本州を除く主要三島のなかで、九州・北海道と比べると存在感が薄いのが四国である。
全体的に穏やかというか地味な印象で、福岡・札幌のような圧倒的な力を持つ都市もない。
そして日本最後の新幹線空白地帯でもある。
2024年11月下旬、そんな四国を七日間かけて高松を起点として反時計回りに一周した。
本シリーズでは旅程を「みぎうえ」「ひだりうえ」「ひだりした」「みぎした」の4パート(部)に分けてその様子を綴っていく。
なお、一周旅行全体のルートや「上下左右」の概念については、ガイダンス記事を参照していただきたい。
本記事は「ひだりした」の2話。
四国の南端にある足摺岬を観光した後に、高知西南交通の路線バスで土佐くろしお鉄道の中村駅を目指した。
自然に畏怖させる足摺岬
バスで足摺岬に着いたのが15時24分。
帰りの便まで2時間ほどある。
とりあえずは歩いてジョン万次郎(中浜万次郎)の像がある展望台へ向かう。
曇り空のもと、太平洋は藍色に見えた。
キーキーと鳴く鳥の声をかき消すように、風と波の轟音が響き渡っている。
切り立った断崖は、まるで巨大なショベルカーでえぐり取られたような表面で、見ていて恐ろしくなるほど迫力がある。
遊歩道が整備されている椿の林を抜けて、檳榔樹に囲まれた灯台の麓に出た。
駐車場には全国各地のナンバープレートを付けた車が停まっている。
今日は日曜日だから人が結構多い。
しかし驚いたことに、観光地であるにもかかわらず客を受け入れるレストラン・カフェなどが周囲には全くない。
辛うじて土産物屋が駐車場の隣にあるのみだった。
少し離れた所にホテルや民宿があるようだが、観光の中心エリアがこれでは地域にお金が落ちようがない。
バス停の目の前にある金剛福寺を訪れる。
9世紀に弘法大師空海が開創したと伝わる寺である。
お遍路さんのグループが大勢来ていた。
門には「補陀落東門」と書かれている。
中世の足摺岬では観音菩薩の降臨する「補陀落」を目指して小舟を漕ぎだす「補陀落渡海」が行われていた。
足摺岬のエキゾチックで神々しい景観を目にすれば、昔の人が別世界への入り口をここに見出してもおかしくない。
境内には真ん中には池があり、多宝塔や金堂などがそれを囲むように建っている。
まるで「真言宗の浄土庭園」のような空間だ。
金堂の周りには千手観音などの仏像が100体以上並んでいる。
自然に圧倒されたこの地に、かくも立派なお寺があるのは意外だった。
バスで来た道を少し引き返したところに、亜熱帯植物が群生する自然植物園がある。
まだ明るい時間なのに、ここは暗くて蒸し暑い。
どれも普段見ることがない草木だ。
途中には休憩小屋もあって、どこかの南の島を軽くハイキングする感覚である。
生ぬるい空気で深呼吸をしていると、なんと遠くからツクツクボウシの鳴く声が聞こえた。
まさか11月下旬にセミがいるとは信じられなかった。
人間だけでなくセミも晩婚化しているのだろうか?
