御殿場線は東海道本線の国府津から沼津まで、御殿場経由で結ぶJR東海が管轄する路線です。
富士山や深い谷といった車窓の良さもさることながら、御殿場線を語るうえで欠かせないのが、その凋落の歴史なのです。
今でもその歴史を感じることができる箇所が多数あります。
列車から、あるいは途中下車して外からそれらを辿ります。
御殿場線はかつては東海道本線だった
華やかなりし大幹線の時代
御殿場線は戦前の昭和初期まで東海道本線の一部を形成し、日本の大動脈として存在していました。
また箱根越えの急勾配が始まる山北駅には機関区が置かれ、全ての列車がここで機関車の補機を付けたり外したりしていました。
最盛期には300人もの鉄道関係者が働いていたそうです。
しかし蒸気機関車の時代、急勾配が続く現在の御殿場線区間は東海道本線最大の難所でした。
御殿場をサミットとして、25‰(水平距離1000mに対して25mの高低差があることを示す)の勾配が上り下りそれぞれで10㎞以上続いています。
現在の東海道本線の関ヶ原付近は20‰(一部だけ25‰)の上りが6㎞程度続きますが、それでも勾配を緩和した別線が設けられたことを考えると、相当な輸送上のネックだったといえます。
現代ではスピードアップの障害といえば曲線ですが、トンネル掘削技術が比較的未熟で蒸気機関車が主役の時代は、勾配こそが鉄道の輸送力の胆だったのです。
丹那トンネルの開通でローカル線に転落
1934年、来宮~函南間の丹那トンネル(7804m)が開通し、東海道本線は熱海経由にルート変更されます。
これを機にそれまでの御殿場経由の路線は御殿場線として支線に転落してしまいます。
さらには物資が不足していた戦時中の1943年には、 岩国~櫛ヶ浜間において今の岩徳線に代わって柳井経由の路線を山陽本線として複線化するために、片方のレールが撤去され単線化されてしまいます。
その後1968年に全線電化はされるものの、依然として単線の路線です。
御殿場線の乗車記
国府津駅を出発
15両編成の電車に囲まれながら、3両編成のJR東海313系電車がひっそりと国府津駅を発車します。
出発直後は複線かと思いきやそれも束の間、もう一本の線路は国府津運転所に吸い込まれて行ってしまいます。
下曽我からしばらくの間、進行方向左側に複線時代の路盤が続いています。
松田駅で小田急の線路と特急「あさぎり」のみが使う連絡線を見ます。
やがて山北駅に到着。
前述したように、ここはかつての鉄道の街で、どことなく歴史を感じさせる長いホームがあります。
さて、山北駅から次の谷峨駅までを、国道246号に沿って徒歩で移動します。今は旧道と呼ばれる国道は車の通りも少なく、歩いていても危険ではありません。
駅間は4㎞程度ですが、道は曲がりくねっているので5㎞くらいありそうです。
山北駅から谷峨駅までを歩く
山北駅のすぐ近くに観光案内所があるので、周辺の地図をもらいます。
なお、この建物の2階はフリースペースになっていて、東海道本線時代の山北駅の貴重な写真が見られます。また鉄道資料館という一画もありましたが、その日は営業していませんでした。
しばらく駅前の商店街を歩くと、人専用の橋が線路を跨いでいるので、駅構内を見ながら渡ります。
渡った先から少し駅方面に戻った所にある公園には、御殿場線でも活躍したD52形蒸気機関車が静かに余生を送っていました。
今回の徒歩移動でお目当てのスポットは2か所あります。
一つ目は山北駅から比較的近い所にある箱根第二号トンネルと橋桁です。
線路が撤去された今も、もう一方のトンネルは無意味に口を広げ、その手前にある鉄橋は赤く錆びています。
箱根第二号トンネルの出口は国道の反対側に現れ、その上には赤い鳥居が見えます。これは安全祈願や汽車にひかれた人を鎮める(とされる)線守稲荷神社の鳥居です。
さらに線路を迂回する形で国道沿いに歩くと、2つ目の目的である第二酒匂川橋梁があります。
橋桁は撤去されていますが、橋脚は複線時代のものを現在も使っているので原形をとどめています。
片方の線路を失った重量感のある煉瓦積みの橋脚は、無残な姿ながらも、寧ろそれだけに美しい建造物です。
山北駅からここまで約1時間くらいでしょう。
さらに30分程度歩くと谷峨駅に到着します。
途中の見学や寄り道を考慮すると、山北駅から1時間半程度は必要です。
御殿場線のこの区間は本数があまり多くないので、列車時刻には要注意です。
スイッチバック跡が残る富士岡駅と岩波駅
谷峨駅から再び列車に乗り、なおも深い谷を刻みながら御殿場駅まで上り勾配が続きます。
御殿場駅は乗降客は多いですが、鉄道旅行としてはあまり見所は無いようです。
御殿場からは今度は急勾配を下りますが車窓は開けてきて、天気が良ければ富士山が近くに望めます。
富士山も良いですが、ここでの注目は富士岡駅と岩波駅のスイッチバックの跡です。
左手に草に覆われた路盤跡が見える。
両駅とも25‰の勾配の途中にあるので、今の電車ならともかく、昔は平坦な引き込み線を設けたスイッチバック式の駅でした。
今でも草に覆われた、本線の線路に対してせりあがる路盤跡が確認できます。
国府津から約60㎞で終点の沼津に到着です。
ようやく東海道本線に戻って来たと実感する立派な駅です。
御殿場線の栄枯盛衰の歴史
御殿場線の魅力は、東海道本線時代の堂々とした遺構が至る所で発見できる点にあります。
かろうじて、新宿から小田急で乗り入れてくる特急「あさぎり」の存在によって面目を保っています。
しかし「あさぎり」も以前は、バブル景気のころに登場した二階建て車両付きの371系(JR東海)と「RSE」ロマンスカー(小田急)で沼津まで運転されていたことを思い出すと、2012年以降の「MSE」ロマンスカーによる御殿場止まりというのは寂しく感じます。
現在はJRでは廃車になっている。
「MSE」もデザインは洗練され雰囲気も良い車両ですが、やはり前任者たちと比べると、器が小さく色気やオーラに欠ける点は否めず、御殿場線からまた一つ華が失われた格好です。
とはいいつつも、そこそこの沿線住民を有し、富士山の観光需要もあるので、地方のローカル線のような悲壮感は感じられないのは幸いです。