【中途半端こそが個性】特急スーパーおきと普通列車で行く山口線の乗車記

ローカル線

山口線は山陽本線の新山口駅と、山陰本線の益田駅(島根県の最西部)を結ぶ路線です。
中国地方の山陽と山陰を繋ぐ陰陽連絡線の一つで、途中には山陰の小京都で知られる津和野があります。
また、「SLやまぐち」が運転されていることでも有名です。

山口線の構成を表現するのは難しいです。
まず、新山口~宮野(山口の2つ先の駅)までは山口市の市街地を走る区間と位置付けられます。
その先は峠越えはあるものの途中に盆地が介在したりと、明確な特徴はないままに益田に着くような感じになります。

2021年10月に、益田から特急「スーパーおき」で津和野で下車、暫く観光した後に普通列車で新山口駅を目指しました。

青線が山口線。
国土地理院の地図を加工して利用。
スポンサーリンク

益田~津和野

陰陽連絡の機能も持つ「スーパーおき」

本記事で津和野を境に章を区切っているのは、私が旅程上途中下車したことと、津和野までが島根県であることが理由で会って、ダイヤ上は津和野で大きな断絶があるわけではありません。
普通列車は1日7往復とあまり本数が多くなく、日中は4時間以上間隔が空くこともあります。
その他に特急「スーパーおき」が1日3往復設定されています。
益田~津和野の距離は30㎞少々と短く、特急の所要時間は30分、普通でも40分程度です。

「スーパーおき」に使われるキハ187系は、グリーン車無しの2両編成と大変質素な車両で、山陰西部の輸送需要の小ささという厳しい外部環境を示しています。
この列車は新山口駅で新幹線と連絡し、北九州・山口県西部~山陰のルートとしての役割も担っています。

乗車記:ダラダラと山地を登る

前日は益田駅前のホテルに宿泊。
近くの海沿いでは住宅や工場が見られますが、反対側にはすぐ山が迫っています。
この益田平野とて山陰西部ではほぼ唯一の河口部の沖積平野なのですから、この地域の人口が少ないのも当然です。

駅前のホテルから見た益田駅

僅かな客を乗せて8時58分、「スーパーおき1号」が益田駅を出発しました。
すぐに山陰本線から左側に分かれて、山間部へと入っていきます。
もっとも本線という「格付け」はともかく、特急が撤退して本数も少ないこの先の山陰本線よりも、実態としては山口線の方が重要度が高いといえます。

石見横田駅を過ぎると、列車は高津川をさかのぼって走ります。
主に進行方向右側に川が流れ、その向こうには石州瓦の民家が並んでいます。

着実に坂を登って行きますが勾配は緩く、景色の変化には乏しいです。
しかし別に車窓が悪い訳ではなく、山の緑、赤茶の屋根、そして山陰らしからぬ青く澄んだ空が織りなす景観に飽きることはありません。

9時30分、津和野駅に到着です。
次の次となる12過ぎの普通列車の発車時刻まで、津和野観光に充てることにしました。

当サイトでは観光案内は割愛していますが、津和野は小さな城下町なので数時間でも満喫することができます。
近くにはやはり城下町の萩(山口県)がありますが、こちらを堪能するにはある程度の歴史知識が要求されるのに対して、津和野市街の美観は理屈抜きで楽しむことができます。

太鼓谷稲成神社からの津和野盆地と市街の眺め
スポンサーリンク

津和野~新山口

山口からは普通列車の本数が増える

津和野から先は相変わらず普通列車の本数が少なく、日中は4時間以上も間隔があります。
しかし、沿線人口が増える山口、またはその2つ前の宮野からは本数が増え、地方都市近郊らしいダイヤになります。

普通列車で津和野から山口まで1時間強、山口から新山口までは25分程度です。
特急「スーパーおき」の場合はそれぞれ50分、15分程度になります。

乗車記:過ぎ行く津和野盆地の絶景

山の中から1両編成の国鉄型ディーゼルカーがやって来ました。
やはり車内はガラガラです。

ここから列車は高度を上げながら、津和野市街地を眺めて走っていきます。
右手の山腹に太鼓谷稲成神社の連なった鳥居と津和野城址が見えます。
津和野駅を出てからの数分が、山口線の車窓のハイライト区間といえましょう。

気分が盛り上がってきたところで、津和野で買ったお酒を取り出します。
蔵のラインナップの中ではシンプルな方らしいですが、なかなかコクがあります。
ところで、2日間の間に10種類以上の銘柄をいただきましたが、島根県の日本酒は全般的においしいです。
地元の人に聞くところによると、特に出雲地方は昔から神様にゆかりがある関係で、酒造りも盛んだということです。
気候のみならず宗教的要素まで影響しているとは、やはり地酒というものは味わい深いものです。

津和野から10㎞先にある船平山駅の少し手前で山口県に入ります。
その後は盆地が開けて、暫くは比較的平坦な道を走ります。

付き添うことになるのは阿武川あぶがわ
だんだんと山間部になっていきます。

長門峡駅ちょうもんきょうあたりではそれなりの渓谷美を見せてくれます。

篠目駅しのめからはいよいよ勾配がきつくなって、最後の山越えに取り掛かります。

やがて視界が開けて、にわかに住宅が多くなると宮野駅に到着です。
反対方向の特急列車の通過待ちをしている間、1両編成のディーゼルカーにどんどん人が乗って来て、あっという間にドア付近には立ち客が出てしまいました。
やはり山陽側には人が沢山いるなと思わせます。

「新」が付いていない方の山口駅で乗り換えです。
街としては活気がありますが、駅は外観も内部も国鉄風で時代遅れの雰囲気です。
新山口行きの列車も同じく1両編成でした。
なんとか座席を確保できましたが乗客は増える一方で、この日(日曜日)は明らかに需要と供給のバランスが崩れていました。

このまま市街地を走り続けるのかと思いきや、途中の仁保津駅にほづ付近には意外と丘陵地がありました。

しかしすぐに景色は街になり、車内はもう大混雑です。
これが「裏日本」と「表日本」の差異なのでしょうか。
言葉尻を捉えて「差別的表現だ」などとポリコレ(ポリティカルコレクトネス)ごっこに興じたところで、現実に向き合わなければ何の意味もありません。

さて、広大な車両基地を右手に見ると、終点の新山口駅に到着です。
もとは小郡という駅名でしたが、「のぞみ」が一部停車するようになったのを機に現在の駅名になりました。

大動脈の山陽本線も、この辺りでは国鉄型の古い車両ばかりが使われています。
一般的に西日本では古い車両を大事に長く使いますが、中国地方ではそれが顕著です。

スポンサーリンク

凡庸さを見出された山口線

山口線は、陰陽連絡線としては伯備線と比べると脇役で、沿線風景も退屈ではないものの、明確な個性には欠けるところがあります。
そんな山口線が一躍脚光を浴びるようになったきっかけは、1979年の「SLやまぐち号」の運転です。
今では各地で見られるSLの動態保存も、その先駆けとなったのがここ山口線なのです。

津和野駅で保存されている蒸気機関車。
この日はお化粧中だった。

山口線がSL復活の地に選ばれたのは、①終着駅が観光地(津和野)である、②煙を吹き上げるために適度な勾配がある、③沿線に過度な住宅がない、④低速の観光列車を走らせてもダイヤ上のネックにならない、⑤(そして鉄道会社にとってはこれが一番重要なのだが)起点が新幹線の駅になっている、といった理由が挙げられます。
この「便利さと不便さを兼ね備えた」山口線の立地条件こそ、何とも形容しがたい曖昧な路線の性格そのものであるように思われます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました