かつて米原駅(滋賀県)から直江津駅(新潟駅)までの360㎞を結び、日本海を縦貫する幹線としての役目を果たした北陸本線。
2024年3月に北陸新幹線が敦賀まで延伸したことで、今や米原駅~敦賀駅(福井県)の僅か50㎞に満たない区間が残されたのみです。
並行在来線となった敦賀駅~直江津駅では、第三セクター鉄道として北陸4県がハピラインふくい・IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道・えちごトキめき鉄道をそれぞれ運行しています。
2024年3月中旬、北陸新幹線初乗りの帰路に、敦賀から直江津までこれら4社線を利用して敦賀から直江津まで日本海に沿って辿りました。
本記事では車窓や混雑具合の他に、フリーきっぷやIC乗車券に関する話などを実際の乗車記と共に解説していきます。
新潟県以外の区間は交通系ICカードが使えるが、利用可能エリアに注意
まずは交通系ICカードと乗車券の話から。
旧北陸本線が各県の第三セクター鉄道に譲渡されたため、運賃は会社ごとに徴収されます。
始発地と最終目的地までの通算で計算されないため、JR時代と比べて割高になります。
また同一会社線内であっても乗車券で途中下車することはできません。
4社のうち、ハピラインふくい・IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道は交通系ICカードを利用することができます。
一方新潟県のえちごトキめき鉄道は非対応になっています。
エリア内であれば県を跨いでも使えるので、面倒な駅の清算を避けることができます。
ただし、「エリア内」という意味に注意が必要でして、ハピラインふくい線各駅からIRいしかわ鉄道を通過して、あいの風とやま鉄道線各駅まで直行することはできません。
よって敦賀駅から直江津駅まで行く場合、IRいしかわ鉄道線内の駅(例えば金沢駅)で一旦下車し、市振駅(IRいしかわ鉄道の販売範囲の東端)までの紙の切符を買って、直江津駅の窓口で残りの乗車分を清算、が最低限必要になります。
またそれ以外にも、各会社線毎にICカードを利用できるJR線の範囲が決められています。
詳細は以下のリンク先をご覧ください。
北陸3県2Dayパスは格安かつ便利
3社でICカードが使えるといっても条件がややこしくて案外不便だな、と感じた人もいることでしょう。
そこでおすすめするのが、お得で便利な「北陸3県2Dayパス」です。(なぜか2Daysではない)
商品名が示す通り、ハピラインふくい・IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道の3社線が連続する2日間乗り放題になる切符(デジタルチケット)です。
料金は2,800円で、敦賀~越中宮崎(富山・新潟県境の駅)の合計運賃が5,000円を超えることを考えると非常に安いです。
また各県内の博物館や観光地でも入館料が割引されるなど特典があります。
「こんな切符を待っていた」という読者の声が聞こえてくるようです。
ただし、いつでも使えるわけではありません。
利用期間は土日祝日とその翌日及び多客期です。
また発売期間は2025年3月までとなっているので、是非この機会に北陸を巡りましょう。
恥ずかしながら、私は有効期間内に敦賀から直江津まで乗ったにもかかわらず、この切符を知ったのは後日でした…
車両は快適なクロスシートの521系
ハピラインふくい・IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道の3社では、承継元のJR西日本で使われていた521系という車両が運用されています。
関西の新快速を短くしたような電車で、車内は快適なクロスシートです。
塗装は各社によって異なります。
