【日韓擬似国際列車の旅・番外編】「ひかり」と「のぞみ」が並ぶ韓国鉄道博物館を見学

アジア

3日間にわたる日韓擬似国際列車の旅を終えた私は、その翌日にソウル近郊の義王ウィワン市にある韓国鉄道博物館を訪れた。
鉄道関連の博物館では国内最大規模を誇る施設で、特に屋外車両展示が充実している。

韓国の鉄道車両は日本製のものが多いため、初めて見る車両でもどこかで会ったような、不思議で懐かしい気分を体験することができる。
さらに日本統治時代の急行列車の1等展望車も用途が変わっているとはいえ保存されている。

日韓擬似国際列車の旅の番外編・資料編として、博物館の訪問記を残しておきたい。

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ソウル中心部からは意外と遠い

韓国鉄道博物館の最寄りは、ソウル地下鉄1号線から直通する京釜キョンブ線の義王(Uiwang)駅だ。
ソウル駅からは30㎞少々の距離だが、その割には電車での所要時間は1時間程度と長い。

というのも、もう少し先まで行くとKTX(高速鉄道)も停車する水原スウォンという大きな駅があるのだが、義王には各駅停車しか停まらないのだ。
東京駅から東海道線に乗って小田原の少し手前の国府津駅まで行くイメージである。
つまりもう少し遠ければ高速列車等で行けるのに、都心から中途半端な距離故に時間がかかるのだ。
ここから線路沿いに10分ほど歩いて、お目当ての韓国鉄道博物館に着いた。

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屋外展示①:外国なのに懐かしい

10時に開館したばかりなのでまだ客は誰もいないようだった。
敷地に入ってまず目に飛び込んでくるのは、深緑とオレンジ色、日本でいう「湘南色」の大統領専用電気式気動車だ。
同じ外観の車両が2つ並んでいるが、そのうちの1つは1969年に日本で製造されたものらしい。
たしかに塗装といい、顔つきといい、いかにも国鉄時代の東海道本線の急行として走っていそうな車両である。

日本人にとって懐かしい顔は他にもたくさんいた。
1974年に日本で造られた首都圏用通勤電車は、昭和の「通勤地獄」の舞台であった国鉄型通勤用車両とそっくりだ。
残念ながら博物館の展示車両はほとんど車内見学できないが、この車両は珍しく車内に入れた。
ロングシートの素っ気ない内装も昔の日本の通勤電車とよく似ていて、国鉄の電車の古めかしいモーター音が蘇ってくるようだ。
ただ軌間(線路幅)は韓国の方が広いので、その分車体も大きく感じた。

このように、1970年代前半までの気動車・電車は日本製のものが多い。
韓国の重工業化が始まったばかりだったので、まだ輸入に頼らざるを得なかったのだろう。
そんな韓国にとって、国内産業高度化の象徴である初の国産優等型電車がこの博物館で展示されている。
日本でいえば1958年製の151系電車特急「こだま」に相当する。
1980年より運用に就いたこの車両は、高い位置にある運転台やライトの配置、そして白と赤系の配色と、やはり国鉄型特急電車の強い影響を感じずにはいられない。
外国で製造された初めてお目にかかる車両なのに、旧友と久々に出会ったような気分になってしまった。

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屋内展示:日本時代の写真や資料が見れる

そうこうしているうちに雲の間から日が差してきて蒸し暑くなってきた。
一旦屋外見学を休止して屋内を見よう。
屋内展示はさほどの規模ではなく、大きめの資料館といった程度だ。
また説明も大半が韓国語のみだった。
とはいえ、日本統治時代の写真や資料など興味深いものもあり、見ているだけでもそれなりに楽しめる。

写真の橋は現在の中国・北朝鮮国境に架かっていたもの
京義線(ソウル~新義州)の線路縦断面図

写真や私の好きな線路縦断面図を眺めていると、年配の女性職員に話しかけられた。
日本人なので言葉が分からないことだけは伝わったようで、スマホの翻訳アプリを介して言うには、11時半からジオラマが始まるという。
それだけでなく、ハングル文字が書かれた昔の硬券を幾つかくれた。
これは2004年のKTX(高速鉄道)開業まで使用されていたらしい。
「普段配っているものではないが、遠い所からわざわざ来てくれたので差し上げます」とのことだった。
日本でも珍しいものなのに、韓国の硬券をいただくとは有難いものである。
「カムサムニダ(ありがとう)」と彼女に重ねて伝え、ジオラマに足を運んだ。

