2023年5月下旬、新規参入したベンチャーキャピタルが運行する「ヨーロピアンスリーパー」がドイツとベルギーの間を走り始めました。
ヨーロッパで夜行列車の価値が見直されつつある社会情勢のもと、旅客営業を実現するまでに彼らの歩んだストーリーは多くの注目を集めました。
2023年6月上旬、幸いにも運行開始から10日後のヨーロピアンスリーパーの寝台車を、ベルリンからブリュッセルまで利用することができました。
夜行列車好きの二人が立ち上げたベンチャー企業
ヨーロッパの鉄路から灯りが蘇っていく…
2020年頃より、ヨーロッパではかつて時代遅れとされてきた夜行列車が次々と再生しました。
オリエント急行のルートの一部を成したパリ~ウィーンの列車などは、その復活劇の最たる例です。
環境問題などの価値観の変化により、寝ている間に鉄道で移動することが見直され始めたのです。
そんな中、夜行列車が好きな実業家二名、エルマー・ファン・ブーレン氏とクリス・エンゲルスマン氏が新たに会社を設立しました。
それが夜行列車のみに焦点を当てたベンチャー企業、「ヨーロピアンスリーパー」です。
これは「潜在需要と可能性は在るが、既存の鉄道事業者が他の業務を抱える中で夜行列車に適切に投資して来なかった」という創業者の哲学です。
我々日本人にとっては誠に耳が痛い話ではありませんか。
当然、そのためには数多くの難題がありました。
当初2022年の運行開始が予定されていましたが、何度か延期が発表されています。
ロシア国鉄から車両を購入する計画だったものの、ウクライナ侵攻によりそれが不可能になり、車両調達にとりわけ苦労したといわれています。
しかし、彼らの挑戦は多くの支援を集め、株式を売ったら15分で売り切れたそうです。
そして2022年末、ついにヨーロピアンスリーパーは翌年5月の運行開始を発表しました。
この遅めのクリスマスプレゼントを受けた私は、予定していた海外旅行を1カ月後にずらし、予約開始日には有休をとって「ステイホーム」したのでした。
ちなみに、予約がオープンしたのは、普段帰宅している日本時間夜でした...
初年の運転区間はベルリン~ブリュッセル、週3往復の運転
ヨーロピアンスリーパーの運転区間はベルリン~アムステルダム~ブリュッセルです。
運転日はベルリン発が日・火・木曜日、ブリュッセル発が月・水・金曜日です。
毎日運転ではないので注意してください。
ベルリンの発着が深夜・早朝になっています。
これは元の計画ではベルリンからさらにドレスデンを経てプラハまで足を延ばすことになっていたためです。
2024年には当初の目論見通りプラハ・ブリュッセル間で運転する予定です。
ブリュッセルとアムステルダムからは、高速列車でパリやロンドンへも簡単にアクセスできます。
つまり、ユーロスター(ロンドン発着)やタリス(パリ発着)と組み合わせることで、西欧北部の中心都市と中欧の魅力的な観光地が繋がるわけです。
ヨーロピアンスリーパーの設備
1~3人用寝台車(Deluxe)
ヨーロピアンスリーパーで最上位の設備が個室寝台車です。
1人~3人で利用することができます。
ベッドとは別に椅子があり、その点で他の各国鉄の寝台車よりも広くて快適です。
無料のミネラルウォーターが用意されており、朝食も料金に含まれています。
通路側の開き扉を開けると洗面台が現れます。
メインライトのスイッチの他に、ベッドの枕元にも読書灯のスイッチがあります。
不便に感じたのが、充電用コンセントが洗面台にしかない点です。
また、トイレシャワー付きの個室はありません。
4or6人用クシェット(Comfort)
寝台車よりリーズナブルに横になれるのが、「クシェット」と呼ばれる簡易寝台です。
一つのコンパートメント当たり4人(2段ベッドの場合)または6人(3段ベッドの場合)で利用します。
こちらの設備は相部屋が基本です。
クシェットにも朝食が含まれていますが、内容は寝台車のものより簡素化されていると思われます。
座席車(Budget)
座席車も連結されています。
座席が3つずつ向かい合う6人用コンパートメントです。
快適性・治安面から、私は夜行列車の座席利用はおすすめしません。
メニューは多くないが車内販売あり
食堂車・バーの設備はありませんが、乗務員からスナックや飲み物を購入できます。
ただし、メニューはあまり多くなく、食べ物も夜食程度のものなので、夕食は事前に済ませておきましょう。
支払いはクレジットカードで、現金は使えません。
私の時はたまたまだったのかもしれませんが、そういうこともありえると思っておきましょう。
【ベルリン→ブリュッセル】寝台車シングルの乗車記
2023年5月以降、ドイツでは大規模な路線工事が各地で行われており、一部の列車の時刻が変更になっています。
ヨーロピアンスリーパーは通常ベルリン中央駅を23時過ぎに発車しますが、私が乗車した時はベルリン・リヒテンベルク駅を21時過ぎに出るダイヤでした。
