【要塞の廃墟と4宗派の教会】ラトビアのロシア、ダウガウピルスを観光する

ヨーロッパ鉄道

リトアニアのカウナス、エストニアのタルトゥ。
両国の第二の都市は若く活気のある街として人気がある。
それに対してラトビアの第二の都市ダウガウピルス(Daugavpils)は、「地球の歩き方」にも載っておらず、訪問先としてほとんど認知されていない。

ダウガウピルスはリトアニア・ベラルーシ国境近くに位置する国内第二の都市で、ラトガレ地方と呼ばれるラトビア南東部に位置する。
民族分布ではロシア系住民が半数以上を占めており、ラトビア人は2割程度しかいない。
そのため街中で使われるのもロシア語だ。
街のランドマークは要塞で観光名所にもなっていて、軍事施設らしき廃墟や現役の古いアパートが散らばる、刺さる人には間違いなく刺さるスポットである。

2025年9月上旬、首都リガから日帰りでダウガウピルスを訪れた。
「ラトビアのロシア」の知られざる魅力を探りに行こう。

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ダウガウ川のほとりにあるダウガウピルス要塞

リガから列車で3時間弱でダウガウピルスの駅に到着。
ホームは簡素なものだったが、駅舎は劇場かと思うくらい立派だった。
もっとも、トイレと切符売り場以外に営業している施設はなかった。

ダウガウピルス駅

駅から要塞までは歩いて50分くらいかかる。
市内中心部まで歩いて、そこからバスに乗ることにした。
観光客の姿はほとんどない。
市内バスはマイクロバスで、運賃は現金払いの1€だった。
どの乗客も運転手に「スパシーバ(ロシア語で「ありがとう」)」と言って降りていく。
事前には聞いていたが、本当にここでは皆ロシア語を話しているのだ。

とりあえずグーグルマップの指示通りにバスを下車した。
てっきり要塞の入り口近くのバス停で降りるものかと思っていたが、バスはいつの間にか要塞の内部に来ていた。
ロシア帝政期の19世紀に造られたダウガウピルス要塞はただの史跡ではなく、敷地内に普通の住宅もあるようだ。
ベージュ色の古びた建物のなかには廃墟となったものも多く、間違って軍事施設跡に入りこんでしまったような気分である。

ダウガバ川のほとりまで来ると、ようやく要塞の入り口らしき所に着いた。
先ほどまでとは対照的に立派なニコラス門だ。
近くに観光案内所があったので訪れた。
要塞やラトガレ地方についてのパンフレットが充実していて、職員の男性も親切だった。
ソ連式の対応されるかと身構えていたが、良い意味で拍子抜けしてしまった。
敷地内には博物館が色々あるが、残念ながら今日は月曜日なのでどこも閉まっているという。
要塞内部の散歩道や外に出て川沿いの道を歩くのがよいと勧められた。

ニコラス門

彼に従って土手に上がり要塞の遊歩道に出た。
赤レンガ造りの倉庫だか通路だか、地形を生かした軍事施設の痕跡が至る所に散らばっている。
日本で喩えると、長崎県の軍艦島と佐世保の鎮守府を組み合わせたような雰囲気で、散策しているだけで楽しい。

ニコラス門から要塞を出ると、ダウガバ川の対岸には刑務所が見える。
川と曇り空に押し潰された不気味な半円形の刑務所を見ていると、こちら側の荒れ果てた要塞などロマンチックにさえ思えてくる。

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4宗派の教会が密集する多文化都市

要塞内にある住宅地から再びバスに乗って市内中心部へ。
これから駅の向こう側にある教会群を見に行く。
徒歩数分圏内という狭い範囲に、何と4種類の教会が集まっているのだ。
4種類とは、ロシア系住民のロシア正教会・ラトビア人のプロテスタント・ポーランド系住民のカトリック、そして正教会の一派である古儀式派(分離派)の教会である。
つまりダウガウピルスは軍事戦略的な意味のみならず、歴史文化面でも興味深い都市なのである。

陸橋で線路を跨ぐと、その先に教会の塔が3つ見えた。
正教会・プロテスタント・カトリック教会のものである。

左から正教会・プロテスタント・カトリック

最も大きくて綺麗なのは、やはりロシア正教会の聖ボリス・グレブ大聖堂Orthodox Cathedral of Saints Boris and Gleb)だった。
ここを訪れる女性は頭にスカーフを巻いている。
教会内の掲示物・出版物もラトビア語ではなくロシア語(ロシア文字)だ。

次にプロテスタントのマルティン・ルター教会Martin-Luther’s Church in Daugavpils)へ。
すぐにそれと分かる、高い尖塔を持つ赤レンガ造りのネオゴシック様式だ。
内部は簡素だったが塔に上がれるらしい。
英語圏から来たカップルと一緒に急な階段を登った。

続いてカトリックの聖母マリア教会Immaculate Conception Catholic Church)に行く。
ここはネオバロック式の教会で、私が訪れた時には催し物があった。
掲示板を見るとミサの言語がラトビア語・ロシア語の他にポーランド語もある。
ここラトガレ地方はポーランドに支配されていた時期も長く、それ故にポーランド・カトリックの伝統が息づいているわけだ。

最後に古儀式派のポモリア教会Pomors Church of Latvian Old Believers)へ。
実はここに来るのは心配だった。
というのは、グーグルマップのレビューに「老婆に罵倒されて外に追い出された」という内容の報告が溢れかえっているのである。
実際に敷地内にも「信者の近くに立つな」など細かい注意書きがあった。
しかし、「観光客は来るな」とはどこにも書いていない。
私は覚悟を決めて中へ入った。

古めかしい木製の祭壇にイコンが並ぶ、修道院の図書館のような独特な雰囲気だった。
中央では、噂の小柄な老婆が祈りを捧げている。
老婆は振り返ると、明らかに敵意のこもった鋭い目つきで私を睨みつけて、何かを尋ねた。
私は隅に静かに佇み、邪魔をするつもりはないことを示すと、老婆はまた祈りを続けた。
一目でわかる外国の異教徒にも、どうやら「入場許可」が下りたらしい。
先ほどの英語圏からのカップルは門の前で躊躇していた。

帰りの列車まで少し時間があるので目抜き通りを歩いた。
要塞・工業都市といった印象にはそぐわない、華やかさも感じる並木道だった。
カフェでは家族連れが寿司(ロール)をフォークで食べている。
まるでうどんをつゆに付けるように、醬油をたっぷりとかけていた。

ダウガウピルスはリガからやや遠く、特に街並みが綺麗というわけでもないので、一般旅行者向けには敢えて行く必要のない都市なのかもしれない。
しかし、ラトビアのロシアという立ち位置、要塞の醸す独特な廃墟感、4宗派の教会に象徴される文化的多様性という意味で、物好きな人にとっては「濃い面白さ」に溢れた場所であった。

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