西日本と東日本の境に位置し、電化方式が複数に跨るえちごトキめき鉄道だけは、新製された1両編成のディーゼルカーが使われています。
こちらも見た目は521系にとても良く似ていて、特段車両に興味が無い人なら違う形式だと気付かないでしょう。
やはり車内はクロスシートになっていて、たまにボックスシートの車両があります。
乗車記
乗車記の前に、前の章の内容も含めた要点だけまとめておきます。
- 開業間もないためか、団体客もいて主要駅前後は通路まで混雑していた
- 「主要駅から乗ると混雑してる→だんだんと客減る→県境を越えると学生が乗って来る→観光地や中小都市に着くたび増えていく」パターンが多い
- ICカード乗車券を使う時は利用可能エリアに注意
- 車両はクロスシートなので快適
- 車窓は全体的に単調。富山以東は富山平野と立山連峰、そして日本海が見所。
北陸新幹線敦賀開業から間もない平日。
前日は新規開業区間の初乗りも兼ねて、「かがやき」と「サンダーバード」を乗り継いで東京から大阪まで移動した。
今日は大阪からまた「サンダーバード」で敦賀まで行き、今度は新幹線ではなく旧北陸本線の並行在来線のみで新潟県の直江津まで行く。
敦賀駅には9時3分に着いた。
新幹線駅舎の下のホームから一度駅を出て駅舎の写真を撮って、券売機でハピラインふくい線の端の大聖寺駅までの切符を買い(今思えばSuicaでよかった)、福井行きの電車に乗り込んだのが9時11分。
特急から新幹線はコンコースを経て駅舎内を上に移動するだけなので、8分は途中で買い物をする余裕もある。
福井行きの電車は2両編成。
大きく右に湾曲するホームは、北陸へのアプローチとして北進してきた線路が、これから日本海沿いに縦貫していくことを示している。
9時13分、敦賀駅を出発した。
列車は酷く混んでいて団体客も数組乗っている。
行きの新幹線は金沢以西は空いていたが、開業効果はむしろハピラインふくい線の方が顕著だった。
景色が見えるドア近くに立った。
さて、ハピラインふくい線の最初にして最大の見所が北陸トンネルである。
といっても当然ながら外は何も見えないが、このトンネルは旧北陸本線を語るうえで欠かせない存在である。
1962年に開通した長さ約14㎞のこのトンネルは、在来線では最長(青函トンネル除く)を誇る。
それまでの線路は敦賀湾寄りに迂回するルートで、スイッチバックを繰り返す北陸本線最大の難所だった。
一方で敦賀湾を見下ろす景色は大変良かったらしい。
とにかく北陸トンネル開通によって、北陸本線は日本海縦貫線としての機能を飛躍的に高めたのだった。
その後、武生駅で辺りが開けた。
団体客は降りたが、まだまだ混んでいる。
地元の若者が話す関西弁は平板で素朴な響きで、敦賀まで乗った「サンダーバード」にいたビジネスマンの大阪弁とは大違いだ。
以降、田園風景に右手遠方に雪山が連なる景色がずっと続く。
10時4分に終点の福井駅に着いた。
ここで14分乗り換え時間があるので一旦降りようと考えたが、普通の乗車券なので途中下車できないことに気付く。
使えると分かっていればSuicaを使ったのだが。
福井駅を出て九頭竜川を渡り、ちょっとした峠越えをこなすと石川県の大聖寺駅。
ここからIRいしかわ鉄道の管轄だ。
県が変わったためか、学生が乗ってきた。
加賀温泉駅からは若い旅行者がたくさん乗車して、通路まで人で一杯になった。
その後も乗客は増え続けて、車内はとても賑やかだ。
なぜか女性の声しか聞こえない。
右手には白山が見える。
11時40分に金沢駅着、今度こそ途中下車する。
大聖寺駅までの切符しか持っていないので、残り区間の料金を払わなければならない。
ところが清算窓口は、福井県の駅や無人駅から乗った人で行列ができていた。
後ろの人が「なんでこんな面倒やねん。JRのままでいいやん。」と不満をぶちまけている。
私もそれを聞いて一人でうなづいていた。
駅ビルにある食堂で昼食にした。
