本州を除く主要三島のなかで、九州・北海道と比べると存在感が薄いのが四国である。
全体的に穏やかというか地味な印象で、福岡・札幌のような圧倒的な力を持つ都市もない。
そして日本最後の新幹線空白地帯でもある。
2024年11月下旬、そんな四国を七日間かけて高松を起点として反時計回りに一周した。
本シリーズでは旅程を「みぎうえ」「ひだりうえ」「ひだりした」「みぎした」の4パート(部)に分けてその様子を綴っていく。
なお、一周旅行全体のルートや「上下左右」の概念については、ガイダンス記事を参照していただきたい。
本記事は「ひだりした」の第3話。
四万十市にある「土佐の小京都」と呼ばれる中村に宿泊し、短い時間ながら街を散策した。
海・山・川の幸...中村は屈指のグルメの街
足摺岬からのバスで中村駅に着いたのが19時26分。
仲良くなった運転手と別れ、歩いて市内中心部へ。
中村の居酒屋の水準は高いと聞いていたので夕食には期待していた。
とりあえず一番有名な店に入った。
まずはブランド魚として知られる清水サバや、おすすめされた山芋に四万十市の地酒「藤娘」を頼んだ。
初めて食べた清水サバの刺身は食感・脂乗りともに申し分ない。
カツオに勝るとも劣らず、である。
ゴリという小さなカジカのような泥臭い魚や川海老など、四万十川の幸も酒によく合う。
店内では、芸能人が来ていると店員や常連が興味津々に囁き合っていて、そんな光景を見ていると田舎に来たなと思う。
足摺岬から少し内陸に入った山間部にある三原村でつくったどぶろくを試してみた。
驚いたことに、体積の半分以上は固形で、もはやどぶろくよりもお粥に近い。
弾けるような米の、否、稲の風味に魅せられて2杯飲んだ。
だんだんと気が大きくなって、アユの塩焼きに続いて、四万十鰻の白焼きまで奮発して注文してしまった。
「綺麗な水で育った鰻は格別に旨い」という店員の一押しも効いた。
さて、「眉間にしわを寄せる」とはマイナスイメージで語られる表情だが、物凄く旨いものを口にした時にも、そんな表情になってしまう人はいるだろうか?
鰻を塩と山葵につけながら、フグのひれ酒とともに味わっていた私がそうだった。
もっとも、周りからは変な客だと思われていたかもしれない。
レジで会計をした時、女性の店員が「これ一人分?間違っとらん?」と驚いていた。
私が神戸から来たと言うと、「あんたの目の前におった男性の店員もその辺の人や。」とのこと。
結局、尼崎市だと判明した。
自分の出身は実際は西宮市で尼崎市の隣だと言うと、女性はわざわざその人を呼んでくれた。
彼は20年近く前に四万十市へ移住したそうだ。
「ここはいい所ですよ。」と心から言っているのが感じられる表情だった。
ところで、私は旅行中は今住んでいる東京都小金井市ではなく、出身地に近い神戸と答えているのだが、どうやら四国でも西宮市で十分通じるようだ。
愛媛で話した人たちも、足摺岬から乗ったバスの運転手も、みな西宮市を知っていた。
ホテルは飲食店街から近い。
四万十町(紛らわしいが、四万十市とは別の市町村)で造っている「ダバダ火振り」という栗焼酎を部屋で静かに飲む。
甘くてコクのある味わいだった。
モンブランケーキと一緒にブランデーを飲んでいる気分だ。
小京都の名残ある中村
4日目の朝。
今日は7時過ぎにホテルを出て、少しだけ中村の街を散策する。
15世紀後半、応仁の乱の戦火を逃れてこの地へ下向してきた前関白の一条教房は、ここ中村を拠点として高知県西部の幡多地域に勢力を築いた。
四万十川を桂川に、後川を鴨川にそれぞれ見立てて作られたこの街は、「土佐の小京都」と呼ばれている。
律令制の国・江戸時代の藩・現在の県の範囲が全て一致する高知県は珍しい例であるが、その高知県のなかでも幡多地域は独自の文化的特徴を有している。
聞いた話では、土佐弁は荒っぽく聞こえるが、幡多弁は語尾が「ふわっとした」印象なのだそうだ。
言われてみればそんな感じがしなくもない。
そんな風土を持つ中村であるが、実際のところ小京都を思わせる建物はもう残っていない。
なので、何も知らずに来ると「何もない街」となりかねない。
しかし碁盤目状の街並みや、「祇園」「稲成」がつく通りの名前にその歴史を感じることができる。
古来より「遠流の地」だった土佐において、この幡多地域はさらなる僻遠の地とされていたことを考えれば、小京都の面影があるだけでも尊いものに思えてくるだろう。
市街地の中央部には、歴代土佐一条家を祀った一条神社がある。
この神社のある山を囲む一帯が中村御所だった。
鳥居をくぐって石段を登る。
神主が箒で掃除をする音だけが響く静かな場所だ。
境内には中村開府五百年・国鉄中村線(現・土佐くろしお鉄道の窪川~中村)開通の記念碑があった。
一条教房の下向が1468年なので中村開府五百年は1968年のことである。
曰く、その2年後に「全幡多地区民の半世紀にわたる悲願であった国鉄中村線が開通した」とある。
一条則房の功績と中村線開通が同列に語られているところに、地域に鉄道が存在することの重みを考えずにいられない。
左の丘の上に見える天守閣風の建物は四万十市郷土資料館
次に市街地北西に位置する、中世の中村城があった為松公園に行く。
小高い山へ登ると城跡があった。
僅かな土塁を除けば、こちらもほとんど城の面影はない。
高台から見渡すと、碁盤目状の街は霞んでいて、後川だけが日光を反射して輝いていた。
城跡には四万十市郷土資料館があるが、この時はまだ開館時間前だった。
中村駅へ行くついでに、四万十川を見に行こう。
「最後の清流」として知られる四国最長の川だ。
写真でもよく見る赤い四万十川橋から眺めると、河口まであと数キロを残すのみとは思えないほどゆったりとした風景である。
牧歌的な水色・緑・白が織りなす自然の中で、広々とした川を横切る赤い鉄橋がとりわけ目立つ。
一条教房も、昨夜居酒屋で会った尼崎市出身の店員さんも、中村への移住に満足したことだろう。
ここは本当にいい所だ。
土佐くろしお鉄道の中村駅に着いた。
傾斜の緩い三角屋根が特徴的とはいえ駅舎は国鉄時代らしい建物であるが、内部はリニューアルされている。
特に待合室は木材を多用した現代的なスタイルで、隣の売店で買ったコーヒーを持ち込めば都会のカフェにいる気分になる。
私もここで朝食とコーヒーで一息つきながら、田舎の原風景そのものに映った四万十川の流れを思い出した。
昨日はバスだけだったが、これより鉄道の旅を再開する。
9時24分発「あしずり6号」に乗って土佐久礼を目指す。
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