今から80年以上昔。
大日本帝国が「大東亜共栄圏」というスローガンのもと東アジアの勢力圏を形成していた1930年~40年代は、鉄道という文明が最も輝いていた時代でもあった。
本記事で紹介する「満洲支那汽車時間表」(1940年8月号)は、そんな大日本帝国最盛期を体現する資料である。
満洲国・中国(支那)や内地だけでなく、朝鮮・樺太・台湾といった旧日本領の路線を幅広く網羅している。
巻頭には「満洲・欧州間連絡」として、大連から哈爾濱・モスクワ・ベルリンを経由してパリに至る壮大なタイムスケジュールまでもが示されている。
当時の時代背景は
- 朝鮮(現・韓国と北朝鮮)は日本領、中国東北部の満洲国も事実上日本の支配下にあった。
- 移住のみならず外地の観光開発も盛んで、内地から半島・大陸への往来が急増していた。
- 帝国主義時代末期。列強各国は各々の勢力圏の「ブロック経済」を形成していた。
- 日米開戦の前年。戦況悪化により「不要不急」の旅客列車が削減されるのは数年後。
- 海外渡航でも鉄道と船を乗り継ぐのが一般的。
民間航空機は小型(定員は数十名)かつ非常に高価で、利用者は特権階級に限られていた。
破局への道を突き進んでいた大日本帝国がその最盛期に放った白鳥の歌を、当時の時刻表から紐解いていこう。
※地名は当時の表記を使っています。
また歴史に対する善悪の評価は敢えて留保します。
朝鮮は大陸への主要ルート

朝鮮半島を縦断する路線は内地から大陸への最も重要なルートの一部だった。
下関からの連絡船が到着する釜山桟橋駅を起点として、京城(現・ソウル)・平壌、そして満洲国の奉天(現・瀋陽)を経由して、満洲国首都の新京(現・長春)や中華民国(今でいう中国)の北京行き列車が出発していった。
まずは内地の東海道・山陽本線と関釜連絡船の接続ダイヤを示す。
| 東京駅 | 大阪駅 | 下関駅/港 | 釜山港 | |
| 特急「富士」 | 1500 | 2334 | 925/1030 | 1800 |
| 急行列車 | 2300 | 1045 | 2100/2230 | 600 |
特急「富士」は正真正銘の我が国の看板列車。
終着の下関駅で釜山行き連絡船と接続し、事実上の国際列車としての貫禄も有していた。
なお終着が下関駅なのは関門トンネルが未開業だったためである。
当時の下関駅は本州・九州、そして外地との結節点だったのだ。

大宮の鉄道博物館にて
関釜連絡船には昼便(18時着)と夜便(6時着)があることを念頭に、釜山発の朝鮮半島縦貫線の列車を見ていこう。
| 列車名 | 釜山桟橋 | 京城 | 平壌 | 奉天 | 新京 | 北京 |
| あかつき | 705 | 1345 | ||||
| のぞみ | 750 | 1540 | 2044 | 715 | 1142 | |
| 大陸 | 830 | 1630 | 2140 | 800 | 2240 | |
| ひかり | 1900 | 240 | 736 | 1720 | 2145 | |
| 興亜 | 1940 | 315 | 816 | 1840 | 1035 |
まず列車名で目を引くのは、何と言っても「ひかり」と「のぞみ」だろう。
訪日外国人にもお馴染みの東海道・山陽新幹線の列車名が実は釜山発新京行き、つまり戦前日本の帝国主義の権化だったと知られたら、中国に続いて韓国も日本への渡航自粛要請を出さないか心配になってしまう。
朝鮮で唯一の特急「あかつき」も、戦後は関西発九州行きブルートレインの代表格として活躍した列車だ。
仮にこれがリニア中央新幹線で使われたら、私の杞憂もいよいよ冗談では済まなくなるだろう。
北京行き「大陸」「興亜」は、むしろ現在の中国共産党政府が好きそうな名前である。
それはともかく、現代でいう韓国・北朝鮮・中国間を直通する夢のような国際列車が、この時代には当たり前のように運転されていたのである。
それも内地から新京まで通しの切符を購入することができたのだから驚く。
始発が釜山の本駅でなく、関釜連絡船の到着に合わせるかたちで釜山桟橋駅となっていることからも、これらは内地との接続を前提とした列車であることが分かる。

種車はそれぞれ「ひかり」と「のぞみ」の一等展望車である
東京~新京の最速乗り継ぎは「富士」と「ひかり」の組み合わせだ。
1日目の15時発で新京着が3日目の21時45分だから、合計約2,860㎞の距離(240㎞の航路含む)を54時間45分の所要時間で旅することになる。
なお上の表には列車名付きの代表的な優等列車のみ掲載したが、他にも釜山発奉天行きの普通列車は複数存在した。
奉天駅は新京行きと北京行きが分かれるだけでなく、次章で見る大連からの南満州鉄道が合流してくる鉄道交通の十字路だった。
青函連絡船全盛期における函館駅の情景のスケールをずっと大きくしたような、まさに戦前の鉄道黄金時代を鮮やかに描いたダイナミックな北東アジア回廊である。

