まった。
北京西駅行きG898列車は、見た目は普通の「復興号」スマート編成だ。
だが窓から車内を覗くと確かに寝台がある。

寝台車は内装も設備も良し
正直言って、私が香港まで来たのはこのためなのだ。
自身の脳内で勝手に走らせていた夜行寝台新幹線に本当に乗れるのである。
かつて夢を叶えるために新大陸に渡ったヨーロッパ人の気持ちが今なら理解できる、と言っても大げさではない。
車内に足を踏み入れると、BGMでフランツ・リストの「愛の夢第3番」が流れていた。
これはなかなか粋な演出である。
通路には跳ね上げ式の席があって、かつてのブルートレインの開放B寝台車を思い出させる。
気分良くテノールの主旋律を口ずさみながら自分のベッドを探す。
幸い下段を予約することができた。
公式の「中国鉄路12306」(中国語版)、あるいは私が利用したTrip.comでも、予約時に下段の希望(確約ではない)を出すことができる。

車両はとても新しく綺麗で、内装の印象はシック&スマートである。
2段ベッドの間の窓側には大きなテーブルがあり、下段の人が寝る前ならここで食事もできる。
各ベッドにはハンガーとコンセントもある。
小型のスーツケースならベッドの下に収納できた。


各ベッドにはアメニティ類の入ったポーチやスリッパ(今でも家で愛用)、そして簡素な朝食セットが付いていた。
テーブルにはポットのようなものと、政府系の機関紙らしき書籍が何冊か置いてあった。
部屋には女性の先客が1人いた。
入室時に”Hello”と挨拶したが返事はなかった。
これは個人的な感想になるが、中国人というのは団体でいると騒がしいが、これは彼らの集団主義的な性格によるもので、「自分たち」ではない他人に対しては概して淡白な態度をとる。
個人主義的な欧米人が、私のような明らかに異質な他者に対しても自然と会話が発生するのとは対照的である。

後に8番ベッドも予約されて満室になった。
食堂車は深夜・早朝も営業していた
20時25分、香港西九龍駅(Hong Kong West Kowloon)発。
私は興奮気味でずっと地下区間の車窓を眺めていた。
同室の女性が横になっているので「もし着替えたいなら通路に出ますが?」と身振り手振りも使って伝えたが、相手はきょとんとしながら首を振った。
ヨーロッパでは紳士にとってのマナーとされているが、中国ではそうではないらしい。
用意していたビールを飲み干したので、食堂車に行ってみよう。
通り過ぎた寝台車はどこもほぼ満室だった。
民族衣装のように洒落た制服・帽子を着用した若い女性乗務員が3人ほどいた。
ビールと豚足らしきものを注文する。
カウンター席の数は少ないが、辛うじて席を確保した。
隣の若い夫婦と乾杯する。
中国のビールはたいてい薄っぺらいが、ここで飲んだビールは割と濃厚で美味かった。
豚足はピリ辛のゼラチンだった。

21時30分を過ぎて、列車は広州南駅(Guangzhounan)を出発している。
乗務員にワインはあるか尋ねると、「ワインはありませんがコニャックならあります」と勧められるままに、3,000円以上するコニャックの小瓶と氷を入れたグラスをもらった。
悪い方向に進んでいるのは自覚していたが、今夜は幸福の絶頂なのだから仕方がない。
思う存分、最高速度350km/hの夜汽車を楽しんだ。
食堂車を退散したのは22時半ごろだったか、まだ営業しているようだった。
部屋に戻ってほとぼりが冷めて、日付が変わる頃に就寝した。

翌朝目が覚めたのは5時過ぎ。
北京西駅到着は6時53分なのでまだ時間があるが、寝るのは勿体ない気がしたので起きることにした。
外はまだ真っ暗だった。
街灯に照らされて地面が白く輝いている。
なんと華北地域では雪が積もっているではないか。
香港(北緯22度)と北京(北緯40度)の南北差は約2000㎞。
この南北差を日本列島に当てはめると台湾近くの石垣島から札幌まで、ヨーロッパだとシチリアから北欧のデンマークまで一晩で移動したことになる。
こんなダイナミックでロマンチックな夜行列車が他にあるだろうか?

6時くらいに食堂車に行ってみると、やはり営業していた。
中国人は働き者だなと思う。
もっとも、昨夜から勤務している乗務員たちは眠たそうだったが。
紅茶はあるか尋ねると、ホットコーヒーならあるというのでそれにした。
朝食セットは固いパンとバナナとオレンジジュース。
まあ、ホットコーヒから胃を保護するくらいの価値はある。
同室の3人は皆眠っているので、暗い中での朝食となった。

東洋の帝都、北京
到着20分前になってようやく乗客たちの身支度が始まった。
静まり返っていた車内がたちまち慌ただしくなり、通路のあちこちでスーツケースを広げる人がいる。
6時53分、北京西駅(Beijingxi)に着いた。
外はまだ暗い。

南国から北国への夜汽車の旅は、実際に旅行する立場からすると過酷なものだった。
早朝の北京の気温は-7度。
昨日の香港とは実に40度近い気温差がある。
どうやら今日から一気に冬らしい気温になったらしい。
香港ではヘソを出していた若い女の子たちも、北京ではロシア人のようなフカフカの帽子を被っている。
北京観光では、テレビで見る天安門広場・毛沢東の肖像画、そして故宮を自分の目で確かめた。
それにしても、「古よりの東洋の大帝国の都+現役社会主義国の首都」とは何とインパクトのある組み合わせだろうか?
北の大地を隔てて遥か向こうのモスクワが近く感じられた。


アジアの金融都市香港から東洋の帝都北京へ。
350km/hで走る夜行寝台高速列車での一晩は、政治・経済・歴史・文化・風土、いずれも全く異なる世界を結ぶ2,400㎞の旅であった。


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