海鮮丼は思った以上に豪華だった。
予定よりずっと早く食事が終わったので、すし屋のカウンターでのどぐろや白エビを握ってもらい、そして売店で地酒を二つ買って、締めにずっと昔からお世話になっている「白山そば」に行った。
不謹慎な皮肉であることは承知しているが、日ごろのニュースからも分かるように、「復興支援」とは便利な言葉である。
13時5分金沢発の富山行きに乗る。
この時は富山でも途中下車するつもりだったのでSuicaで入場した。
やはり混んでいた。
木曽義仲の活躍で知られる俱利伽羅峠を軽々と超える。
ここも以前は急勾配の難所だったが、新しく複線の線路を付け替えた。
トンネルの途中で富山県に入る。
その次の石動駅からは学生で混んできた。
校区が変わるのか、県境を越えると学生が乗って来るのがパターンのようだ。
石川県に別れを告げたところで、1本目の地酒「能登路」のワンカップを手にする。
あまり洗練されていないが豊かな味わいで、昔の田舎酒といった感じだった。
依然として車窓は田んぼと遠くの雪山だが、富山付近の風景は殊に印象深い。
水田に点在する民家と、それを風雪から守る屋敷林が見られる。
厳しい冬を耐え抜いた後の田園風景だった。
新幹線と一緒に神通川を渡って富山駅へ。
ここで途中下車するつもりだったが、改めてスケジュールを見直すと、乗り換え時間が2分しかないことに気付いた。
次の電車を逃すと、本数が少ない区間があるため直江津到着は1時間半も遅れる。
今回は富山は諦めて次の電車に乗った。
あいにくの混雑だが、数駅で窓側に座れた。
車内が空いてきた頃、女子高校生二人の会話が聞こえる。
「こないだ福井行った時に新幹線見たで。めっちゃテンション上がったわ~」
「うち(一人称で使われる)は今でも富山で見てもテンション上がるわ。」
「何それ?もしかして鉄オタなん?」
「キャハハハ。そんなわけないやんか!!」
鉄道ファンの社会的評価はこんなものかと思われる。
ちなみに、富山に新幹線が開通したのは2015年3月。
9年経っても新幹線を見てコーフンできるとは、本人が全力で否定している所を申し訳ないが、鉄オタの素質はあると推定せざるを得ない。
車窓右手にはまだ雪に閉ざされている立山連峰が姿を現してきた。
富山平野はその雪解け水の恩恵に預かっている。
なお左手にはときどき海が広がるが、それは後でもっとよく見えるので、この区間では立山連峰と富山平野の景色を楽しみたい。
特に滑川駅から先は車内が空いてきて、山も近づいてより迫力のある車窓になる。
ところで、富山で途中下車を諦めたのは良いとして、金沢駅からSuicaで入場したままになっている。
この後の泊駅の乗り継ぎ時間も僅かである。
新潟県からは電子マネー非対応区間なので、このままでは困る。
通りかかった若い男性の車掌に相談すると、「この車内ではどうしようもないので直江津駅で降りる時に改札で申告するように」とのこと。
本来こちらが謝るべきだが、なぜか向こうがしきりに謝っていた。
読者の皆さんは私のようにならないように気を付けていただきたい。
さて、富山県から新潟県にかけては、泊駅で明確に運転系統が分かれている。
泊駅は小さな駅で、県境も一つ先の越中宮崎・市振駅間にあるので、実に中途半端な乗換駅である。
もしかしたら車掌が「この電車は泊止まりです。」と洒落を言うためにそうしているのかと思うかもしれないが、もちろんそれは不正解である。
その理由は泊駅の手前で前面展望を見ればわかる。
それまで右手に連なっていた山脈が、富山平野を遮って海に落ちるのが泊駅の先なのである。
つまり、ここで旅客流動の断絶があるのだ。
泊駅で同じホームの前寄りに停まる列車に乗り換え。
敦賀からずっと混んでいた印象だが、今や1両編成のディーゼルカーは空いていた。
この辺りが最も乗客数の少ない区間である。
出発するとすぐに海が見える。
