バルト三国周遊記③・リトアニアのドイツ、クライペダ旧市街とクルシュ砂洲

ヨーロッパ鉄道

リトアニア北西部の港町クライペダは、第一次世界大戦までドイツ領の北東端の都市だった。
今でもドイツ風の街並みが残り、首都ヴィリニュスとは全く異なる「リトアニアのドイツ」を感じられる街である。

昼間12時過ぎに列車でクライペダ駅に到着、ホテルに荷物を置くや否や観光を始めた。

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メーメルの街並みと城博物館

ヴィリニュス発の列車からクライペダ駅に降り立つと、冷たい海風が肌をさらった。
市バスを降りて南へ歩いてダニェ川を渡ると旧市街である。
川沿いには遊歩道が整備され、観光用の帆船の姿もあった。
土曜日ともあって街は賑やかだ。

川沿いのウォーターフロント

旧市街にはドイツ風の木組みの建物があちこちに見られる。
クライペダは第一次世界大戦までドイツ帝国領で、ドイツ語の地名は「メーメル」といった。
戦後は国際管理下に置かれたが、独立して間もないリトアニアが暴動につけこんで武力で占拠するも、ヒトラーの恐喝で再びドイツに割譲された。
第二次世界大戦後にはソ連がこの地を領有することとなり、ソ連解体後はリトアニアに承継された。
この辺の経緯を「地球の歩き方」が歯切れ悪く説明しているのは、「善(リトアニア)VS悪(独・ソ)」という人々が好む単純な物語的フレームが使えないからであろう。

それはともかく、街中の商業施設では「メーメル○○」という名称を結構見かける。
それに新しい建物でも伝統的なドイツ建築を模したものが多くある。
「リトアニアのドイツ」は黒歴史などではなく、クライペダの確固たるアイデンティティとして生き続けているようだ。

旧市街を散策しつつ、城博物館を訪れた。
ここは城の基礎部分や出土品を見ることができるが、それ以上に郷土博物館としての性格が強い。

城砦の地下を利用した展示スペースが幾つかに分かれている。
最初の展示は中世~近世にかけてハンザ同盟として栄えたドイツ的世界に浸ることができ、全体的にはほのぼのとしている。
だが、近代パートになると第二次世界大戦を中心とした、ドイツ・ソ連の間で揺れたクライペダの過酷な歴史に触れることになる。
この前近代史と近代史のギャップが何ともショッキングだった。
もっとも、「前近代=平和で牧歌的、近代以降=凄惨で苛烈」というイメージさえも「物語」なのかもしれないが。

城の外周の土手を自由に歩きながら余韻に浸る。
城博物館全部で2時間くらい見学した。
かなり充実した内容だったが工事中の箇所もあり、博物館はさらに拡張されるようだ。

次に小リトアニア博物館へ行く。
「小リトアニア」とはバルト海に面したポーランド北部からロシアの飛び地カリーニングラードを経てこの地方にまたがる地域名。
博物館自体も伝統的なドイツ風建築となっている。
ここでの主要登場人物はリトアニアやポーランドではなくプロイセンだ。
同じリトアニアでも、ヴィリニュスやカウナスとは全く違う歴史を歩んだ地域だということがよく分かる。
英語のオーディオガイドはかなり詳しいが、近代史に対応していないのは残念だった。

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船に乗ってクルシュ砂洲へ

クライペダ旧市街は狭いので短時間で見所を周ることができる。
城博物館と小リトアニア博物館を見学してもまだ17時だ。
クルシュ砂洲へ向かう船に乗ることにしよう。

クルシュ砂洲はクライペダの対岸を北端に、ロシア領カリーニングラードまで延びる全長100㎞の細長い砂洲だ。
市街からは目と鼻の先にあって船で5分程度で行ける。
砂洲は森林公園になっているので、地図上では細長い線だが対岸から見ると大きな島のように見えた。
折り返しの船は自転車を押す人たちで溢れかえっていた。

17時半出航の船に乗船。
後ろを振り返ると港湾都市クライペダの全景が眺められる。
大きな貨物船が目の前を横切っていった。

砂洲に着いた。
自転車を持った人が「ここはとても良い所だよ。日本から?ようそこクライペダへ。」と言って走り去っていった。
何の当てもなくやってきたわけだが、この辺りの幅は1㎞もないので海岸線まで歩いて行けそうである。
潮風と森の香りに包まれた道を歩いて砂洲を横断しよう。
やはり風が強いのか木々は傾いて立っていた。

起伏のある砂浜が現れると視界一面にバルト海が広がった。
周りに誰もいないので思わず歓声をあげてしまった。
ワルシャワ・ヴィリニュス・カウナスとこれまで訪れた都市は内陸部だったので、今回の旅行では初めての海だ。

緑色に濁った波が幾重にもなって押し寄せる。
風が吹きつけて寒い。
垂れ下がった分厚い雲と水平線の僅かな隙間から明るい光が洩れていて、まるで海に太陽が没しているような感覚だった。
およそ海水浴に適した天候ではないが、ガタイの良い男性が半袖で海に浸かって波を受けている。

船を降りて歓迎されていなかったら、すぐに市街へ引き返していたかもしれないが、ここまで来て良かった。
ちょこっと横断しただけでも感動するのだから、砂洲をサイクリングするのは本当に気持ち良いだろう。

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名物のチーズフライは手づかみで食べる

市街に戻って夕食。
レストランの名物だという「オールドタウンフィンガー」を注文した。
料理は出てきたがナイフとフォークが無かったので貰いに行くと、店員は「あれは手で食べるんだ。周りの人もそうしているよ。」と言う。
なるほど、だから「フィンガー」という名前なのか。
となるとお手拭きくらい欲しい気はするが、それは無かった。
コロナ騒動下ではいつもノーマスクを責められて辟易した私も、やはり日本人なのだなと感じる。

「オールドタウンフィンガー」は日本でいう「モチモチチーズフライ」で、指でつまんで少し辛いマヨネーズソースに浸して食べる。
これはビールも進む。
注文したのはハーフサイズだったが、それなりのサイズが3本あるので一人では多すぎた。
ちなみにŠvyturysというリトアニアを代表するビールメーカーは、ここメーメルことクライペダで造られているそうだ。

クライペダの経度はワルシャワと同じ、時差が1時間あって緯度が高いので夏の日没時間は遅い。
21時頃になってようやく日が暮れた。
街灯に照らされた静かな通りを歩きながら、私はドイツ風の街並みが好きなのだなと実感した。
そういえば、昨年フランスのストラスブールに滞在した時も同じことを思った。

明日はシャウレイで列車を乗り換えて、ラトビアの首都リガを目指す。



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