釜山桟橋から京城・新京・北京行き列車が次々と発車していく
なお時刻表で太字の数字は午後の時刻を示している
大連からの南満州鉄道経由
内地から新京へは朝鮮半島経由の他に、大連から南満州鉄道で北上するルートもあった。
大連港行きの連絡船は神戸を12時に出港し、九州の門司発も翌日の12時、そして大連には4日目の朝8時に着いた。
大連から新京方面への長距離列車は多数存在したが、その中でも代表的な特急「あじあ」と補佐役の急行「はと」のダイヤを紹介しよう。
| 列車名 | 大連 | 奉天 | 新京 |
| 特急「あじあ」 | 855 | 1350 | 1720 |
| 急行「はと」 | 1000 | 1605 | 2020 |
前章で紹介した特急「富士」から関門航路と大連行き連絡船を介して特急「あじあ」に乗り継いでも、航路の距離が長いため東京から新京までは74時間20分を要し、朝鮮経由には及ばない。

「あじあ」「はと」は大連航路と接続していた
それでもやはり、大日本帝国が世界に誇る特別急行「あじあ」の存在を抜きにして満洲国や戦前の鉄道を語ることはできない。
特急「あじあ」は蒸気機関車牽引列車でありながら、昭和初期の段階で現代の特急電車と同等の最高速度130km/hを実現していた伝説の存在である。
大連~新京間の701㎞を8時間25分で結び、表定速度(途中停車時間も含めた平均速度)は83.3km/hに達した。
この数字は現代の特急列車でも速い方だ。
なお、内地の特急列車の表定速度は60㎞/h台後半がせいぜいだった。
「あじあ」の特筆すべき点は速さだけにとどまらない。
当時としては世界的にも珍しい、全車両に空調設備を備えていた列車だったのである。
内地の車両がこの水準に達するのは、1958年に登場したブルートレインの元祖の20系客車や初の電車特急151系を待たなければならない。
明治時代に北海道が日本の領土として組み込まれた時、それは確かに「新大陸」であった。
しかし当時の我が国の工業水準は未熟で、鉄道建設はお雇い外国人が中心となって進められ、車両や設備も輸入に頼っていた。
1931年に建国された満洲国は、いわば近代日本にとって「第二の新大陸」となった。
重工業が既に発展していた昭和初期、日本の鉄道技師たちは制約の多い山がちな内地の国土ではなく、満洲の広大な地でその能力を如何なく発揮することができた。
そして南満州鉄道は単なる鉄道会社ではなく、観光業・炭鉱開発など満洲国の開発全般を担った巨大複合企業で、植民地経営という点では「日本版東インド会社」ともいえる存在だったのだ。
世界水準のスピードと設備を誇った特別急行「あじあ」は、そんな南満州鉄道の象徴なのである。
欄外に当時の世相が垣間見える
この満洲支那汽車時間表では、満洲国のページ上部に簡素な棒状の路線図が掲載されており、そこには名所などのイラストも添えられている。
山や川などの自然地形の他、城や記念碑など戦地跡も多い。
また温泉マークも随所に描かれていることから、日本による観光開発が進められていたことが窺える。

またページの余白には満洲国での税関についての注意書き、各都市の説明や観光コースの案内も載っていて、ガイドブックの要素まで見受けられる。
旅館案内やホテル・商店の広告にもそれなりのページが割かれている。
満洲国についてはこのように平和な調子なのだが、その先、「支那方面旅行者の心得」というコラムは対照的に緊迫した情勢が垣間見られる。
例えば
「大国民の態度を持し徒に支那民衆を蔑視せず、見聞せる軍の機密等に関しては濫りに放言することなく、且慰問視察の名を借りて私利を図る等の事なき様、充分戒心の上旅行することが望ましい。」
とある。
また「渡支制限の現況」として
「今後の渡支者は新秩序建設に直接且積極的に協力を必要とする者に限られ不要不急の一般旅行者又はその他の理由に基くものも緊急止むを得ざるものの外は極力之が制限を受けるものである。」
という、何やら近年の日中対立を想起せずにはいられない告知もある。
「新しい戦前」の鉄道は?
大日本帝国の日満経済圏やドイツの中東欧の生存圏という地理的に一定のまとまりを持った排他的な「ブロック経済」は、鉄道というシステムにとって実に居心地の良い世界だったのかもしれない。
それどころか他に競合しうる有力な交通機関もなかった当時、鉄道はまさに唯一無二の輸送の王者であった。
タレントのタモリ氏が「新しい戦前」という示唆に富む言葉で現代社会を表現したのは2022年のこと。
アメリカが内向きになり、ヨーロッパがそのアメリカへの信頼を失い、中国はユーラシア大陸に跨る「一対一路」計画を進め、自由で開かれたグローバル経済は過去のものとなりつつある。
もし再び鉄道の重要性が大幅に高まったとしたら、それは20世紀前半の歴史の反復となるのだろうか?

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