ソ連の残り香を運ぶ夜行列車、ブカレストからキシナウへ「プリエテニア号」個室寝台車に乗る

ロシア・旧ソ連

ヨーロッパ南東部のルーマニアと旧ソ連のモルドバ。
両国の首都間(ブカレストとキシナウ)を、「友情」を意味する夜行列車「プリエテニア(Prietenia)号」が毎日運転されている。
この列車はヨーロッパに乗り入れる最後のソ連式寝台車として、海外でも知る人ぞ知る存在である。
しかも国境駅で各車両の台車ごと履き替えるという、非常に珍しい作業も経験することができる。

2026年4月下旬、そんなプリエテニア号にブカレストからキシナウまで乗車した。
本記事では実用的な内容に続いて、実際の乗車記を綴っていく。

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ルーマニアとモルドバの「友情」

ルーマニアのブカレスト北駅からモルドバのキシナウ駅まで、夜行寝台列車が毎晩運転されている。
旧ソ連のモルドバは公用語がルーマニア語で、歴史的・民族的にルーマニアと非常に関係が強い。
そのため、両国首都を結ぶ列車には「友情」を意味する「プリエテニア(Prietenia)」という名前が付けられている。
所要時間は13~14時間で、夕方に出発して朝目的地に着くダイヤが組まれている。

「プリエテニア号」の特徴は何と言っても、ソ連の面影を色濃く残した旅情が味わえる点である。
車両はモルドバ国鉄のレトロな客車が使われている。
ロシア・ウクライナへの旅行が事実上不可能な今、プリエテニア号はヨーロッパで唯一ソビエトの残り香を体験できる貴重な夜汽車なのである。

また、国境駅ではパスポートコントロールの合間に台車履き替え作業がある。
というのも、ルーマニア(ヨーロッパ規格)とモルドバ(ロシア規格)では線路幅が異なるためである。
国境の存在自体を意識することが減ったヨーロッパにおいて、これもやはり珍しい光景だ。

両国では使用する通貨が異なる。
有難いことに、キシナウ駅には朝でも営業している両替所があった。
ブカレストの両替所でもモルドバ・レウを扱っているところは意外と少ないが、無理してルーマニアでする必要はない。

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【車内・サービス】個室寝台車と食堂車から成る

「プリエテニア号」の設備は全て個室寝台車だ。
今のスマートなヨーロッパの車両はない、古き良き寝台車の空気が今も流れている。
個室には2段ベッドが2つ並ぶが、予約時に何人で使用するか選べるので、1人・2人でも他人と共有することなく個室を専有できる。
他のヨーロッパの個室と違って、部屋に洗面台はない。

この列車は食堂車も連結している。
フルサービスではなく、売店と立ち席テーブルがある軽食堂車だ。
モルドバ名産のワインの種類も多い。
乗車記の章で触れる通り、本格的なホットミールも提供している。
ただ英語のメニューはなく、乗務員が英語を話すことも期待できないので、ルーマニア語かロシア語ができなければ注文するのは難しいだろう。

食堂車は23時閉店、翌朝は営業していなかった。

なおシーツと毛布が配られるのみで、朝食・アメニティ・お茶などのサービスはない。
食堂車があるとはいえ、水の用意だけは忘れないようにしよう。

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予約はルーマニア国鉄のサイトから

キシナウ行きでもブカレスト行きでも、「プリエテニア号」の予約はルーマニア国鉄のサイトから行うことができる。
予約全体の流れとしてはウィーン発ブカレスト行きの「ダキア号」と同じなので、そちらのページを参照してい欲しい。

「プリエテニア号」は設備が個室寝台車しかなく、同じ区間を走る他の列車もないため、予約方法はもっとシンプルだ。
私が一人用個室で利用した際の料金は約290ルーマニアレウ(≒10,000円)だった。
西欧では一人用個室に乗ると5,6万円は当たり前なので、それに比べるとかなり安いといえる。

支払いが完了した後も、自身のアカウントの”My orders”にある予約一覧から、A4チケットを生成してダウンロードするという手間が必要になる。
予約完了メールそのものはチケットとして認められないのでくれぐれも注意しよう。

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乗車記

ブカレストに迷い込んだソ連の空気

夕刻で慌ただしいブカレスト北駅(Bucuresti Nord)
プリエテニア号の出発ホームが判明したのは、発車10分前になってからだった。
編成の後方にはキエフ行きのウクライナの客車が数両、その前方にモルドバの客車が続く。
いずれも国旗の青と黄色にちなんだ塗装なのだろうが、それにしても外観が似ている。

