2026年6月末日、日本・韓国両国の新幹線と下関・釜山間のフェリーを乗り継いで、東京発ソウル行き「日韓擬似国際列車」の旅に出かけた。
日本が朝鮮や中国に進出していた1940年の時刻表を基に、現在の最新型高速列車を当時の看板列車に見立てることで、戦前の鉄道黄金時代の海外渡航を今日に蘇らせようとする試みである。

本記事は第7回。
ソウルから先の「延長戦」として、北朝鮮国境に近い臨津江駅まで通常の普通電車に乗車した。
かつての朝鮮縦貫幹線だった京義線
京義線は韓国の首都ソウルから北に延びる通勤路線だ。
路線名のうち「京」は首都・ソウルを指す。
では「義」はどこかというと、何と北朝鮮の中国国境にある新義州なのである。
韓国の路線名に北朝鮮の地名が使われている理由は、戦前の日本統治時代に遡る。
大日本帝国が朝鮮を植民地としていた当時、半島を南北に縦貫する大幹線が釜山を起点に京城・平壌を経由して新義州まで一体となって運営されていた。
京城を境に路線名が変わり、釜山~京城が京釜線、京城~新義州が京義線を名乗っていた。
釜山発の急行「ひかり」や「のぞみ」が、新義州からさらに国境を越えて満洲国を目指していったことは、本シリーズでもたびたび言及してきた。

戦後に朝鮮が南北に分断された今でも、「京義線」の名前は残っている。
今や事実上の路線長が50㎞となったかつての大動脈は、そんな重く悲しい歴史を抱えながらもソウルの日常に溶け込んでいるのである。
分断された京義線に乗る
京義線の事実上の終点は都羅山駅だ。
ただこの駅は軍事境界線(DMZ)エリアにあり、臨時のイベント列車に乗らなければ立ち入ることはできない。
その一つ前の臨津江駅が民間人でも自由にアクセスできる終着駅なので、今回はそこを目指そうと思う。

しかし物理的なアクセス可否と、実際の列車によるアクセスの難易度はまた別問題である。
途中の文山駅までは通勤電車が頻繁に運転されているが、文山~臨津江は1日2往復(平日)しか列車がないのだ。
幸い朝8時12分にソウル発の文山行きに乗れば、臨津江9時30分着の便に乗り継げるようだ。
そんなわけでソウル駅に着いたのが7時50分頃。
もう通勤時間帯のはずだが、その割には人が駅から押し寄せてくるような気配はない。

違和感を持ちながら待つも、8時12分発文山行き電車の情報は15分前になっても出てこないのでますます心配になる。
どうやらこの駅から出発するのはKTXなど長距離列車ばかりだということに気付いた。
駅のインフォメーションデスクで尋ねると、「この駅を出て左手に行くと別の駅があってそこから乗れる。地下鉄の駅とも違う。」とのことだった。
もしや「別の駅」とは昨日訪れた旧駅舎のことではないか、と思い行ってみると、果たしてその奥に改札口があった。
駅舎として引退したはずの老大家は、今でも現役の路線のために離れを貸してやっているのである。

ソウル駅の京義線ホームは、長距離列車用の大きな駅の片隅に1面だけちょこんと佇んでいた。
もはやKorail(韓国のJRに相当する企業)の駅というより、国土の北部残余地域を埋めるローカル私鉄乗り場のような雰囲気である。
なんと悲しい光景だろうか。
「本来」ならば、釜山から来たKTXが引き続き平壌、あるいは中国方面を目指してこの線路を意気揚々と走っていかなければならないのだ。

しばらくすると折り返し列車が到着した。
4両編成の通勤電車から無表情の群衆が吐き出されてくる。
4分遅れの8時16分にソウル駅(Seoul)を出発。
古いレンガ造りの駅設備跡や粗末な小屋を見ると、列車はすぐにトンネルに入った。
昨日の漢江を渡って威風堂々たる南からのソウル入城とは違って、ソウル駅の北側は郊外ニュータウンのような土地の狭さである。
文山行き電車は空いているが、頻繁にすれ違うソウル行きはぎゅうぎゅう詰めだ。
車内は冷房が効きすぎて寒い。
トイレの無い電車に1時間以上乗るから、朝食はおろか水を飲むことも我慢した。
豪華な食堂車付きの戦前の急行「ひかり」の旅を想像しながら、新しくて綺麗だが座席が硬い電車に揺られる。
※ちなみに韓国の電車では、飲食に関して日本以上に厳しいマナー(法律ではない)があるらしい。
ロングシートの乗降ドアに近い部分は、イラストから見て妊婦優先座席となっているらしかった。
時々お年寄りが使っているが、乗客たちはだいたいこの席を空けて座っている。
日本でも少子化が問題とされているが、韓国では事態はより深刻となっている。
2023年の合計特殊出生率は0.72で、日本の1.14(2025年)がかなりマシに思える数字である。
しかし直近数年では出産に対する意識の変化もあって、2025年は0.8まで回復、2026年も前年を上回る数字が期待されているという。
9時過ぎになると対向列車も立ち客がいない程度に空いてきた。
こちらの列車ではひと車両につき乗客は10人程度だ。
車窓に広がる水田の遥か遠くには工業団地が点在している。

9時15分、文山駅(Munsan)に着いた。
ここで乗り換えとなるはずだが、それらしき電車はいない。
ホームを歩いている人に聞くと、今乗ってきた電車が臨津江まで行くという。
つまり、形式的にはここ文山駅で列車番号が変わるので「乗り換え」と表現されるが、事実上はソウル~臨津江に直通列車が走っているわけだ。
列車は意を新たにして9時20分に文山駅を出発。
ここから先は単線区間になっていて、スピードは明らかに遅くなった。
大したカーブでもないのに、線路をキイキイとけたたましく鳴らしてゆっくりと走ってゆく。
同じ京義線でも今までの通勤路線とは違って、いよいよ国土の辺境に生えた超ローカル線である。
9時30分、ついに終着臨津江駅(Imjingang)に着いた。
ローカル線の終点のような小さな駅だった。

意外なことに、この駅にもホームドアが設置されている。
駅周辺の様子からして、ここが混雑する光景など想像もできない。
安全を徹底(=人命第一)する国として、食糧不足が慢性化する北朝鮮へのデモンストレーション効果を狙っているのだろうか?
さらに北へと続く線路はよく整備されていて、今にも特急列車が高速で通過していきそうだった。
しかし、その進路には赤信号が灯っている。

ここから先、急行「ひかり」の影を追うのは列車ではなく徒歩になる。
線路が続く方向へ歩いて臨津閣に向かおう。
ここはソウル発着のDMZツアーで必ず訪れる観光スポットだが、鉄道にとっても南北分断を語るうえで必見の場所なのだ。
ツアーバスではなく京義線で臨津閣へ行くのはよほどの物好きだけらしく、臨津江駅で下車したのは数名だった。

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