続・山陽本線乗り歩きの旅⑤:徳山と新山口の狭間、歴史の息づく防府を3時間で観光

旅行記

2025年3月に「青春18きっぷで山陽本線乗り歩きの旅」と題して、岡山駅を起点に途中下車しながら山陽本線の普通列車を乗り継いで西へ向かった。
予定では本州の西の端、下関駅まで行く予定だったが、事情により山口市で引き返さなければならなくなり、それ以来やり残した宿題にとりかかる機会をうかがっていた。
そして6月中旬にそのリベンジを果たすこととなる。
せっかくなので前回訪れなかった都市にも寄りながら2日間かけて、改めて「続・山陽本線乗り歩きの旅」を終わらせようと思う。

本記事は2日目・第5回。
徳山駅から列車で30分、防府天満宮や毛利庭園のある周防国府の町防府ほうふで途中下車した。

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山陽本線最後の景勝区間だったが…

徳山駅8時6分発の下関行き電車に乗車した。
通勤通学時間帯のため車内はかなり混んでいた。
徳山駅で降りる人も多いので、何とか通路側で進行方向逆の席を確保できた。

さて徳山の先、戸田駅へた富海駅とのみ間は山陽本線で最後の絶景区間である。
短いトンネルを交えながら深い入り江に沿って列車は走り、その風景は海辺のローカル線を思わせる。
はずなのだが、朝の強い日差しを受ける満員電車の窓には汚れたブラインドがしっかりと降ろされていた。
窓側で寝ている人を起こしてブラインドを上げろというのも顰蹙ひんしゅくなので、心眼で奥まった輝かしい瀬戸内海の風景を見つめた。

戸田~富海間の車窓
2020年3月

景勝区間が終わると市街地に出て、高架線でその上を突っ走って防府駅に着いた。
「のぞみ」も一部が停車する徳山と新山口の間にあって目立たないが、防府駅周辺にもなかなか見所があるのだ。

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周防国府の町防府

防府の滞在時間は3時間弱。
まずは毛利氏庭園へ向かう。
駅から30分程度歩いていくつもりだったが、季節外れの暑さのためにタクシーを利用した。
お互い「暑いですね」と言葉を交わすと、「防府市は海沿いだからまだマシですよ。盆地の山口市なんかもっと酷いです。」とのこと。
「広島か福岡からですか」と聞かれて神戸と答えると、運転手はとても珍しそうだった。

「こんなところまでわざわざようこそ」と謙遜するのが山口県人なのだろうか?
旅行ガイドブックで推奨されて山口市が外国人に注目されていることを話すと、「山口の人は『えっ、なんで?』って途方に暮れてますよ。」と言う。
前回の山口市で聞いた「ライターの取材と腕前がよほど良かった」説を紹介すると、彼は「本当に!よっぽど、よっぽどですよ!」大笑いしていた。

開館する9時ちょうどくらいに毛利氏庭園の門の前に着いた。
少し歩くと旧毛利家本邸の前庭に着いた。
一般に「毛利氏庭園」と呼ばれる施設は毛利氏本邸と庭園から成り、本邸の一部が毛利博物館となっている。
毛利邸は旧萩藩主毛利氏の邸宅として、明治時代になってから建てられたものである。
「隠居先」にふさわしい土地としてここが選ばれたようだ。

受付で「建物はまだ掃除中なので先にお庭を見てください。」と言われたので、まずは庭園へ。
さすが有力大名家だけあって広々としている。
ひょうたん池や石橋・東屋を配し、周囲の自然だけでなく遠方に見える工場までが借景のようだ。
見渡す限りの緑の中でサツキだけが点々と赤を咲かせていた。

続いて本邸の内部へ。
基本的に和風建築だが、入り口近くの応接間だけは洋風になっている。
また鉄筋コンクリートや電力・各部屋を繋ぐインターホンなど、最新技術もふんだんに導入されていたらしい。
特にシャンデリアに見立てた天井の和風照明は面白い。
本邸の奥の方に進むと毛利博物館となっており、毛利家に伝来する文化財の数々が部屋を覆っている。

二階に上がると毛利庭園から瀬戸内海まで、住人になった気分で眺めることができる。
また庭園の奥には周防国衙こくが(古代の役所)跡も広がっている。
近代華族の最高位である公爵家として、この豊かな自然と歴史が息づく地で暮らしていたのだろう。
時代の主役から去ってもなお、威厳と面目を保った姿だ。

二階からの眺め

それに対して、この日の数日前にカナダで開かれたG7サミットの惨めさ。
G7が世界を圧倒した時代はもう過ぎ去っているのに、見苦しいにもほどがある偽善とダブルスタンダードと暴力を振りかざして、未だに自らの「正義」とやらに酔っている馬鹿どもの集まりである。
しかも気まぐれな親分(トランプ米大統領)にさんざん色目を使った挙句、その親分に途中で帰国されるに至っては、もはや哀れとしか言いようがない。

さて、毛利氏庭園の門から南に進むと、一画に小さな枯山水のある交差点に出た。
この交差点を東西に走る旧山陽道を西に歩いて行く。
城下町と間違えそうになる風情ある町並みには周防国衙跡の記念碑もあった。

旧山陽道

枯山水から3分程度歩くと周防国分寺に着いた。
8世紀の創建以来伽藍が変わっておらず、これは全国的にも非常に稀な存在だという。
いかにも頑強そうな入母屋造りの金堂は、屋根がそり上がっていて躍動感もあった。

さらに旧山陽道を西に進むと、防府天満宮の表参道に出た。
石灯篭が並ぶ石畳の道の周囲には駐車場や土産物屋があり、ようやく観光客の姿も目に付いた。

防府天満宮は北野天満宮・太宰府天満宮とともに日本三大天神のひとつに数えられている。
主神の菅原道真は大宰府に左遷されるときに、しばらく防府に滞在してここを気に入ったのだという。
強烈な日差しを浴びて、朱色の本殿や回廊がいっそう鮮やかに見える。
ここが日本で最初(菅原道真が亡くなった翌年の904年)に創建された天神だといわれており、それを記した記念碑もあった。

隣にある春風楼は、江戸時代に五重塔として建造がはじまるも資金面で行き詰まり、計画を変えて楼閣として完成したものである。
崖に張り出すかたちの舞台のような空間で、ここからは防府市街をよく見渡せる。
風通しも良いので景色を眺めながらしばし涼んだ。

これで防府市の主要な見どころを一通り廻った。
気温と時間を言い訳に、アプリを使ってタクシーを呼び、11時26分発の下関行き電車に乗った。
次回は最終回、古代から近代に至るまで幾度となく歴史の舞台となった下関を観光する。


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