ジオラマは10分間の一般的な構成だった。
鉄道史を辿るように、まず蒸気機関車が走り始め、一般普通列車からだんだんと格上の優等列車が登場していき、最後に高速鉄道のKTXが出発する。
ジオラマとは別に各列車の昔の映像が流れるので、韓国語が分からなくても楽しめた。
意外だったのは、1970年代になって初めて首都圏通勤電車が登場することで、この国の都市化の遅れに気付かされる。
今のソウルを見ると信じ難いことだ。

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屋外展示②:「ひかり」と「のぞみ」の1等展望車が並ぶ

再び屋外展示を見に行こう。
屋根付きのエリアに戦前の客車が2両並んでいて、「大統領専用車」と「駐韓国連軍司令官専用車」として展示されている。
しかしそれ以前は、両方とも戦前の朝鮮半島を走った急行列車の最後尾に連結された1等展望車だったのである。

とくに茶色の大統領専用車は、本シリーズ「日韓擬似国際列車の旅」の準拠元である急行「ひかり」(現在の釜山~ソウル~平壌~瀋陽~長春)に使われた車両だ。
ということは、「ひかり」を空想して追い続けてきた今回の旅の最後に、ようやくその実物を拝めるわけだ。
これを見るために韓国鉄道博物館に来たと言っても過言ではない。

オープンデッキになった展望用バルコニーに立つ。
各所が傷んではいるものの、「ひかり」の展望車の面影は残っている。
かつて日本から朝鮮半島や大陸へ向かう人々が、ここに立って釜山桟橋駅で見送りの歓待(1等車に乗れるのはお偉方や有名人のみだった)を受けていたのだろう。
真夏のうだるような暑さのなか、私は釜山の海風を思い浮かべた。
ちなみに、この「お立ち台」に人が来るのは駅停車時か出発時だけで、汽車の走行中に乗客が出てくることはなかったらしい。

隣の緑色の駐韓国連軍司令官専用車は、戦前の特急「あかつき」用車両だとする情報が散見される。
しかし、博物館の説明書きには「釜山・ソウル・新義州・満洲を結ぶ国際急行列車の1等寝台車として運用された」とある。
「あかつき」は釜山~ソウル間の「国内列車」だからこれに当てはまらない。
「ひかり」以外で説明書きの条件に当てはまる列車となると、「ひかり」の昼夜逆の時間帯を走った「のぞみ」ということになる。
この点に関しては、鉄道史家の小牟田哲彦氏もその著書「大日本帝国の海外鉄道」において、車両図面等を検討した結果、この車両は「のぞみ」の展望車の可能性が高いと指摘している。

であるならば、ここ韓国の博物館で他ならぬ「ひかり」と「のぞみ」の1等展望車が並んでいることになる。
現在は日本の太平洋ベルトで我が世の春を謳歌する彼らも、過去には帝国の植民地支配の象徴だったのだ。
なお、東海道新幹線の速達列車と戦前の朝鮮・満洲直通急行の名前が同じになったのは、あくまで偶然だというから歴史とは面白いものだ。

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「ひかり」と「のぞみ」を目の前にして在りし日に思いを馳せていると、大きなカメラを持った40~50歳くらいの男性と出会った。
辛うじて英語で意思疎通できた程度だったし、たぶんお互い好きなことを話しただけだろうが、それでも不思議なことに鉄道好きどうしで通じ合うものがあった。
彼は動画を投稿していて、名刺をもらったので後日見てみると、博物館の各車両がマニアックな視点から韓国語字幕で説明されていて、それに一瞬だけ私の姿も映っていた。

途中の休憩時間も含めて、3時間近くも滞在してしまった。
これ以上ゆっくりすると帰りの飛行機の時間に間に合わないので、これにて韓国鉄道博物館を後にする。

ソウル滞在中は、明洞や屋台の並ぶ市場を差し置いてでもここに来るつもりだった。
そして「ひかり」や「のぞみ」の1等展望車に触れることで、1940年の時刻表に依る私の空想旅行に実体が注入されたわけである。

これよりソウル駅に戻り、仁川空港行きの空港鉄道AREXに乗車する。












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