大阪のチンチン電車、阪堺電車の1日乗車券で半日途中下車の旅

旅行記

大阪に唯一残る「チンチン電車」が阪堺電気軌道だ。
そのうちの阪堺線は、大阪ミナミの恵美須町駅から堺市の浜寺駅前駅までの14㎞を1時間かけて走る。
阪堺電車には大都会の下町風情が残り、沿線には著名な史跡がたっぷり詰まっている。
残暑厳しい2024年9月上旬、半日(約4時間)かけて阪堺線全区間を途中下車しながら辿ってみた。

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始まりは「新世界より」

朝10時半頃に大阪環状線で新今宮駅に到着。
ここの駅メロはドヴォルジャークの交響曲第9番の終楽章(サメが出てくる映画のやつ)だった。
なぜ記事と関係のないクラシック音楽の蘊蓄うんちくを垂れているのかというと、その曲が「新世界より」という副題で知られているからだ。

駅から通天閣の方に歩いて行くと、新世界と呼ばれる歓楽街に出た。
「愛嬌がある」とも「ヤらしい」ともとれる、吊り上がった目つきをしたビリケンさんの像があちこちにある。
通天閣の足元では案内人が道行く人々に英語で呼びかけている。
標準語には強い抵抗を示す彼らも、英語は普通に使うようだ。

大阪らしさはあるものの、あまり好きな雰囲気でもないので新世界一帯を冷やかし程度に見学して、阪堺電車乗り場へ向かう。
が、地下鉄の乗り場は目立つが、阪堺電車の駅は地図で辿っても分かりづらい。
少し歩きまわってようやくマンションの合間にある小さな停留所を見つけた。
始発の恵美須町駅えびすちょうである。
この時間帯は30分毎にしか電車が来ないらしい。

出発前に車内で運転手から1日乗車券「てくてくきっぷ」を購入した。
700円で阪堺電車に1日乗り降り自由になる。
ちなみに乗車券は全区間共通で230円なので、3回だけなら10円高くなるという絶妙な価格設定である。

恵美須町駅

駅を出発したのは11時過ぎだった。
阪堺電車は「チンチン電車」ながら、専用軌道を走る区間が多い。
駅は相変わらずとても小さく、交差する道路が広いので駅よりも踏切の方が大きい。
5,6人しか乗っていない電車を通すために、何台もの車を待たせている訳である。
「肩身が狭い」とはまさにこうしたことを言うのだろう。
先ほどまでの新世界の猥雑な雰囲気とは対照的に、地方の小都市のローカル電鉄に乗っているようだ。
運転手近くの席で前を見ていると線路は真っすぐが多いのだが、目の前まで接近しないと駅の存在にさえ気が付かない。
駅前の通りには上半身裸で自転車を押す老人がいた。

途中から道路を走るようになると、まもなく住吉鳥居前駅に着いた。
住吉大社へ行くには一つ前の住吉駅よりこちらの方が近い。
とはいえ、100m程度しか変わらないが。
なお、住吉駅では天王寺駅前駅から来る阪堺電鉄上町線が合流する。

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「すみよっさん」こと住吉大社

住吉鳥居駅で降りてすぐ左手に住吉大社がある。
そちらに向かっても良いのだが、反対側の公園を西に進んでいくと巨大な石灯篭いしどうろうが見えてくる。
問丸(海運業者)が鎌倉時代末期に建てた高灯篭という日本最古の灯台で、隣の6階建ての住宅と同じくらいの高さがある。

来た道を引き返し、いよいよ住吉大社へ。
全国に2000以上もある住吉神社の総本社である。
海上安全を祈願して建てられたという由緒の住吉大社の入り口には、「遣唐使進発の地」と書かれた碑があった。

シンボルである太鼓橋を渡って本殿へ。
本殿は4棟あり、どれも「住吉造」と呼ばれる簡素な形式の建物になっている。
反りがなく直線的な檜皮葺の屋根の上に千木が青空を刺すように伸びていて、質素で力強い印象だ。
境内には各地から奉納された石灯篭が無数にあった。

