リガ近郊の文化都市、ラトビアのエルガワを6時間で日帰り観光する

ヨーロッパ鉄道

バルト三国最大の都市リガから日帰りで何処に行こうか?
一つの選択肢として、「地球の歩き方」には載っていないものの、私はラトビア南部のエルガワ(Jelgava)を勧めたい。
リトアニア領クールラント公国の首都として発展した文化都市で、宮殿や歴史ある博物館など見所の多い場所である。
リガから電車で45分程度で行けるのも利点だ。

2025年9月上旬、リガを起点にエルガワを日帰り旅行した。

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クールラント公国の首都エルガワ

先にエルガワについて軽く説明しよう。
首都リガから南西に約50㎞、リエルペ川沿いに開けたラトビア南部の都市がエルガワである。
リトアニア国境にも近く、ヴィリニュス~リガ間の列車もエルガワに停車する。

中欧の黄色部分がクールラント公国領
Mitauが現在のエルガワ、リガはロシア帝国領になっている。
出典:https://commons.wikimedia.org/

エルガワは16世紀から18世紀末まで存在した「クールラント公国」の首都を担った。
クールラント公国はリトアニア共和国を宗主国とし、それまでのドイツ騎士団長を公爵として成立した国である。
交易によって豊かになったクールラント公国は、リトアニアの従属国であるにもかかわらずアフリカに植民地まで持っていた。
支配者・知識人層がドイツ系だったため、ドイツ語の地名「ミタウ(Mitau)」が使われていた時代もある。
つまりエルガワは首都リガと比べると、歴史的にドイツ・西欧要素が強い都市だといえるだろう。

クールラント公国の黄金期を築いたヤコブ・ケトラー公爵
エルガワ博物館にて
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エルガワ博物館

リガからの列車でエルガワ駅に到着。
駅舎は綺麗になっていたが、設備はトイレくらいしかなかった。

エルガワの見所は駅から北に集まっている。

駅舎を背にして公園を歩くと、10分弱でエルガワ博物館に着いた。
18世紀に大学として造られた建物で、外観だけでなく内装も華やかだった。

博物館は1階が歴史展示になっている。
2階にも展示室があったがこの日はイベントのため閉鎖されていた。
展示品を見るのも面白いのだが、残念ながら英語の説明書きはない。
しかし、60歳前後の学芸員の男性が話しかけてきて、館内を案内してくれた。
私が日本から来たと言うと、「そういえば最近『ソノコ』という日本人の大学教授が来たよ。」とのこと。
ちなみに、私も参照している「ラトヴィアを知るための47章」(明石書店)の編著者が「志摩園子」という方なのだが、それ以上のことは分からない。

先史時代から近代まで余すことなく学芸員に説明してもらった。
「ラトビアの歴史はずっと戦争の歴史だ。島国の日本とは全く違うんだ。」
ソビエト時代のエルガワは自動車産業が発達していたが、例によって独立後はその非効率さ故に衰退し、多くの人が職と誇りを失ったという。

博物館を出て少し北に歩くと三位一体教会跡がある。
元はプロテスタント教会で戦争によって破壊されたが、今では塔の1階が観光案内所、最上階が展望台として生まれ変わっている。
また途中階もギャラリーとなっている。

三位一体教会跡

円錐形の最上階は一面がガラス張りになっていて、町全体を見渡すことができる。
ラトビア第4の都市だが、ここから見ると「都市」よりも緑の方が目につく。
川沿いの公園などいかにも長閑だ。

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大学として使われているエルガワ宮殿

次にリエルペ川の中州にあるエルガワ宮殿へ行く。
クールラント公国の君主が居住したバロック様式の傑作と呼ばれる建物で、ロシアのサンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館と同じ建築家による設計である。
川と緑に囲まれたこの宮殿は、現在は大学として使われている。

宮殿(大学)の中庭

とりあえず訪問客用の部屋に入ってみると、研修生だという学生が一人いた。
彼女は一通り部屋にあるものについて説明した後、学校の内部も見学させてくれるというのでついて行った。
部屋も廊下も大学には勿体ないほど豪華だ。
公爵の寝室も現在では研修室として使われている。
「ここは公爵の寝室でした。そのためこの部屋では学生もすぐに眠たくなってしまうんです。」
真面目そうな研修生が唐突に冗談を飛ばす。

学内のホール

学内にはドイツ風建築が並ぶ昔のエルガワの街並みの写真もあった。
研修生によると、エルガワは戦争によって街が破壊されたため、昔の建物はほとんど残っていないという。
クールラント公国時代の街並みが今でも保存されている都市はクルディーガだと勧められた。
実は私も旅行の計画段階で気にはなったのだが、あいにく鉄道で行くことができないので断念した。

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かつての街並みが辛うじて残るエリアへ

このようにエルガワには立派な博物館や宮殿があり、その歴史的重要性・文化的水準の高さを示している。
にもかかわらず観光地として知られていないのは、研修生が言っていた通り歴史的な街並みが残っていないためだろう。
しかし、この旅行者にとっては致命的な欲求不満を、ささやかながら満たしてくれる場所がある。

宮殿を出て、今度は西へ20分近く歩いて街並み保存地区を目指そう。
ここはエルガワの中で歴史的な建造物が例外的に保存されているエリアで、かつてのクールラント公国の首都の街並みを偲ぶことができる。
エリア自体は狭い範囲なのだが、ドイツ風の木組みの家が集まる一画はエルガワを知るうえで貴重な存在である。
博物館になっていて中に入れる家もあった。
この復元・修復プロジェクトは最近になって始まったらしい。

駅に帰る途中、川沿いの公園のカフェによってビールを飲んだ。
「Mitava」という銘柄は、この都市のドイツ語名が由来だろう。
「ミタウ(Mitau)」という名称がビールに使われているあたり、リトアニアのクライペダと同様に、ここではドイツに対するアレルギー反応はない(むしろナチス時代は例外)と思われる。

予想以上にエルガワに長居してしまった。
もっともリガへの列車は1時間毎にあるから、スケジュールは柔軟に組める。
ビールを飲みながら15時38分発のチケットを購入。
結局エルガワには6時間滞在したことになる。

エルガワでは街として観光客を呼び込み、文化都市として発展させようとする姿勢を強く感じた。
歴史的建造物の保存・活性化はもちろんその一環だし、何より博物館の学芸員と大学の研修生が私一人のためにそれぞれ1時間半も付き添ってくれたのだ。
リガから気軽に日帰りできる都市として、もっと注目されても良いだろう。
是非「地球の歩き方」もエルガワを掲載して欲しいところである。

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