西春別駅跡にある別海町鉄道記念公園と鉄道資料館で標津線について学ぶ【見学時間や代行バスの利用案内含む】

北海道の博物館・資料館
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別海町鉄道記念公園は旧標津線の西春別駅跡にあります。
公園には蒸気機関車とローカル線用の気動車が屋外展示されており、その横には鉄道記念館も併設されています。

旧標津線沿線では、中標津町のバスターミナルや町の郷土館などでも展示がありますが、規模や充実度ではここが優れています。

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鉄道記念公園のD51形蒸気機関車とキハ22系

まず目を引くのが「デゴイチ」ことD51形蒸気機関車です。
この機関車は標津線を走っていたわけではなく、戦後ソ連のサハリンに輸出されたものです。
特徴的なのは動輪が赤く塗られている部分ですが、他にも北海道以上寒冷地仕様のため、運転席が密閉構造になっているそうです。

別海町鉄道記念公園のサハリンから帰って来たD51形蒸気機関車
サハリンから帰って来たD51形蒸気機関車

デゴイチの後ろにあるホーム跡には、北海道の多くのローカル線で活躍した気動車キハ22形が停車しています。
車内には入ることができず、外から見るほかありませんが、手入れされた外観とは裏腹に相当荒れているようです。

別海町鉄道記念公園にあるキハ22形
キハ22形
別海町鉄道記念公園にあるキハ22形
車内の保存状態は良くない

ホームの前後には標津線の駅名標が、まるで墓場のように並んでおり、ここを訪れるだけで各駅を巡礼することができます。

別海町鉄道記念公園の駅名標
駅名標が並んでいる

なおデゴイチが展示されているのは、ちょうどポイント部分の上です。
まるで駅を出発した列車がポイントを通過して構内から出て行っているような、臨場感あふれる見せ方には感心させられます。

別海町鉄道記念公園のサハリンから帰って来たD51形蒸気機関車
まるでポイントを通過していくよう
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鉄道記念館はモダンで充実した内容

別海町鉄道記念館の建物
モダンな鉄道記念館の建物

公園の隣には標津線についての資料館である鉄道記念館が併設されています。
この種の施設は廃駅の駅舎などを利用したものが多いですが、この資料館は標津線廃止後に新築された木造のモダンな建物です。

別海町鉄道記念館の館内
館内の展示内容は多岐にわたる
別海町鉄道記念館のレトロな駅の再現と保線作業車両
レトロな駅の再現と保線作業車両

西春別駅は準急や急行列車が走っていたころは、それらの停車駅ではあったようですが、廃線の途中駅跡にこのような立派な資料館があるのはちょっと驚きです。

現役当時の面影を感じることはできませんが、北海道の他の廃線の資料館と比較しても展示はかなり充実しています。
道具や機械の現物や写真、昔の切符やヘッドマークなど多岐にわたります。

別海町鉄道記念館の展示
廃止直前に使われたヘッドマーク
別海町鉄道記念館の乗車券箱
駅の乗車券箱

また、モノだけでなく標津線の歴史に関する説明や、展示品にまつわるエピソードなども紹介されており、人々の標津線に対する様々な思いが伝わってくるようです。

別海町鉄道記念館の標津線の歴史解説
標津線の歴史紹介
別海町鉄道記念館のだるまストーブとそのエピソード
だるまストーブとそのエピソード

なお、標津線廃止直後に制作されたと思われる映像資料も、スタッフに頼めば見ることができます。
ビデオの上映時間は約40分と結構長いです。

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見学の所要時間は?

鉄道公園と資料館を合わせても1時間はかかりません。
ただ、資料館のビデオが長いので、それを全て見ると1時間半くらいになると思います。

もっとも、バスで訪れる場合は本数が少ないので、実際には必要以上に時間を持て余すことになるでしょう。
近くにはスーパーマーケットがあるので、何か買って公園で飲食しながら過ごすと良いでしょう。

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西春別への行き方

標津線代行バスからの車窓
代行バスからの車窓

標津線代行バスの標茶~標津バスターミナル(中標津経由)の路線が西春別を通ります。
西春別は標茶と中標津のちょうど真ん中あたりで、それぞれから45分くらいの所要時間です。
運賃は1000円程度でした。

平日でも5往復程度、土日はさらに本数が減るので、事前にしっかりとプランニングをしておくことが望ましいです。

なお、一番本数が少ない区間は標茶~西春別です。
標茶で乗り換える釧網本線もやはり本数は多くないので、ここから釧路は近いようで非常に遠いです。
中標津を拠点にして余裕をもって周るか、中標津~釧路間のバスを活用するのも一考に値します。

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根室の開拓と共に歩んだ鉄道

昭和39年10月の標津線の時刻表
標津線がまだ元気だった昭和39年10月の時刻表

根室原野の開拓を目的として標津線が開業したのは昭和初期ですが、自動車の普及に伴って乗客は減少し、その輸送量は昭和40年ごろからすでにピークアウトしていました。
そして全線開通してから約50年後の平成元年に廃止となりました。

沿線人口が少なく中核都市もなかったため、開拓がひと段落して自動車道路も整備されたことにより、その使命を終えたということでしょう。

しかし、手つかずの原野の開拓のためにこの地を踏んだ人々にとって、この細いレールはさぞや希望を与えてくれるものだったに違いありません。


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