バルト三国周遊記②・リトアニアの臨時首都カウナスへヴィリニュスから日帰り旅行

ヨーロッパ鉄道

リトアニア第二の都市カウナスは、首都ヴィリニュスから列車で約1時間のところにある。
ヴィリニュスがポーランドに占領されていた20世紀前半の戦間期、リトアニアにとって不本意なことに、ここは臨時首都の機能を担っていた。

2025年9月、複雑な感情が絡み合うカウナスを訪れた。

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新市街

ヴィリニュスから電車に乗ってカウナス駅に着いたのは朝9時前。
国内第二の都市にもかかわらず、カウナス駅には売店すらなかった。
バルト三国の鉄道駅は駅舎こそ歴史を感じさせる立派なものが多いが、チケットのネット購入が普及した現在では、その機能面での存在意義を失っていると言わざるを得ない。

カウナス駅

駅からカウナス城のある旧市街へは歩いて30分以上もかかる。
バスを使うことも考えたが、その途中にも見るべきものがあるため歩いて行くことにした。
カウナスには新市街と旧市街がある。
まずは新市街を真っ直ぐに貫くライスヴェス通りの起点に位置する聖ミカエル教会を目指す。
ここは19世紀末のロシア領時代に建てられ、外観は明らかにロシア正教会の教会である。
しかし中に入るとあまり正教会っぽさはなく、リトアニア国旗の3色とウクライナ国旗が飾られている。
後で調べると、この教会は建造当初は正教会だったが現在ではカトリックの教会だそうだ。

ライスヴェス通りは並木道となっていて、カフェや商店が軒を連ねている。
この道を進んでいくと旧市街に至るのだが、それまでにも見所が幾つかある。

まず見逃せないのが、15世紀にリトアニア大公国の最盛期を築いたヴィータウタス大公の像だ。
北はバルト海から南は黒海まで領地を広げたヴィータウタス大公像は、その足元にドイツ騎士団・ポーランド・タタール・ルーシの兵士を従えている。

旧市街に入る手前のところに旧大統領官邸がある。
戦間期にここが首都だった時代に、歴代3人の大統領が住んでいた場所だ。
内部は博物館になっていて、部屋の数々には政治史に関する写真や資料が雑然に感じるくらい豊富に展示されていた。
面白い風刺画もあってなかなか見応えがある。

またライスヴェス通り沿いにあるメトロポリス・ホテルは、第二次世界大戦中に外交官の杉原千畝すぎはらちうねが滞在し、助けを求めるユダヤ人たちに命のビザを発給した場所である。
国の指示に背いてまで時間と体力が許す限り人々の命を救った杉原は、リトアニアで最も有名な日本人となっている。

ホテルの外壁には記念プレートがある
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旧市街とカウナス城

ようやく旧市街まで来た。
先ほどまで歩いてきた新市街と違って、この辺りは中世を思わせる街並みが広がっている。
聖ペトロ&パウロ大聖堂はリトアニア最大のゴシック式の教会で、内部はいかにも中欧カトリック世界の聖堂といった壮麗な雰囲気だ。
意外なことに、日本人の団体ツアーと遭遇した。
市庁舎周辺の街並みも本来は見所なのだが、あいにく一帯は工事が行われていて埃まみれとなっていた。

気を取り直してカウナス城へ向かおう。
13世紀にドイツ騎士団の侵攻を防ぐために造られた城である。
リトアニアがドイツ騎士団に勝利してその戦略価値を失った後には、城は牢獄として使われていたそうだ。

外周を散歩するのは気持ちが良いのだが、城は建物としても博物館としてもあまり整備されていない。
旧跡を廃墟のままとするか、あるいは立派に復元して博物館とするか、どちらが望ましいかは人それぞれだろうが、カウナス城の現状は中途半端な感じが否めない。

歩いていて強く感じるのが、学校が多くて若者が多いということだ。
カウナスの人口は30万人弱で、日本の寂れた地方の中核都市もだいたいこんなところだが、街の活力の違いが肌で感じられる。

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ヴィータウタス大公戦争博物館

最後に新市街に戻って、ヴィータウタス大公戦争博物館を訪れた。
この類の軍事博物館というのはどの国にもあるが、首都ではなく地方都市にあるというのは珍しい。
博物館の建物自体が、カウナスが臨時首都だった戦間期におけるモダニズム建築の代表例として見所にもなっている。
優美な装飾を極力廃した、のっぺりしたデザインである。
それにしても、この後に訪れるリガで見られる装飾過多な戦前のユーゲントシュティール建築の直後にこのモダニズムが流行するとは、第一次世界大戦が人々に及ぼした価値観・人生観の変化が如何ほどであったかを如実に語っている。

個々の展示品の詳細よりも、武器や兵士の制服など勇壮な雰囲気が印象的だった。
とくにエントランスは非常に広い空間になっており、正面にはヴィータウタス大公の像と、その周りには戦争を描いた英雄的な絵画が並んでいる。
小国の地方の博物館というよりは、帝国首都の軍事博物館のようだった。
それだけに、リトアニアのNATO加盟に関連して、かの評判の悪いブッシュ大統領(子)に尻尾を振るようなコーナーが最後の最後にあったのは残念だった。

受付でいろいろなグッズを買い求める高齢の男性が何人かいた。
彼らはロシア語を話している。
きっとソ連時代からのミリオタなのだろう。

ちなみに戦争博物館で見つけたのがこちら。

「プーチン、ハーグ(国際刑事裁判所)がお前を待ってるぞ!」
杉原千畝「ロシア人であろうとユダヤ人であろうと、等しく罪を償うべきです。
イスラエル首相のネタニヤフ被告の分も隣に作ってください。」

さて、冗談はほどほどにしなければならぬ。
駆け足だったがカウナス半日観光を終えて、駅に戻って13時25分発のヴィリニュス行きの列車に乗った。
読者はこんなせわしないことはせず、是非とも6時間以上は滞在時間を設けて欲しい。

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カウナスはリトアニア人の誇り

カウナスは臨時首都の誇りと、首都ヴィリニュスへの対抗心を持つ都市だと言われる。
これは非常に屈折したアイデンティティーである。
戦間期にヴィリニュスを占拠していたのが、連合国家として長い歴史を共に歩んだポーランドというのも厄介だ。
これが例えばロシアのような「分かりやすい悪」であれば、容易に被害者としての自国を自己規定できよう。

旧大統領官邸近くのパネル
ヴィリニュスが奪われ、カウナスは不本意な首都となった

また、カウナスの「誇り」は民族分布からも窺える。
ヴィリニュスはポーランド人が16%、ロシアやベラルーシ人も合わせて10%以上を占める多民族都市である。
ベラルーシの民族運動(現在は「ヨーロッパ最後の独裁者」に抑え込まれているが)にとっても、ヴィリニュスは文化的中心地だったのだ。

一方でカウナスはリトアニア人が約90%を占める。
最初に見学した聖ミカエル教会が正教会からカトリックになったのも、そうした事情を反映しているのかもしれない。
要するに、カウナスはリトアニアの中で最も「リトアニア的」な都市なのだ。


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