【通勤電車に乗って、日常の倦怠感から解放されよう!】東京のど真ん中に残る鉄道近代化の名残

歴史散策

私たちが普段の通勤通学に使っている鉄道。
明治時代以来、日本全国津々浦々で人々の生活を支えています。

とはいえ、毎日満員電車に苦しめられている私たちは、そんなことを実感することもないでしょう。(もちろん私自身もそうです。)

しかし、私たちにとっても身近な現役の路線でも、首都圏の鉄道の近代化の歴史を、さりげなくではあるものの伝えているものもあります。
その中から幾つかを紹介します。

なお本記事で使用している画像は、全て筆者が現地取材で撮影したものです。

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蛇のように車体をくねらせて走る中央線

都心部の中央線

中野・立川間は(駅構内周辺を除いて)直線が続く中央線ですが、新宿からは急曲線が連続する区間となっており、電車も車輪もきしませながら走ります。皇居の存在や、当時の国の政策もあったようです。


中央線は三鷹から御茶ノ水までは複々線(上下線2本ずつ)ですが、基本的にこの区間は「線路別複々線」(快速線と各停線それぞれの複線がある)になっています。しかし御茶ノ水駅では中央快速線(オレンジの電車)と中央鈍行線(黄色の電車)の乗り換えを、階段を使わず便利にするために「方向別複々線」(それぞれの方向で快速と各停が並んで走る)になっています。

そのために御茶ノ水駅前後の配線は、立体交差を含んだ複雑なものになっています。高台と神田川に挟まれた狭い用地での複々線化は、大変な苦労であったことが予想されます。

ちなみに、御茶ノ水から秋葉原へ向かう中央線鈍行列車は、立体交差のため勾配を上りますが、戦後になって電車を増結するためにホームを延伸した結果、ホームに段差ができています。
輸送力増強のための苦肉の策がここに現れています。

御茶ノ水駅のホームの段差
ホームにできた段差

電車からも見える旧万世橋駅

万世橋駅の遺構
旧万世橋付近の遺構

万世橋駅は1912年に中央線の起点として営業を開始。東京まで線路がつながるまではターミナル駅としての役割を担いました。

しかし関東大震災による被害でその風格を失い、震災後の都市計画のために万世橋駅は衰え、1943年に廃止(形式上は休止)されます。

後にその構築物は、交通博物館の一部として利用されていましたが、現在では商業施設「mAAch」となっています。
特に1912年当時の階段もほぼそのまま残っており、明治時代の面影を感じることができます。

万世橋駅の階段
1912年の階段

施設内にはカフェもあり、中央快速線に挟まれた位置で万世橋駅のホームを眺めながら、コーヒー休憩するのもお勧めです。

万世橋駅を利用したカフェ
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難産だった総武快速線の地下区間

国鉄初の地下鉄

総武快速線電車は品川から錦糸町にかけて地下区間を走行します。(実際は品川~東京は東海道線だがここでは区別しない)
この区間は1970年代前半に難工事の末に開通しました。

既にこの辺りには地下鉄が走っていただけでなく、海に近いので地質は軟弱でした。さらに通信会社のケーブルなどの地下構造物も多く、トンネルは地下深くに掘られたのです。

東京駅や新橋駅などはホームが深いので「不便だな」と感じて、イライラしてしまうかもしれません。
そんな時には、都心のビジネス街や江戸の風情が残る隅田川で、当時の最先端の土木技術を用いて騒音にも気を遣いながら、この路線を開通させた人々のことを思い出してください。

今も残る「昭和感」

新日本橋駅のコンコース
新日本橋駅のコンコース

この路線は駅やホームの随所に、昭和あるいは国鉄の香りが漂っています。
文字のフォントや色遣い、案内表示にそれを感じることができます。
また天井や階段・エスカレーター側面のタイルも独特な雰囲気を醸し出しています。

新日本橋駅の案内表示
レトロな案内板

特に新日本橋駅は顕著です。
「成田エクスプレス」を待つ外国人旅行客で賑わう隣の東京駅とは正反対に、開通当時の面影を残している新日本橋駅は頑固とさえ言えましょう。

新日本橋駅のレトロな雰囲気
風情のあるフォントと色合い

また、東京駅でさえ少しレトロな駅名標があります。
すぐ近くに新しいものがありましたが、これも残しておいて欲しいですね。

総武快速線東京駅の昭和風の駅名標
東京駅にも残る「昭和」
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貨物線を利用している湘南新宿ライン

