途中下車しながら各駅停車でゆっくり旅をする、つまり「乗り歩き」をするには、おそらく山陽本線が一番良い路線だろう。
まず景色が良い。
瀬戸内海を各所で眺めることができるし、石州瓦のならぶ田園風景も格別である。
そして古代以来の海と陸の回廊である山陽本線沿線には、立ち寄ってみたい魅力的な町が多数点在している。
最近はローカル線でもロングシートの車両が増えたが、山陽本線は新型車両でもクロスシートだ。
そればかりか、時が止まったように国鉄車両が活躍しているエリアもある。
また少なくともほぼ1時間毎に列車が走っているので、スケジュールが組みやすいのも有難い。
2025年3月中旬、新しくなった3日用の青春18きっぷで山陽路を西へ向かった。
本記事は最終日の3日目、新山口駅から山口線に乗って山口駅まで行き、「西の京」と呼ばれた山口市を観光した。

国土地理院の地図を加工して利用
文化の香る山口市
厚狭駅から山陽本線で新山口駅まで引き返し、山口線の古いディーゼルカーに乗り換えて9時前に山口駅に着いた。
新幹線「のぞみ」も停車する新山口駅と違って、都道府県代表駅のはずの山口駅はせいぜいローカル線の主要駅といった規模で、国鉄時代を思わせる重苦しい赤茶色の駅舎だった。

山口市は15~16世紀にかけて大内氏の本拠地だった。
大内氏は博多を介した大陸貿易によって得た財力を背景に、軍備増強のみならず文化活動にも力を注いだ。
その結果、多くの文化人が訪れた山口は「西の京」と呼ばれるようになったのである。
観光エリアは駅から少し離れたところにある。
コミュニティバスがもうすぐ出るようなので、それに乗ってまずは瑠璃光寺に行こうと思う。
瑠璃光寺は国宝に指定された五重塔で非常に有名な寺だ。
正面にある広い駐車場には観光バスが2台停まり、多くの外国人が訪れていた。
現在(2025年3月)は塔の改修工事が行われていて、足場と骨組み越しにかろうじて建物が見える程度であるが、敷地内を見学しながら散歩するだけでも満足できた。


次に訪れるのは雪舟庭園がある常栄寺。
少し距離があるのでタクシーで往復する。
運転手は「神戸からわざわざ山口くんだりまでよく来てくれました。」と謙遜する。
「でも山口市はニューヨークタイムズ紙で『2024年に行くべき52箇所』に選ばれたじゃないですか?」
「いえいえ、あれはライターさんの腕がよほど良かったんでしょう。」
そんな話をしているうちに常栄寺に着いた。
外国人にも広く知られた瑠璃光寺と違って、こちらは訪問客がおらず静かな雰囲気だ。
そのためか質実剛健な印象を抱く。

本堂の内部を見てから、その裏にある庭園を見学する。
池と本堂の間に芝生の枯山水がある。
芝生には草木が植えられているのではなく配置された石が主役になっていて、見る人の感性に訴える造りである。
池の奥の方は山の傾斜に続いていて滝のように表現されている。
東屋も粗末な藁葺き屋根で、枯淡とした世界観に包まれた庭園だった。



車に戻ると運転手が「屋根の瓦をご覧になりましたか?」と聞く。
駐車場にある案内板で説明してくれたところによると、確かに瓦には大内氏ではなく毛利氏の家紋が描かれていた。
この雪舟庭園のある寺をはじめに建てたのは大内氏だが、後の経過で毛利氏の寺と合寺した結果だそうだ。
その後話題は明治維新の原動力となった長州藩が、近代以降に及ぼした政治力の話となった。
彼が計算した結果、大日本帝国憲法施行以来約140年の間、現在まで山口県出身の総理大臣の在任期間は実に40年間にもなるそうだ。
今の山口県の人口は全国比で1%ちょっとだから異常と言うほかない。
「だから新幹線に厚狭駅みたいなところができるんですよ。」とのこと。
幕末における長州藩躍進の要因の一つは軍事的に優れていたことである。
その文脈で私が高杉晋作が組織した奇兵隊について触れると、運転手は明らかにそれを待ち構えていた。
「そうなんですよ。私は実はミリオタなんですがね、それまでの火縄銃と違って長州藩の武器はドイツ製の最新型○○銃(詳しい名前までは忘れた)といって機動力に優れていたのです。それを購入できたのは長州藩が産業を興して経済力があったからです。」
「ほお。今なら軍事用のドローンみたいなもんですね。」

瑠璃光寺に戻ってきて支払いを済ませた。
しかし話はまだ途中である。
「ナチスドイツを第三帝国、ビスマルクが統一したドイツを第二帝国(このドイツ統一が進んだのが明治維新前後に当たる)といいますね。では第一帝国は?」
「ええと、神聖ローマ帝国?」
「そうです。第一帝国と第二帝国が成立した間は千年近くも空いています。つまり中世後期から近代初期までドイツ社会は遅れていたわけで、ビスマルクのプロイセンが軍事産業面でいかに画期的だったかが分かります。長州藩はその技術を取り入れたのです。」
この運転手は頭がいい人だなと思った。
それは知識があるからではなく、知識を抽象化して自分で仮説や見解をつくったり、それを基にして日本史と世界史を自在に繋げることができるからである。
これはあくまで私の所感として、動画を聞き流すだけの勉強をしている人は概して面白可笑しいエピソードを添えた単発の知識は豊富だが、彼のように「知識を運用」することがあまりできない傾向にある。
タクシー運転手を退職した後、彼は絶対に山口市か萩市の博物館でボランティアガイドをすることだろう。
山陽本線の旅はまだ続く
良き運転手兼ガイドとの出会いに感謝しつつ車を降りた。
もう少し山口市を観光したいし、最終的には山陽本線で下関か門司まで行かなければならないのだが、東京に戻らなければならなくなってしまったので山口駅に向かうことにする。
私は残した宿題は早めに終わらせるように心がけている。
山陽本線乗り歩きの旅を再開するのが楽しみである。
(つづく)
コメント