私が帰る頃には、「すみよっさん」には厳しい残暑にもかかわらず大勢の人が参拝に来ていた。

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環濠都市堺

再び阪堺電車に乗って堺市を目指す。
最初の車両よりも古い電車が来た。
低いモーター音を響かせてガタゴトと走りながら大和川を渡る。
小さな電車がゆっくりと進むので、なおさら大河に感じられる。
この川が大阪市と堺市の境界になっていて、大阪市側にある我孫子道駅から先は本数が少なくなっている。

高須神社駅で下車。
この辺りは、碁盤目の町割りと古い民家に昔の面影が僅かながら感じられる。
堺は近世に鉄砲の生産地として知られ、「鉄砲町」という地名も残っている。

堺の街並み

江戸時代の商人の屋敷「山口家住宅」の内部を見学した。
広い土間の天井部を巨大な松の木の梁が支えていて、その豪快さが当時の人々を驚かせたのだとボランティアガイドが説明してくれた。
木綿問屋として相当な富を蓄え、昭和期まで人が住んでいたのだという。
堺市の観光スポットはどこでも、彼のようなボランティアガイドがいた。
「遊んでってやー」と見送られる。

歩いてもいいが暑いので宿院駅しゅくいんまで電車に乗り、千利休屋敷址に行く。
ガイドが女性客たちに説明しているのを盗み聞きしたところ、井戸は実際に利休が使用したものらしい。
そのすぐ横に新しい建物があり、「さかい利晶の社」という博物館も兼ねた観光拠点の施設になっている。
ここのエントランスにある古地図を見ながら、摂津国と和泉国の境が大和川でなく、もう少し南側の堺市市内だということを教えてもらった。
そしてさかい利晶の社の隣にあるのは茶室ではなくスターバックス。
千利休が活躍した堺の歴史文化も、アメリカ資本の力には勝てなかったのだろうか?

鉄砲伝来以前の中世の堺は国際貿易港で、周囲に川を巡らせた環濠都市として栄えた。
御陵前駅周辺はその南端部分にあたり、水路と緑がその名残をとどめている。
この区画に南宗寺がある。
畿内を支配したことから「最初の天下人」とも呼ばれる三好長慶が創建した寺である。
敷地内の墓地には千利休の墓もある。

御陵前駅に戻り、最後の阪堺電車に乗る。
ここで新型の低床路面電車がやって来た。
内装はシックなレトロ調で、なかなか良い車両だと思った。

新型車両の車内

ずっと並走していた南海本線を乗り越し、松林が見えてきたところで終着の浜寺駅前駅に到着。
15時になる直前だった。
残った数名の客と共に下車。
この駅は南海本線の浜寺公園駅に隣接している。
そもそも駅なのに「駅前」を名乗る遠慮がちな阪堺電車の終点は、その名が示す通りにありふれた小さな駅であった。
このあっけなさこそが寧ろ終着駅の感慨とも言えようか。
駅名標に書かれた白の文字がかすれている。

昔ここは海水浴場として賑わったというが、今や海岸は工業地帯になっている。
こんなところで泳ぐ気には誰もならないが、もし大阪にオリンピックが招致された暁にはトライアスロンのコースとなって、アスリートたちは不衛生な環境での順応力を再び競うことだろう。

それはともかく、南海本線浜寺公園駅の旧駅舎は、かつて浜寺海岸が白砂青松の「東洋一の海水浴場」と呼ばれていた時代に行楽客を迎えていた建物で、東京駅を手掛けた辰野金吾も設計に関わったという。
あの堂々たるレンガ造りの東京駅とは全く違って、浜寺公園駅はまるでジブリ映画に出てきそうな不思議な木造建築だった。
現在はカフェとして利用されている。

帰りは南海本線でなんば駅へ。
チンチン電車で1時間を要した道を高架線から見下ろしながら、20分足らずで通過してしまった。

以上、始発の恵美須町駅から合計4時間弱で阪堺電車の沿線を辿った。
消化不良な感はあるものの、半日コースとしてはそれなりの収穫はあった。
なお、堺市には阪堺電車より東側のJR阪和線沿線に、仁徳天皇陵などの巨大古墳群がある。
こちらにも足を延ばす時間はなかったので今回は割愛した。



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