なお、予約する時にはこの時刻変更の影響は反映されています。
ただし、予約後にメールで時刻・発着駅が変更が通知される(私の場合はそうだった)こともあるので要注意です。
寝台車は1950年代製造の客車、ワゴンリP型
ベルリンの郊外にあるリヒテンベルク駅は、本来の出発するはずの中央駅と違って人が少なく静かな駅でした。
駅の留置線には、旧東ドイツ国鉄でウィーン行き「ヴィンドボナ号」で活躍したディーゼルカーが保存されていました。
国鉄ボンネット特急のような堅牢さと美しさを持った名車が、夕日に照らされて輝いています。
ニュルンベルクの鉄道博物館で模型や映像は見たものの、まさかの実物に会えて感動しました。
さて、他には何もないベルリン・リヒテンベルク駅で待つこと30分。
やっと判明した発車ホームに急いで向かうと、既にヨーロピアンスリーパーが我々を待っていました。
1年以上待った初対面の瞬間です。
スロバキア国鉄から購入したというクシェットの客車には、新たにヨーロピアンスリーパーのロゴが描かれています。
ホームに立っている乗務員に撮影を頼んでいる乗客もいました。
初運行からまだ10日。
私より先にヨーロピアンスリーパーに乗った個人客の日本人も、あまり多くはないと思います。
機関車は貨物列車用のものを使用している様子です。
そんな雑多な編成の中でもひときわ異彩を放っているのが、私がこれから乗車する寝台車です。
見慣れないステンレス車体の客車が最後尾に連結されています。
このワゴン・リP型寝台車と呼ばれる車両は、なんと1950年代半ばに製造されたものです。
日本の元祖ブルートレインの20系と同じくらいの車齢です。
先ほどの「ヴィンドボナ号」のディーゼルカーは1960年代前半の製造ですから、引退して久しい車両よりも10年近く古い客車が、また新たな人生を歩もうとしているとは驚きです。
ヨーロピアンスリーパーは博物館から車両を購入したのでしょうか?
もちろん、車内は70年前のままというわけではなく、綺麗にリニューアルされています。
むしろ1車両あたり10部屋とゆったりしたレイアウトで、ベッドとは別に椅子もある快適な個室です。
少なくとも、「築70年」とは誰も思わないでしょう。
オリジナルビールで晩酌
定刻21時13分にベルリン・リヒテンベルク(Berlin Lichtenberg)駅を出発。
3週間にわたる旅行のハイライトが始まりました。
まもなくして、乗務員が検札を兼ねて、自分の名を名乗って設備の説明等を始めます。
ここまで丁寧なあいさつは、他の会社では見たことがありません。
どうやら、寝台車のトイレは壊れているので隣の車両のトイレを使えとのこと。
飲み物の注文はないか聞かれたので、ビールを頼みました。
車内販売メニューで特筆すべきは、ヨーロピアンスリーパーのロゴ入りのオリジナルビールでしょう。
どんなものだろうと思って飲んでみると、これは非常に美味しいです。
風味香りが豊かで、地ビール好きの人はもちろん、苦いビールが苦手という人にもおすすめです。
6月の遅い日没の後、私の心を映すような満月が昇りました。
ビールに続いてワイン(南フランス産)も買いましたが、こちらはまあまあでした。
晩酌はオリジナルビールを強く推奨します。
酔い覚ましも兼ねて、窓を開けて日焼けで火照った体を冷却します。
日付も変わっているので、そろそろ寝ようと思います。
乗った時、列車が動き出した時も良いですが、夜行列車で一番好きなのはこの時です。
朝食は平均的な寝台車の水準
翌朝は車内放送で目が覚めました。
どうやら、停車するはずのアムステルダム中央(Amsterdam Centraal)駅で問題が起きて停車できないので、代わりにユトレヒト駅に停車するそうです。
この列車のみならず、パリから来るタリスもアムステルダムには行けなかった模様。
ユトレヒトにはヨーロピアンスリーパーの本社があります。
感心したのは、車掌がオランダ語・英語・ドイツ語・フランス語(たぶん)の4か国語を操っていたことです。
その後も駅に停車するごとに短い4か国語音声の放送がありました。
オランダの牧草地を走ります。
牛はどこでも早起きです。
ゴーダチーズが食べたくなりました。
朝8時ごろ(この日だとブリュッセル到着2時間前)に朝食が運ばれてきました。
内容はパン・コーヒー・オレンジジュース・ヨーグルト・レバーパテにジャム等、ヨーロッパの寝台車で出される朝食の平均的なセットです。
オーストリアのナイトジェットのようにメニュー選択はできませんが、選んだとて一般的には似たような内容になります。
列車はロッテルダム(Rotterdam)、アントウェルペン(Antwerpen)といった港湾都市を経由していきます。
この間オランダからベルギーに入りますが、アントウェルペンも公用語はオランダ語です。
