何も知らずに来た人なら、こんな山間部になぜかくも立派な駅が佇んでいるのかと、不思議に思うでしょう。
コンビニはおろか、最寄りの自動販売機すら徒歩15分の所にある、ここ備後落合駅は、かつては陰陽連絡のターミナルとして機能しており、鉄道関係者が100人以上いたそうです。
今や鉄道で訪れるのは難しい秘境駅を、随所に残る過去の面影を感じながら探訪しました。
昔の様子を伝える備後落合駅
立派な配線とホーム
かつては名物の「おでんうどん」も販売されていた売店があり、乗り換え客でごった返していたホームは急行列車が停車するために、今からすると異様に長くなっています。
典型的な「昔栄えた駅」ですね。
戦前は跨線橋がありましたが、物資調達のために撤去されました。
ちなみに「おでんうどん」ですが、駅から徒歩15分ほどの所にある「ドライブインおちあい」で9月から5月までの間、食べることができるようです。
また、ホームの柱はレールを再利用しています。
写真からは分かりませんが、アメリカの鉄鋼会社「CARNEGIE」(カーネギー)の文字がうっすらと見えます。
ホームの横にも留置線が何本かありますが、現在は使われていません。
以前は木材などを運ぶ貨物列車も発着していたそうです。
こんなローカル線にも貨物列車が走っていたとは、亜幹線においても鉄道による貨物輸送が縮小した現在の感覚からは考えられないことです。
転車台
駅構内の隅に、蒸気機関車の向きを変える転車台が見えます。
現在では稼働しておらず、あまり整備もされていないので草に覆われていますが、この感じが何ともいえない魅力を醸し出しています。
貨車や客車が並び機関車が忙しそうに走り回っていた、煙が立ち込めるかつての駅の情景が想像されます。
転車台の横見見えるコンクリートの構造物は、蒸気機関車の煤を落とすための場所でした。
やはり転車台の近く、芸備線の比婆山駅方面に続く線路の脇には機関庫がありました。
今では建物は残っていませんが、上の写真の左の方に見えるのがその土台だと思われます。
トイレは水洗式ではない
私が備後落合駅に来て驚いたことの一つが、和式トイレが水洗式でないことです。
所謂「ボットン便」というやつで、もはや日本ではなかなか見ることのできないものではないでしょうか。さらに男女別にすらなっていません。
普段は和式はおろか、洋式トイレでもウォシュレットが無ければ残念な気持ちになる私も、この時ばかりは貴重な「駅設備」に出会えて大変感動したものです。
なおトイレは古典的ではありますが、清掃はきちんとなされており汚いということはありません。
昔の時刻表で見る陰陽連絡の急行「ちどり」
陰陽連絡線といっても現在の芸備線や木次線の閑散っぷりをみると、にわかには信じられないかもしれません。
しかし、広島から山陰の松江や米子へは、主にこれらの路線を通る急行「ちどり」を使うのが一般的でした。
「ちどり」には夜行列車までも設定されていたのですから驚きです。
また岡山から伯備線を通って新見に出て、そこから芸備線で広島を目指すという、変わった経路の急行「たいしゃく」も備後落合駅を経由しました。
さらに広島から米子方面に向かう「ちどり」と、新見・岡山へ向かう「たいしゃく」は、備後落合駅で分割併合していました。
ところで、「備後」は旧地方名として、「落合」は地名ではなく、広島・宍道(木次線の終着駅で山陰本線と連絡)・新見からの列車が「落ち合う」駅ということでこの名前が付いたのです。
駅前にあった旅館は、夜列車で着いて翌朝出発する乗り継ぎ客で賑わったそうです。
そうした華やかな時代も国道の整備によるバスやマイカーの攻勢、そして沿線人口の減少により終わることになります。
有志のガイド
駅の近くに住んでいる国鉄OBの永橋さんが、備後落合駅のガイドをされていました。たくさんの貴重なお話を拝聴しました。
廃線への危機感から立ち上がった
「昔はよう栄えとったんですよ」
開口一番、何もない駅前を見渡しながらしみじみと切り出した永橋さん。
「三江線がああいう風になったでしょ。(注:三江線も芸備線の三次駅と山陰本線の江津駅を結ぶローカル線で、2018年3月に全線廃止された。)芸備線や木次線だって見ての通り赤字やから、いつ廃止されるか分からん。」
そのような危機感を持って、この駅のガイドを始めたそうです。
実体験に基づく苦労話やエピソードを沢山話していただきました。また、元機関士ということで車両のメカニックにもお詳しいです。
待合室は資料室さながら
駅の待合室には沿線にちなんだ写真が多数飾られています。
また新聞の切り抜きやいろいろな資料・小道具が揃っています。
それらについても、逐一説明してくれます。
私が印象に残ったのは、今は民家になっている旅館に宿泊した松本清張が、おかみの話す東北弁に似た方言を聞いて、それが「砂の器」のあらすじに重要な影響を与えた、という資料の説明書きです(当作品をご存じの方はこの意味が分かると思います)。実際に彼はその後、木次線の亀嵩駅に行ったそうです。
もはや単なる待合室というより、展示の充実した鉄道資料室と表現するべきでしょう。
寂れたターミナル駅の将来
永橋さんをはじめとする近隣の方の尽力もあってか、最近は全国各地から訪れる鉄道ファンが増え、海外からもメディアの取材や個人観光客が来るそうです。
私は1時間の乗り継ぎ時間は正直時間を持て余すかと思っていたのですが、結局全く時間が足りなかったという印象です。
ガイドを含めた駅の見学や周辺の散策もしたい人は、数時間あったほうが望ましいです。
最後に感謝の言葉と来てよかった旨を伝えると、「そう言ってもらうのが私の生き甲斐です。」と言っていた永橋さんは、時に活き活きと、時に寂しそうに話をされていたのが印象的でした。
如何せん列車本数が少ないので、適度な時間滞在するのは難しいですが、著名な作家である宮脇俊三氏も「私のもっとも好きな駅の一つ」と讃えた備後落合駅は、その不便さを補って余りある、ここにしかない魅力があります。