空も海もぼんやりと暗く、防波堤に白波が激しく打ち寄せていた。
いよいよ旧北陸本線の車窓ハイライト区間となる。
新潟県に入り市振駅を過ぎたところで親不知トンネルへ。
断崖を歩く時に親子共に互いを気遣う余裕もないことから名付けられた地名である。
かつては列車も海沿いの隘路を辿っていた。
親不知駅付近では旧線跡を見ることができる。
ここで「金沢限定」の文字に惹かれて買った2本目の酒を取り出す。
こちらは吟醸酒で、甘味も感じるが綺麗でお行儀の良い味わいだった。
新幹線も停車する糸魚川駅で20分も停車した。
この際なので、金沢駅からの清算をここで済ませた。
糸魚川は日本列島を東西に分かつ構造線、フォッサマグナが通る所でもある。
この駅で途中下車する機会があれば、人々の言葉に耳を傾けてみよう。
今までの関西弁が消えて、土地の人は標準語を話していることに気付くはずだ。
言語学的にも、関西方言と関東方言の境目は太平洋側では比較的曖昧だが、日本海側では明確にフォッサマグナで分かれている。
つまり、それだけ親不知の嶮路が人の移動を阻んできた(故にある土地の言葉が他所に伝播しにくかった)わけだ。
糸魚川からは少しだけ乗客が増えた。
黒い屋根の民家が荒涼な海岸沿いに集まっている。
雪や暗い空はもちろん、明るい空にも絶妙な陰りを与える日本海側らしい景観だ。
浦本駅からは駅周辺以外はほとんどトンネル区間という、まるで新幹線のような線路となる。
日本海の波風に襲われて幾度となく地すべりが発生していたこの区間は、輸送力増強も兼ねて防災の観点から線路は内陸トンネル経由に付け替えられた。
その結果、筒石駅は長さ11㎞余りの頚城トンネルの中へ移転した。
ようやく開けるとすぐに終点の直江津駅に到着。
ここは長野・新潟・富山方面への列車が集まる鉄道の要衝で、風格を備えた長大なホームを有している。
乗り入れるのは1両や2両の電車がほとんどだが、上越妙高駅で北陸新幹線と接続する新潟行き特急「しらゆき」も発着する。
長い旅の締めくくりに、駅弁はいかがだろうか?
直江津駅の「鱈めし」と「鮭めし」は両方とも「駅弁大将軍」(JR東日本の駅弁コンテスト「駅弁味の陣」の最優秀賞)を受賞していている。
鱈も鮭も親子の共演で、派手さは無くともその実力は肩書どおりである。
どちらも食べたいという欲張りな方のために「二大将軍弁当」もあるので、迷ったらこれを選ぼう。
ちなみに、数年前に新作の「にしんめし」も発売され、販売員も「三大将軍を狙ってるんです」と意気込みを聞かせてくれたが、惜しくも(といっても栄誉なことだが)「副将軍」だった。
駅構内で売っていなければ、製造元である駅横のホテル「ハイマート」の前で販売している。
あるいは新幹線の上越妙高駅でも買える。
なお、味付けが結構しっかりしているので、ペアリングは日本酒よりも地ビールの「エチゴビール・レッドエール」をおすすめする。
見所は景色よりも線路設備
旧北陸本線の各社線に乗っていると、意外とトンネル区間が多く車窓も単調であることに気付きます。
人によっては退屈に感じるでしょう。
これは幾つもの山越えや海沿いの隘路を、線路改良によって平坦ならしめた結果です。
1962年に風光明媚な線路に代わって北陸トンネルが開通した時にも、「旅情が失われた」と惜しむ声もありました。
今では新幹線に対して向けられる、保守的で文明に対して懐疑的な議論は、実は東海道新幹線が開業する前からあったのです。
しかし、鉄道の本来の役割は、より低コストで速く人やモノを運ぶことであり、あくまで旅情は副産物です。
北陸トンネルで開幕して最終盤に頚城トンネルを迎える4県の第三セクター鉄道の旅の魅力は、健気な北国の感傷を愛でることではなく、自然を克服するための近代化の成果を実感する所にあるのです。
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