正式名称は山手貨物線

湘南新宿ラインは一般的には、横浜方面と大宮方面を新宿経由で結ぶ電車のことを指します。この路線の特徴は貨物線を有効活用している点です。横浜からは横須賀線と同じ線路を走りますが、ここも「品鶴線」と呼ばれる貨物線です。

大崎から田端付近まで山手線と並走しますが、ここも「山手貨物線」という、元は都心を通過する貨物列車のために作られた路線です。

貨物線としての配慮がなされた設計

山手線に並走する路線を増設する際に、貨物線ならではの苦労がありました。
電車というのは加減速に優れた足の速い列車ですが、貨物列車は機関車が長編成の貨車を牽くわけですから、勾配に弱いのが難点です。
山手線の目黒駅ではホームから湘南新宿ラインの線路を見下ろす形になりますが、これも貨物線の目黒付近での急勾配を避けた結果なのです。

目黒付近で山手線と山手貨物線が立体交差する
目黒・恵比寿駅間。山手線電車から貨物線を見下ろす

その他にも貨物取扱設備の関係上、例えば渋谷から新宿にかけてはかなり複雑な配線構造になっています。

なお、田端駅の手前で左に急カーブして山手線と別れ、トンネルを出たらすぐに今度は京浜東北線と並走する区間は、せわしないながらも大変迫力のあるシーンだと言えましょう。

田端駅付近で湘南新宿ラインと山手線が立体交差する
湘南新宿ラインの電車より。上部を山手線が通る。
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業態転換して生まれ変わった武蔵野線

実は府中本町駅から先も伸びている武蔵野線

今では東京郊外の環状線として機能している武蔵野線も、やはり元々は貨物線として設計された路線です。
現在旅客輸送に使われているのは府中本町~西船橋間ですが、実際は線路はその先も続いており、鶴見のあたりで東海道線本線(前途した品鶴線)と合流します。

先ほどの山手貨物線の増設を以てしても、増大する輸送に対応できなくなり、都心を迂回する貨物線として1970年代にかけて開通しました。
もっとも武蔵野線が全通してそう長くないうちに、鉄道の貨物輸送はトラックにシェアを奪われ衰退します。(この種の話は国鉄の歴史に山ほどあります。)
現在では通勤圏の拡大によって、外郭環状線として通勤輸送に欠かせない存在であることは、皆さんもご存じでしょう。

貨物列車主体の面影が残る

貨物待避線がある武蔵野線のホーム
西国分寺駅にて。中央に貨物列車待避線がある。

武蔵野線では、上下線の間にもう1本線路がある駅が多いです。
これは貨物列車の待避線として造られています。

また、かつて沿線には三郷市に「武蔵野操車場」という、当時最先端の設備を誇った日本最大の貨物の積み替え施設がありました。
しかし、結局わずか10年でその役割を終え廃止されてしまいます。

広大な跡地はショッピングセンターとして利用され、その後にも吉川美南駅が開業しています。

さて、府中本町方面から西浦和駅に進入する際、ポイント通過のために電車が大きく揺れます。車内アナウンスでも注意喚起が行われています。

西浦和駅のポイント通過
西浦和駅から府中本町方面を望む。武蔵野線電車はポイントを通り本線に合流する。


他の列車の通過待ちでもないのに奇妙だと思いませんか?

実はそれも武蔵野線の成り立ちと関係があります。
通常では旅客列車の方が貨物列車より優先されます(つまり貨物列車がポイントの分岐線を通過するべき)。しかし、ここでは西浦和駅を通過後に武蔵野線から東北本線へと連絡して、大宮方面に向かう貨物列車本位になっています。

西浦和駅から大宮への貨物連絡線
西浦和駅から西船橋方面を望む。4本の線路の内側2本を武蔵野線電車が通る。
外側の2本は左に曲がって東北本線と合流する。
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埋没した意識を取り戻せ!

首都圏の鉄道はその歴史において、輸送力増大の必要性に応じて発展してきました。そして当然のことながら、そこには過密都市東京ならではの物理的制約がありました。

私たちが普段の生活で、水や空気のように享受している利便性は、関係者たちの知恵と苦心の賜物であることが分かります。

通勤中にとは言いませんが、休みの日などに、同じ路線でもいつもとは違う時間に、例えば先頭車両から景色を眺めてみれば、新たな発見があるかもしれません。

鉄道に意識して乗ることで、日常生活ですり減った注意力と好奇心を呼び覚ましましょう。


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