中標津町は根釧台地に位置し、根室中標津空港の近くにある町です。
この地域には1989年まで標津線という国鉄(1987年からはJR北海道)の路線が存在していました。
現在、この地域の中心地である中標津バスターミナル付近で、標津線を偲ぶことができる場所を紹介します。
標津線について
標津線は釧網本線の標茶駅から中標津を経由して根室標津までの区間と、途中の中標津から枝分かれして根室本線(花咲線)の厚床駅まで伸びる、2つの路線から成っていました。
ちょうど「人」の字のような形をしています。
根釧台地の開拓のために昭和初期に建設された路線ですが、1960年代には既に衰退気味で、国鉄民営化直後の1989年に廃止されました。
あまり地形に逆らわずに簡易線規格で建設されたために、起伏の多い土地をアップダウンを繰り返しながら走っていました。
そのため乗客からは「ゆりかご列車」とあだ名されていたようです。
なお、こうした土地の特徴は代替バスの道路からもよく分かります。
中標津バスターミナル内の展示室
中標津のバスターミナルは旧標津線の中標津跡のすぐ近くにあります。
バスターミナルの建物の中には古めかしく小さな展示室があり、標津線の保線に使われた道具や駅名標・行先表などが並んでいます。
ローカル線だけでなく亜幹線でも無人駅が増えているように、省力化が進んだ現在ですが、タブレット閉塞の機械やつるはしなどの工具を見ると、酷寒の厳しい道東の自然と闘った人々の健気で尊い労苦が思い浮かんできます。
展示室の営業時間は9時から17時までで、水曜日が休みです。
阿寒バスの窓口に展示室を見学したい旨を伝えると、部屋の鍵を開けてくれます。
丸山公園にある中標津町郷土館と蒸気機関車
もう一つ中標津市内で標津線ゆかりの品が見ることができるのが、中標津町郷土館(入館は無料)です。
バスターミナルから北に歩いて標津川を渡った先にある丸山公園の園内にあり、徒歩15分くらいの距離です。
郷土館には開拓の歴史を物語る品々と共に、標津線で使われていた優等列車のヘッドマークや当時の写真などが、狭いスペースではありますが展示されています。
特に準急「らうす」の素朴でレトロなヘッドマークは、自分たちの沿線にも優等列車を走らせて欲しいという願いを叶えた、地域の人たちにとっては思い出の品なのでしょう。
ちなみに国鉄がローカル線である標津線のヘッドマーク作成には資金が回らないということで、地元の有志が作成したというエピソードまであります。
郷土館の隣には標津線を走ったC11形蒸気機関車が、静かに余生を過ごしています。
軽量のディーゼルカーではなく、こんな鉄の塊が軟弱な標津線の路盤を走っていたわけですから、メンテナンスはさぞや大変だったのでしょう
ちなみにSLの屋外展示は5月~10月までのようです。
ちなみにこの丸山公園は広々とした、とても心地の良い場所なので、散歩には最適です。
中標津への行き方
鉄道旅行の途中で中標津を訪れる際には、3つのバス路線が使えます。
①根室本線(花咲線)の厚床駅、②釧網本線の標茶駅、③釧路駅
のいずれからかバスで行くことになります。
このうち①と②は標津線廃止後の代替バスです。
所要時間は①と②が1時間20分、③が2時間10分程度で、運行本数はいずれも4,5往復ですが、区間によっては土日は減るので、プランニングには苦労します。
このうち標茶駅発着便の途中の西春別には資料館を併設した、別海町鉄道記念公園があります。
ここは北海道の数ある廃線跡の資料館の中でもかなり充実した施設なので、時間の都合をつけて是非とも訪れたい場所です。
根釧台地の開拓を支えた標津線
今の代替バスよりもはるかに本数が多く、優等列車の設定もある。
北海道の東の果ての原野を豊かな酪農地帯に変えた標津線ですが、そもそも沿線は人口が少ない地域であったために、1989年に廃止となりました。
2つの路線合わせて100㎞以上になる、それなりに長い路線でしたが、中標津町の規模や沿線人口、そして自然環境も含めた線路条件を考慮すれば廃止も仕方なかったのでしょう。
閑散とした代替バスに乗ると、ますますその思いを強くします。
しかしながら、中標津町の人が標津線のことを忘れずに、その名残を保管してくれているのは、一人の鉄道ファンとしても嬉しいことです。