南国宮崎を象徴するような路線が、南宮崎から大隅半島の志布志(鹿児島県)に至る日南線です。
明るいリゾート風の景色はもちろん、鬱蒼とした亜熱帯植物の茂る内陸部の車窓も楽しむことができる路線です。
2024年2月、日南線の快速「日南マリーン号」で宮崎から志布志を目指しました。
その日は曇り空だったのですが、後日晴れた日に途中の飫肥駅まで乗りました。
本記事では「日南マリーン号」の乗車記をベースにしながら、晴れた日の写真も挿入しています。
なお、「日南マリーン号」は2024年3月のダイヤ改正から、宮崎発が昼間ではなく午前中になるのでご注意ください。
車両はキハ40系1両編成、青島駅までは比較的混雑
「日南マリーン号」は1日1往復だけ設定されている日南線を走る快速列車です。
列車名は付いているものの、車両は他の日南線の列車と同じでボックスシートの並ぶキハ40系の1両編成、特別な塗装もありません。
車内にはトイレがあります。
宮崎から志布志までの所要時間は2時間半弱で、これはダイヤ改正後も変わりません。
実際に快速運転をするのは飫肥までで、以南は各駅停車となります。
日南線の宮崎寄りには子供の国や青島といった行楽地があるので、宮崎発の最初の方は平日でも混雑する傾向にあります。
しかし南に行くほど乗客は減り、飫肥や油津以南はかなり空いていることが多いです。
よって、宮崎発の時点で海側の窓側に座れなくてもあきらめずにチャンスを待ちましょう。
乗車記【途中下車なら飫肥駅がおすすめ】
乗車記の前に要点だけ記します。
- 海がよく見える絶景区間は3カ所、①内海駅~小内海駅、②油津駅~南郷駅、③福島高松駅~志布志駅。バランスよく配置されている。
- 青島駅までは結構混雑する。南に行くほど空いてくる。
- 青島・飫肥など途中下車して楽しめる駅がある。
- ざっくりした全体の車窓イメージは北半分が南国リゾート風、南半分が亜熱帯植物が生い茂る山里
鹿児島から特急「きりしま」で宮崎駅に着いたのが午前11時。
早めの昼食に宮崎牛ハンバーグか鶏の炭火焼か悩んだ末に後者を選択。
ハンバーグは後日宮崎駅に来る時のお楽しみとした。
お行儀・お作法といった堅苦しいことを忘れ、骨付きもも肉を動物的本能に従っていただいた。
時間が余ったので立ち飲み屋で焼酎をひっかけ、出発の10分前にホームに向かう。
列車が入線したのは発車の5,6分前で、海側の窓側座席を確保することができた。
大きなスーツケースを持った外国人も含め車内は結構混んでいる。
土曜日だからだろうと思ったが、後日平日に乗った時も同様かそれ以上の乗車率だった。
12時30分、宮崎駅を発車。
幕開け早々に大淀川をゆったり渡る。
南宮崎駅からも乗って来る人が多く、通路に立っている客もいる。
正式には南宮崎駅までは日豊本線で、ここから先が日南線だ。
列車はしばらく宮崎平野の南端を走る。
整然と並んだ背の高い檳榔樹を従えた道路の先には空港や野球場がある。
乗車前に寄った立ち飲み屋で聞いた話では、この時期(2月)は各球団のキャンプが行われるので全国から見学客が来て、ホテルも値上がりするらしい。
「2月には宮崎に来ない方がいいですよ。」とのことなので、野球に興味のない読者は注意されたし。
中学校の地理で学んだ通り、促成栽培(出荷時期を通常より早くすることで商品価値を高める栽培のこと)のためのビニールハウスが目立つ。
ちなみに私はゴーヤが好きで、旬の季節の倍の値が付く冬でも日常的に購入しているので、この辺の農家の経営にはそれなりに貢献しているつもりである。
海が見え隠れする頃に子供の国駅に到着。
大学生くらいの青年たちが降りて行った。
先に降りた奴が物陰に隠れて後ろから来た奴を驚かせたりと、顔とやっていることは本当に子供と変わらない。
次の青島駅でも多数降りた。
若く健康的だった客層も、だんだんと「ローカル然」としてきた。
しばらく針葉樹や亜熱帯植物に覆われた山中を走ると、本格的に海沿いの線路となる。
快速は両方とも通過するが、内海駅~小内海駅が日南線の絶景区間だ。
風が強く波しぶきも豪快で、背の高い檳榔樹が不安げに揺らめいている。
「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状の岩礁が水面に見え隠れしていた。
その後列車は海に背を向け内陸を目指していく。
渓谷沿いの山間部を抜け、少し開けたところで飫肥駅に到着する。
本章の乗車記では終点まで「日南マリーン号」を乗り通しているが、途中下車するなら飫肥駅がおすすめだ。
私はこの数日後に飫肥を訪れた。
飫肥は伊東藩5万石の城下町で、苔むした石垣や門が復元されている。
