摩周丸の概要。青森の八甲田丸との違いは?
青函連絡船記念館摩周丸は函館駅から徒歩5分弱の所にある、現役だった連絡船を利用した博物館です。
この摩周丸は1965年に就航し、青函トンネルが開業して連絡船が廃止される1988年まで使命を全うした船です。
当時のままの操舵室や無線通信室が見学でき、函館の美しい風景も見渡すことができます。
なお津軽海峡の反対側の青森にも類似の博物館「メモリアルシップ八甲田丸」があります。
青森側の八甲田丸が昭和中期の青森の駅や街の様子を再現したりと、情に訴える要素が強いのに比べて、函館側の摩周丸は連絡船の歴史や船の仕組みなど、アカデミック・メカニックの要素も大きいのが特徴です。
摩周丸の展示内容
摩周丸の受付やエントランスは2階にあります。
銅鑼の音に迎えられて階段を上って、3階の展示スペースに向かいましょう。
グリーン指定座席が並ぶ「青函連絡船のあゆみ」
旅客・貨物共に1970年代前半がピークとなっている。
3階の「青函連絡船のあゆみ」は、パネルを使って連絡船の歴史について紹介するコーナーです。
青函連絡船は本州と北海道を結ぶ、物流の大動脈として機能していました。
特に貨物列車を貨車ごと運ぶ車両航送は北海道の開拓・発展に多大な貢献をもたらしました。
青函航路にまつわる年表やトピックスはもちろんのこと、旅客・貨物の輸送実績のグラフなどもあります。
いずれも1970年代にピークを迎えた後は急激に減少しています。
これは航空機の台頭や国鉄の運賃値上げが要因です。
このコーナーには普通車とグリーン車の座席も展示されています。
青いモケットの普通座席は、現在の特急車両の水準からすればお粗末な、まるでE4系の普通車自由席の2階席のような座席です。
グリーン座席は読書灯やレッグレストが付いており、リクライニング角度も非常に深く、古さは当然ありますがそれなりの格は感じます。
なお1972年3月号の時刻表の営業案内によると、青函連絡船の運賃は500円で、グリーン料金は400円だったようです。
また、摩周丸には展示されていませんが寝台もあり、こちらは上段1000円、下段1100円です。
また、座席に座りながら映像資料を見ることができます。
ひとつひとつが数十分と長いうえに種類も結構沢山あるので、全て見るのは現実的に不可能でしょう。
「船のしくみ」では車両甲板の映像が見れる
「船のしくみ」のコーナーでは連絡船の構造についての解説や模型などが展示されています。
また航海に使用された道具も数多く見ることができます。
さて、青函連絡船は主に貨物列車の車両航送を行っていました。
線路が敷いてある車両甲板は公開されていませんが、ここでは映像で船のお腹にある車両甲板を鑑賞できます。
サロンにはグッズの売店とカフェがある
3階の奥の方に行くとサロン(無料休憩所)があります。
ここは船の前方にあたる場所で、函館山の眺めも良いです。
サロンはカフェとショップを兼ねており、お茶を飲みながら休憩したりグッズを買うことができます。
ちなみに現役時代には実際に「サロン海峡」という喫茶室があり、落ち着いたシックな雰囲気の中で船旅を楽しむことができたようです。
また特別展もあり、私が訪れた時には1954年の洞爺丸事故に関する展示でした。
操舵室と無線通信室は当時のまま
さて、サロン近くの階段で4階に上がると、操舵室と無線通信室がありますが、この部分は当時のまま残されています。
半世紀前の機械室の機器たちは、今にもランプが点灯したり音を発しそうで非常に臨場感があり、まるでタイムスリップした気分になれます。
また無線通信室には、通信士たちが使っていたのであろう書類を綴じた分厚いファイルもあり、摩周丸が積み重ねてきた航海の歴史の重みが感じられます。
甲板からの函館の眺め
摩周丸の甲板は函館山や八幡坂など、函館の観光エリアが見えるビュースポットになっています。
特に4階からさらに一つ上った展望台からは、ウォーターフロントが良く見渡すことができます。
また4階の甲板には多目的ホールがあり、普通座席のレプリカが展示されています。
こちらは鉄道のような「座席」ではなく、船の一番安い船室でお馴染みのいわゆる雑魚寝部屋です。
乗船客たちはここで4時間の間、どんな北海道の話、あるいは青森・本州の話をしたのでしょうか。
きっとそこには新幹線はもちろんのこと、最近のクルーズトレインにも無い旅情があったことでしょう。
見学の所要時間は?
おおよそ1時間弱が妥当なところだと思います。
展示品をザっと見るだけなら30分程度かそれ未満でしょう。
しかし、座席にかけて連絡船の旅を疑似体験しながら映像資料を見たり、甲板からの函館の眺めを楽しんだりしているうちに、もう少し時間がかかると思われます。
青函連絡船の意義を振り返る
北海道の開拓や経済発展の歴史は鉄道と共にあったといっても過言ではありません。
そして北海道の産業を、玄関口である函館から日本の中心地へと結び付けていたのが、他ならぬ青函連絡船なのです。
経済の大動脈が故に、戦時中には船が全滅するという悲しい歴史もありましたが、80年間人だけでなく貨物を運び続け、数多くの思い出を人々に残しました。
摩周丸では青函連絡船について、その歴史やしくみ・船内の施設など、いろいろな角度から知ることができます。
その意味で、老若男女問わず誰でも楽しむことができる博物館だと思います。