北マケドニア共和国の鉄道旅行記【ビトラ~スコピエを中国製新型車両で移動】

ヨーロッパ鉄道
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北マケドニア共和国の鉄道事情

鉄道網は発達していない

北マケドニア共和国(2019年に政治的理由によって「マケドニア共和国」から国名変更)の鉄道は、周辺国と同様に路線も列車本数も少ない上に定時性も低く、移動手段としての利用価値はバスに大きく後れを取っています。

またこの国を代表する観光地といえば、自然遺産・文化遺産の両方が世界遺産に登録されているオフリドですが、首都スコピエとは鉄道で結ばれていません。

保養地オフリド

国際列車はコロナ以降は運休中

セルビアのベオグラードからギリシャのテッサロニキに至る回廊は北マケドニア共和国を経由します。
かつてはベオグラード~スコピエ~テッサロニキを結ぶ国際夜行列車が毎日運行されていましたが、この列車は2019年現在では夏期(6月中旬から9月中旬)のみの運転です。
(2022年追記)
コロナ以降は年間を通して運休中です。


また、隣国のコソボの首都プリシュティナからスコピエまで1日1便列車がありましたが、こちらも運行休止しています。
実際に私は現地のプリシュティナ駅でも時刻表を確認して列車に乗り込んだものの、国境駅で「列車はこれ以上走らない」と言って降ろされ、待ち構えていたタクシーに言い値で乗ったことがあります。

タクシーの運転手は別に悪徳ではなかったのですが、彼曰く、国境を超える乗客が少ないからコソボ国内で止まっているのだそうです。
まあ、バスの方がずっと本数が多いので、私のように敢えて鉄道を選択する人もそうはいないでしょう。

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ビトラからスコピエへの乗車記

さて、そんなマケドニア鉄道ですが、外国人にとって国内移動手段として数少ない選択肢になり得るのが、スコピエと国内第二の都市ビトラを結ぶ路線です。
2019年3月にビトラからスコピエまでを列車で移動しました。

ビトラは北マケドニア共和国第二の都市

国内第二の都市ビトラ。
トルコとの関係も深くモスクが多い。

ビトラは北マケドニア共和国の南西部に位置する、アルバニアやギリシャとの国境近くにある同国第二の規模を持つ街です。
ビトラからスコピエまでは鉄道で3時間半程度、本数は1日5往復です。
また、ビトラ駅の駅舎はなかなか立派なものでした。

北マケドニア共和国のビトラ駅の駅舎
ビトラ駅の駅舎

そもそも私がビトラを訪れたのはもちろん鉄道に乗りたかったという理由もあるのですが、観光地であるオフリドからバスで1時間半程度という好アクセスな点もあります。

この国を訪れる人のほとんどは、スコピエとオフリドしか行かないでしょうが、首都とリゾート地だけよりも落ち着いた地方都市を覗くのも、その国を知るうえで良いのではないでしょうか。(特にスコピエは最近テーマパークっぽくなっているのでなおさらです。)

北マケドニア共和国、スコピエの街並み
いかにも権威主義的な白亜の建物とたくさんの像が並ぶスコピエの街並み

中国製の新型車両に乗車

中国のメーカーによって製造された北マケドニア共和国鉄道の新型車両
中国のメーカーによって製造された新型車両

ビトラ駅で待っていたのは予想に反して新しい車両でした。
昔ながらの機関車索引の列車ではなく、どちらかというと短距離用のディーゼルカーです。
東欧の旧社会主義国でも、こうした車両を西欧諸国から輸入するケースは多いですが、マケドニア鉄道の新型車両は中国企業が製造しています。
2010年代になって、鉄道車両メーカーにおける中国企業の存在感は、かなり大きなものになったといわれます。

北マケドニア共和国鉄道の新型車両の車内
車内はトイレも含め清潔だった

車窓は平坦だが途中駅は廃墟同然

ビトラからスコピエまでの車窓の風景はとりたてて綺麗でもなかったように感じます。
途中山越えをする区間もありますが、基本的には広い平野を走っていました。

北マケドニア共和国、ビトラからスコピエまでの鉄道の車窓
途中山越えをする区間もある

それよりも印象的だったのは、途中駅のみすぼらしさです。
ろくに維持管理されていない駅舎は、廃駅のそれか、もしくはクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近に多い90年代の紛争で破壊された廃屋と見間違う程です。

北マケドニア共和国、ビトラからスコピエまでの鉄道の廃墟のような途中駅
これでもレッキとした現役の駅

ところで、ビトラからの路線は支線という扱いなのですが、2時間半程度走ったところにある「Veles」という大きな駅からは、テッサロニキ~スコピエを結ぶ幹線に合流します。
それまで非電化区間だったのが、空に架線が張り巡らされ、すれ違う電気機関車が貨物を運んでいきます。

スコピエ駅に到着

終着のスコピエ駅には、ほとんど遅延することなく到着しました。
バルカン地方の多くの国は、鉄道の定時性が低いのでこれは意外でした。

なお、昼間の車内はそこそこ混んでいましたが、私のようにずっと乗り通していた客はほとんどおらず、短距離の区間乗車が大半でした。
欧米人も含め外国人旅行者らしき人間もいませんでしたから、地元の乗客は随分と珍しいものを見たことでしょう。

スコピエ駅のホーム
高架式のスコピエ駅に到着

スコピエ駅は1960年代の地震の後に再建された高架式のホームです。
外から見ると、東北新幹線など1980年代に開業した日本の高架式の駅を思わせます。

地上から見た高架式のスコピエ駅
地上からスコピエ駅を見る

隣のホームには、無骨な電気機関車と古い客車からなる列車が停まっていました。
今度この地域に来る機会があれば、良くも悪くも北マケドニア共和国らしい、こうした列車にも是非とも乗りたいものです。

北マケドニア共和国の機関車索引の客車列車
機関車索引の客車列車

また、地震によって廃止された旧駅は、現在では「スコピエ博物館」として使われています。
美しいとは言えませんが、古くてなかなか重厚感のある建物です。

旧鉄道駅を利用したスコピエ博物館
旧駅を利用したスコピエ博物館
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中国の一帯一路計画を垣間見る

中国企業のコンテナを載せたマケドニア鉄道の貨物列車
ギリシャから中央ヨーロッパに至る幹線上にあるVeles駅。
貨物列車には中国企業のコンテナが散見される。

北マケドニア共和国はEUへの加盟を目指しているものの、なかなか簡単には実現しません。
ギリシャとの対立を緩和するために、冒頭述べた通り国名まで変更したものの、2000年代前半から中ごろの東欧ブームの時代のようにはいかないようです。

そんな中で、周辺国とも対立があり、ヨーロッパの一員としてEUにも頼れない北マケドニア共和国に手を差し伸べたのが、「一帯一路」計画を進める中国でした。
かくして、グレートパワーの空白地である北マケドニア共和国には中国のメーカーの新型車両や、漢字が書かれたコンテナを載せた貨物列車が走っています。
ヨーロッパの辺境でありながら、世界の覇権争いの一端を垣間見ることのできたマケドニア鉄道の旅でした。

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