街を見渡す城というより、杉並木に覆われた神社のような雰囲気だ。
慇懃な趣のある城内では、木立のざわめきだけが聞こえる。
しばらくすると、その静寂を打ち破るように子供たちの声が響いてきた。
なんと本丸跡が小学校になっているのだった。
さて、飫肥からは珍しく市街地を走り工場も見られる。
日南駅では目の大きな南国風の顔立ちの娘たちが乗ってきて、車内は賑やかさを取り戻すかに思えた。
しかし次の油津駅で多数の客が降りてしまう。
距離としてはこの辺りが半分くらいだが、ようやく「車内が空いているな」と感じられる混雑具合になった。
日南線では油津が終点の列車もあるから、ここを境に輸送量の格差があるのだろう。
後半戦の始まりと共に二回目の絶景区間が訪れる。
海岸に出て油津港を過ぎると、沖には七つ岩と呼ばれる奇岩が並んでいる。
明るい風景とは裏腹に、この辺りはかつて人間魚雷「回天」の特攻基地があったという。
再び列車は内陸へ進んでいく。
一段落ついたところで宮崎駅で買った地ビール「栗黒」を開けた。
栗を使用したスタウトビールという珍しいスタイルで、アルコール度数も9%と高い。
「ビールを飲む」というよりは、食後のデザートにモンブランケーキとコーヒーを味わっている感覚に近い。
値段は1,000円越えと今まで見た市販のビールで一番高いが、酸味と甘味のバランスも申し分なく、国際大会での受賞歴多数との肩書は伊達ではない。
雲はますますどんより重たくなってきた。
こんな天気だが、しっとりとした民家とどっしりとした味わいのビールがよく合う。
集落を囲う山の斜面には伐採と植林をした跡が見られる。
林業は宮崎県の特色ある産業で、この地方では特に盛んだそうだ。
山越えの途中に榎原という駅がある。
私はコロナ騒動真っ最中の2020年9月にも日南線に志布志から宮崎まで乗ったことがあり、その時に行き違いでしばらく停車したので印象に残っている。
ソテツや針葉樹、そして竹林に閉ざされた駅には意外と立派な駅舎がある。
無人駅化される前に使われていたであろう切符売り場や待合室を覗いてみると、内部は荒れ果てて化け物屋敷のようだった。
もし人形でも落ちていたら絶好の心霊スポットになるだろう。
急勾配・急曲線が続く。
「南国リゾート風」な雰囲気を演出していた北半分と比べると、日南線の南部は照葉樹や亜熱帯植物がさりげなく群生する。
前者が表向き、後者が地の風景といったところか。
山越えが終わって日向大束駅からは平地となり、ここから海を目指して南下する。
水田は少なく茶畑の方が目立つ。
串間駅周辺は小さな市街地で、降りる人が多かった。
終着まであと10㎞を切った福島高松駅あたりから再度海が見える。
ラストスパートで第三絶景区間が来るという熱い展開となる。
志布志湾に落ち込む断崖から、トンネルの合間に砂浜を見下ろしながら走ると大隅夏井駅。
忘れてしまいがちだが、旧国名が示す通り日南線の末端部は鹿児島県だ。
左手は志布志港と市街地が見えてくると、列車も急勾配で海と同じ高さまで舞い降りていく。
壮大なラストスパートの末に辿り着いたのは、みすぼらしい終着志布志駅だった。
ここで降りたのは5,6人だった。
列車や駅の写真を撮っている人が結構いた。
実は1987年3月まで、この駅からはさらに大隅線(志布志~鹿屋~国分)と志布志線(志布志~西都城)が延びていた。
当時の駅舎は現在の駅舎を背に少し歩いた場所にあった。
旧機関区の跡地は志布志鉄道公園になっていて、蒸気機関車やディーゼルカーが保存されている。
よく整備されて広々とした公園が、今やホームが一つだけの志布志駅が大隅半島の鉄道の要衝だった時代を語りかけてくるようだ。
大隅半島で廃止を逃れているただ一つの路線
飫肥を支配した伊東家は隣国の強大な島津家と対峙しながらも、豊臣秀吉や徳川幕府といった時の権力者へ積極的に働きかけるなど、巧みに振る舞うことで江戸時代を生き延びました。
飫肥藩初代藩主の伊東祐兵が行った植林事業は、今でも飫肥杉の美林としてこの地域に収入をもたらしています。
多分に漏れず、過疎地域を走るローカル線の日南線をとりまく環境も厳しさを増しています。
ここは大隅半島に唯一残った鉄道として、飫肥藩さながらの「弱者の生存戦略」で廃線は避けたいところです。
観光列車「海幸山幸」(私個人はこの類の列車には乗らないが沿線活性化に効果があることは理解できる)が足を延ばさない、そして特に経営状態の悪い南郷駅以南の魅力がもっと知られて欲しいものです。
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