先頭にはルーマニアの座席車も連結されていた。
ルーマニアはヨーロッパ規格、モルドバ・ウクライナはロシア規格なので、ルーマニアの車両だけサイズが小さい。
電気機関車はハンガリー方面からブカレストに至る幹線で使用されていた新型と違って、顔が真っ黒に煤けた歴戦の老兵だった。
ルーマニアでさえ新型車両が増えた現在となっては時代から取り残されたような夜汽車だが、気合の入った編成ではある。

手前がルーマニアの客車

一通り列車を観察したところで車内へ乗り込むと、デッキには石炭の匂いがたちこめていた。
機器・備品も散乱しており、デッキはさながら用具室のようだった。

しかし客室に入ると一転して、木目調の壁にカーテン、カーペット、ドライフラワーに飾られたレトロでシックな通路が迎えてくれる。
オーストリア国鉄の「ナイトジェット」などに乗った人なら、「まだヨーロッパにこんな古めかしい寝台車があったのか」と驚くに違いない。

部屋もやや古さを感じさせるが、温もりのある雰囲気だ。
スイッチこそ物理的に壊れかけていたものの照明は付いたし、充電コンセントも使えた。
窓側にある大きなテーブルが旅情を搔き立てる。

定刻より4分遅れの19時10分、列車は重い腰をあげるように出発した。
国際列車らしい貫禄のある態度を見せつけながら、悠然とブカレスト北駅を後にする。

まもなく警察官のような制服を着たモルドバの車掌が検札に来た。
eチケットの二次元バーコードを読み取るのかと思いきや、チケット番号と行き先をメモ帳に書き写している。
列車の見た目、内装、検札のやり方、全てが1980年代にタイムスリップしたように思えてくる。

列車の速度はせいぜい100㎞/hといったところか。
重量感のあるレールのジョイント音とバウンド加減が、床から体に伝わってくる。
窓を開けてビール片手に五感で汽車の息遣いを浴びる。
たまらない乗り心地だ。

ソ連式レトロ夜汽車はトイレもソ連式だった。
日本からは消えて久しい「垂れ流し式」というタイプだ。
これは水洗式ではなくて、ペダルを踏むと便座の底が開いて汚物を直接外へ排出する方式である。
このタイプの場合、駅停車中はトイレ使用不可になることが多い。

食堂車にて5か国10人でカンパイ

食堂車に行ってみよう。
それまでにスリリングな車両連結部を何度か渡らなければならなかった。
継ぎ目に空いた穴は広く、しかもよく揺れるしドアは固い。
先ほどまで遅く感じた列車が、今や恐ろしい高速で走っているようである。

食堂車のカウンターでモルドバワインを購入して部屋に戻ろうとすると、向こうの立ち席テーブルで談笑していた集団が英語で「おい、こっちに来いよ!」と声をかけてきた。
ルーマニア人3名・イタリア人3名・オーストリア人2名の酒盛りに加わる。
すぐに「Cheer!は日本語で何と言うんだい?」と聞かれた。
そうして、狭い食堂車に4か国9名の「カンパイ!」が響き渡った。

メンバーは20代から30代で、イタリア人3人はシチリアからの男性とミラノからのカップルだった。
20代前半と思しき女性は「紅一点」だったが英語ができないらしく、終始黙って社交的で明るい彼氏の傍でコーラを飲んでいた。
オーストリア人は学生の友人同士。
私がウィーン・ザルツブルクだけでなくリンツも訪れたことがあると軽く自慢すると、なんと彼らは出雲大社や直島に去年行ったというではないか。
直島が香川県の離島だと、いったいどれだけの日本人が知っているだろう?

ルーマニアの3人は博識だった。
本来ルーマニアであるはずのベッサラビア(今のモルドバ)が、露土戦争(1877~1878)の結果ロシア領になってしまった不自然さや理不尽を熱く語る。
実際にルーマニアとモルドバの言語の違いはアクセントが少し異なる程度だという。
私も世界史を予習していたものの、露土戦争をクリミア戦争(同じ19世紀後半に同じロシア帝国とオスマン帝国が交戦した)と混同しているのを指摘されて冷や汗をかいた。

「そういえば最近、モルドバの大統領がルーマニアとの統合について話していたが?」と話を振ると、
「一部にそういう人もあるが、実現する可能性は低いだろう。それにルーマニアのユーロ導入もインフレ率が高いから難しいと思うな。」
それまでの熱意と比べて意外と素っ気ないというか、冷静な見方だった。
威勢の良い政治家のレトリックとは対照的に、東欧の賢い人は「理念」(両国は同胞)と「現実」(性急なヨーロッパへの接近は国内分裂を招き、それをロシアなどの大国に利用される)の区別というものが体に染みこんでいるとしばしば感じる。

場がいよいよ盛り上がってきた頃、カウンターに若いアジア人男性が一人やって来た。
「あいつも日本人じゃないか?呼んでこいよ。」と彼らが私の背中をつつく。
果たして、私が呼び止めたのは中国人だった。
「ご一緒しませんか?」と誘うと彼も来てくれた。
食堂車がまた一段と歓喜に包まれる。

今度は中国語で乾杯しようということになって、5か国10名で「カンペイ!」。
日本語と中国語がほぼ同じだったので皆驚いた。
「我々は同じ文字を使うんですよ。」と解説する。

次から次へとボトルワインが運び込まれていく。
そして南東ヨーロッパで人気のあるチェバプチチという、スパイスを混ぜた小さなハンバーグまでテーブルを賑わせた。
ただの売店くらいにしか思っていなかった食堂車が、まさかホットミールまで提供しているとは恐れ入る。

話を聞いていると、ルーマニア人以外のメンバーにとって今回の目的はキシナウに行くことではなく、この列車に乗ることだった。
彼らからは「鉄道ファン臭さ」は感じられなかったが、「プリエテニア号」には一般人にも乗ってみたいと思わせる魅力があるのだと、つくづく実感した。
23時で食堂車が閉店になったので、それぞれ自身の部屋に戻っていった。

深夜の国境駅での台車交換劇

深夜の3時半頃、国境のウンゲニ駅(Ungheni)でルーマニア側のパスポートコントロールがあった。
スーツケースを開けさせられたり、現金をどのくらい持っているか聞かれた。
1時間後に出発し、10分後に今度はモルドバ側のパスポートコントロールが行われた。
パスポートは係員に預けたままである。

ここで各車両を分割して台車履き替え作業が始まる。
何度も行ったり来たりしながら、車両はガタガタと激しく揺さぶられた。
外では入換え用機関車の合図の汽笛がずっと暗闇に響いている。
作業員が車内に入って来ると、今度は小刻みに震え始めた。

ふと外を見ると、隣にある車両が低い位置に見える。
それまで重力の変化は感じなかったが、乗客を乗せたままこの車両がジャッキアップされていることに、今ようやく気が付いた。
反対側には交換用の台車がズラリと並んでいて、深夜の軍需工場に忍び込んだような雰囲気だ。
床からはドリルの振動と工具の金属音が鳴り続けている。

それにしても、せいぜい100人程度の乗客のために毎日こんなことをやっているのかと考えると、頭が下がる思いだ。
ルーマニアの兄弟国家を結ぶ列車を運行するために、相当なコストと人員が割かれているのである。

モルドバの首都キシナウへ

もう明るくなった6時過ぎになってようやくパスポートが返された。
しばらくして、台車を新たにした列車はモルドバへと足を踏み出した。

初めて訪れるモルドバの土は黒かった。
ブカレスト付近のワラキア平野と比べて起伏の多い地形である。
モルドバの機関車がおならのような気の抜けた汽笛を鳴らしながら、40~60km/hほどのスピードでのんびりと走る。
真夜中はとても寒かったが、車掌が石炭ストーブを焚いてくれたらしく、車内は暖かくなっていた。

市街地に入り、宇宙船のような不思議な形をした建物が見えてくると終着キシナウ駅(Chisinau)だ。
定刻より僅か7分遅れの8時51分。
ウクライナの客車はウンゲニ駅で切り離されていて、モルドバの車両だけになっていた。
キシナウ駅はアーチ形のデザインを取り入れた優美な佇まいだが、よく見ると社会主義時代の重厚な面影も感じる面白い駅だ。

昨夜の食堂車のメンバーと再会した。
少し言葉を交わした後、ホテルを探す者、ホテルまで歩く者、バスに乗る者と別れていった。
「アリガトウゴザイマシタ。カンパイ!」とルーマニア人たちが最後に叫ぶ。

キシナウ駅外観

プリエテニア号が繋ぐ「友情」は、ルーマニアとモルドバの国同士のものだけではなかった。
この時代遅れな列車は、乗客同士の友情をも運んでいるのだ。




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