10時過ぎ、ほぼ定刻にブリュッセル南(Brussel Zuid)駅に到着しました。
ホームに降りて、しばらく貴重な寝台客車を観察します。
どこの国にも鉄道好きはいるもので、中年男性も入念に車体をチェックしています。
顔が合うと、お互いニンマリとして頷くだけで、自分の「仕事」を続けます。
鉄道ファン同士の距離感はこのくらいが理想的だと思います。
【感想】車両の古さは感じるが、全体的には快適
乗車記の締めくくりに、ヨーロピアンスリーパー寝台車の印象を。
趣味的な関心を除外すれば、やはり車両の古さはマイナス要素だといえます。
トイレの故障や、洗面台の水が出ないことがあったり、水回りにやや問題がありそうです。
また、走行中は最近の車両にはあまりない、突き上げるような揺れを時々感じました。
一方、個室は一般的な寝台車よりも広く快適です。
フレンドリーで丁寧なクルーの対応など、マイナス要素をソフト面で補っているようにも感じました。
全体的には、寝台車としては充分なサービスレベルだと思いますし、同社の今後にも期待したいです。
予約方法と費用
予約はヨーロピアンスリーパーのサイトから行います。
サイトを見るだけで伝わって来るフレンドリーなイメージそのままに、とても親切丁寧なつくりになっているので、ヨーロッパの寝台車を予約したことがない人でも進めやすいと思います。
以下、写真付きでやり方を解説します。
前半:利用する設備を選ぶ。おすすめは寝台車。
トップページにアクセスしたら、発着駅・日付、その下に人数を入力します。
今回は10月19日のベルリン→ブリュッセルの便を1名で検索してみます。
このうち運転日は19日のみ。
検索すると指定した前後3日分の日にちが表示されます。
ヨーロピアンスリーパーが運転されていない日は不活性になっているので、運転されている日にちを選択します。
座席車・クシェット・寝台車の3つから、今回は寝台車を選びました。
ここが日本人には馴染みづらいところで、乗客1人でも3人用・2人用という予約の仕方もあります。
ヨーロピアンスリーパーのサイトでは、その意味を丁寧に説明してくれています。
要するに個室単位ではなく、ベッド単位で販売されるわけです。
1人で個室を貸し切りたい場合はSingleを選択しなければなりません。
普通はTriple<Double<Singleの順に高くなります。
今回の写真ではDoubleとSingleが同額ですが、これはイレギュラーなケースです。
おすすめの設備は寝台車です。
乗車人数分で予約すればプライバシーを保って安全・快適に旅行できます。
また、寝台車には天井部分の荷物を置くスペースが広いです。
その点、相部屋になるクシェットだと、荷物置き場でゴタゴタすることがよくあります。
後半:チケットの自由度を決める。寝台車はそこそこ高い。
これで設備選択は完了。
次にチケットの柔軟性に関わる料金体系を選びます。
一番高いFlexは48時間前までキャンセル無料、一番安いEasy Nightはキャンセル不可です。
4カ月も先の日程で予約しているのに、寝台車のEasy Nightはすでに売り切れています。
現状では予約の変更はできないようです。
なお、私が実際に乗った時はEasy Nightでシングルを予約しましたが、199€でした。
これは同条件のオーストリア国鉄のナイトジェットと同じ程度の金額です。
運行開始当初の熱狂のためか、そこそこ強気に出ているなという印象です。
料金は日によって変動します。
クシェットを予約する時は4人用(2段ベッド×2)か6人用(3段ベッド×2)かを選びます。
4人用には女性専用もあります。
また、6人以下の人数でクシェットのコンパートメントを貸切ることもできます。
次に乗客情報を入力します。
Firstnameが下の名前、Surnameが苗字です。
電話番号はデフォルトになっているイギリスの国旗をクリックして国を選択し、自動的に表示される国番号の後に頭の0を除いた自分の番号を入れます。
最後に支払いです。
クレジットカード・PayPalなどが利用できます。
決済が成功すると、チケットが添付されたメールが届きます。
印刷するかスマホに保存して完了です。
お疲れ様でした。
ヨーロピアンスリーパーのヨーロピアンドリーム
夜行列車好きな二人の創業者の夢は実現しました。
野心的な彼らは、既存列車の運転区間や本数増加、さらには将来の路線拡大や自社車両の導入についても語っています。
この映画のような「ヨーロピアンドリーム」も、列車の多様性を受け入れる素地があってこそ生まれたものです。
それとも、車両性能から座席やドアの数に至るまで全て統一してでも、30秒以内の平均遅延時間を死守しなければならないと貴方は思いますか?
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