次に急な階段で岸辺に降りて、白山洞門を見に行く。
大きな岩の塊に、海の浸食によってできた穴がぽっかりと開いている。
足摺岬にはこのような洞門が多くあるが、白山洞門はその中でも最大のものらしい。
今もなお、波が破損した岩を容赦なく叩きつけている。
洞門越しに大海原を眺めていると、遠くに大型のフェリーが西へ向かっていくのが見えた。
瀬戸内海は多数の船が行き来するが、太平洋を航行するフェリーは珍しい。
おそらく前日深夜に横須賀港を出港して、今夜北九州市の新門司港に着く便だろう。
歩いて展望台の方へ帰る途中、お遍路さんグループの乗るバスとすれ違った。
するとその後ろから、参加者の一人らしきおばさんが走って追いかけて来たが、諦めて駐車場に戻っていった。
気の毒なことに、バスに置いて行かれてしまったようだ。
なお、別のバスの運転手が旅行会社に連絡したおかげで、おばさんが乗るべきバスは無事戻ってきた。
最後に眺望の良い天狗の鼻へ。
新しく綺麗な展望台だった。
最初に行った駐車場近くの展望台より人が少ないし椅子もあるので、こちらの方が落ち着いて景色を眺められる。
日は暮れて、分厚い雲に覆われた空はピンク色がかってきた。
灯台の光が怪しく光り始めた。
駐車場に戻ると車はもう1,2台しか残っていない。
店は閉まっているし、バスまであと30分ある。
観るべきスポットはコンパクトにまとまっているので、周辺観光には2時間あれば十分だろう。
岐阜県から車でお遍路をしている40代と思しきおじさんと会った。
面白い人だった。
昨日の暗い時間、私のように何もない停留所からバスに乗るという若い女の子がいて、危ないからバスが来るまで一緒に待ってあげたという。
遠慮する彼女をこう説得したそうだ。
「おじさん?おじさんは変な人じゃないよ。今はお遍路中で弘法大師様と一緒にいるから、絶対に悪いことはしないよ。(弘法大師様がいなかったら分からないけど。)」
路線バスで中村駅前へ
親切なおじさんも車に戻ってしまい、駐車場で心細くバスを待つ。
外はもう暗くなり、雨も降ってきた。
何のことはない、足摺岬に取り残されたのはバスに乗り遅れたお遍路さんではなく私だったのだ。
トイレの入り口で雨宿りをしていると、ようやく高知西南交通の中村駅行きバスがやって来た。
まずは停留所でなく駐車場に停車する。
運転手は私を見つけると車内に入れてくれたので、礼を言って真ん中あたりの席に座った。
前回記事でも記した通り、交通系ICカードは高知県内限定の「ですか」しか使えない。
出発前に両替をしていると、たちまち8月の夕立のような豪雨になった。
「この季節にこんな雨や。地球がおかしくなっとる。」と隣で運転手が言う。
「温暖化ですね。」
これだけなら月並みな会話に過ぎないが、彼は違った。
「これからトランプ(当時は次期米大統領)がどんどん化石燃料を採掘するし、プーチンも戦争やめへんし、世界はどうなるんやろな。」
もちろん私と彼は何の面識もない。
通りすがりの観光客相手に初っ端からこんな話題を切り出すとは、さすがは議論好きの土佐人ではないか。
私も一番前の席に移動した。
この類の話をしながら友達と酒を飲みかわすのは好きなので、その意味で相手がバス運転手というのが残念ではある。
17時46分にバスは私だけを乗せて足摺岬を出発した。
いつの間にか雨はやんでいた。
昔は商店やホテルがもっとたくさんあったが、団体旅行が減ったことで寂しくなったという。
清水プラザパル(土佐清水市)までは来た道を引き返す。
やはり狭い路地を、今度は真っ暗のなか走る。
そんな所でも、慣れている運転手は平然と話をもちかける。
清水プラザパルで少し停車。
土佐清水の街は深夜のように静まり返っていた。
かつては大勢の漁師であちこちの居酒屋が盛り上がっていたそうだ。
しばらくするとサンダル姿の地元の若い男性が乗ってきて、後方の席に座った。
私はよそ者のはずだが、不思議と彼を迎えているような気分だ。
その男性は5分くらいで頭をペコリと下げて降車していった。
中村駅までの1時間40分のうち、乗客が2人いたのはこの間だけだった。
このバスの利用客数は普段からこんなものだろう。
便数が少なくて不便だとは思うものの、この路線が毎日運行されていることに感謝しなくてはならない。
その後も付近の観光案内と国際情勢をめぐる議論が延々と続く。
運転手は次期トランプ政権に悲観的だったが、日欧の政権が悉く弱体化するなかで強力なリーダーシップがアメリカに誕生するのは(西側諸国の立場では)そう悪いことではなかろうと私は主張した。
はやく酒が飲みたい。
右手には綺麗な海岸が広がっているらしい。
ついに前方に中村(四万十市)の街灯りが見えてきた。
市街地へと続く四万十川の広々とした河口部が、時々車のライトに照らされて現れる。
人口3万人程度の市にすぎないが、堂々と都会に凱旋している気分である。
中村の繁華街には良い店が多く、チェーンの居酒屋は無いという。
これはますます期待できる。
19時26分、終着の中村駅に着いた。
正直この1時間40分の使い道には悩んでいたのだが、おかげで大変楽しい時間を過ごすことができた。
バス運賃ではなくタクシー代を払いたいくらいである。
宿泊先のホテルに行く前に、まずは繁華街へ向かおう。
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