飛鳥は日本の礎である。
飛鳥を舞台に我が国は仏教を取り入れ、律令制度を整えて天皇中心とした国づくりを進めた。
2024年9月上旬、大阪から近鉄特急に乗って飛鳥まで日帰り旅行をした。
飛鳥・吉野に行く近鉄特急には一般車両の他に「さくらライナー」と「青の交響曲」の2種類が走っている。
行きは前者、帰りは後者を利用し、その間に飛鳥をレンタサイクルで散策した。
本記事は明日香村の観光である。
【前半】古墳の終わり
「さくらライナー」で9時前に飛鳥駅に到着。
駅前の観光案内所が開いていたので訪ねた。
中年の女性が観光マップを用意して、私が行きたい場所を伝えるとマークを入れて、およその距離や目印なども教えてくれた。
観光案内所では「飛鳥王国パスポート」なるクーポンを100円で買うことができ、行く先々の施設で割引が受けられる。
レンタサイクルだけでも100円引きになって元が取れるので購入する。
これで準備万端と意気込んだのだが、女性は「暑い日にあんまり周るのはおすすめしないですね。」と言う。
要するに「こんなに暑い日は手短なコースにしておけ」と婉曲的に言われたのだが、私としては飛鳥にせっかく来たのだから欲張りたい。
レンタサイクルでは「坂が多いので電動自転車の方が良い」と勧められるままに800円くらい高い料金を払ったが、結果としてはこれが正解だった。
まずは観光案内所で是非行くべきと言われたキトラ古墳へ。
7世紀末~8世紀初期に造られた終末期古墳で、石室内に四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)と獣頭人身の十二支そして天文図が描かれている。
古墳の近くにある「四神の館」では壁画を高精度の映像で見ることができる。
また別の部屋では実物の「朱雀」も展示されていた。
1300年以上も昔のものとは思えないくらい、製作者の筆づかいが生き生きと、ひしひしと伝わってくる。
壁画の世界観は中国のものなので、これを描いたのも渡来人の可能性が高いという。
古墳そのものは大きくない丸っこい丘だった。
今は整備されているからその姿が露わになっているが、ありふれた野山の地下にこんな凄いものが埋まっていたのが飛鳥である。
近くに展望台に登って眺めると、飛鳥は昔の都にしては起伏が多くあまり広い土地がないように思える。
「○○京」と呼べるような中国に倣った都市ができるのは、飛鳥から遷都された藤原京以降だと言われている。
次にもう一つの壁画古墳の高松塚古墳へ行く。
気温こそ高いが、坂道を上ったり下ったりしながら電動自転車で走るのはとても清々しい気分だ。
小さなミカン畑で若い人たちが楽しそうに収穫作業をしていた。
高松塚古墳の壁画は古墳の近くにある壁画館で見ることができる。
ここに描かれているのは教科書でもお馴染みの男女の群像だ。
古墳の外観はキトラ古墳に似た墳丘だった。
古墳というと大阪府にあるような巨大な前方後円墳が有名だが、それらは古墳時代中期(5世紀ごろ)のもので、飛鳥に多くある終末期古墳は小さい。
続いて向かうのが石舞台古墳だが、途中で少し寄り道をして文武天皇陵に行ってみた。
私が見たのは裏側だったようで、「立ち入り禁止」と書かれた宮内庁の看板がなければ、ただの丘の上にある雑木林にしか見えない。
明日香村役場近くにある亀石は、たしかに亀に見えなくもないが彫刻技術は未熟だ。
亀ではなく別の動物を造ろうとして放棄された、あるいは何らかの原因で破損したという説もあるらしい。
さらに東へ進んでいくと右手の田畑の中に飛鳥宮跡がある。
石舞台古墳に着いた。
元は古墳だったのが土が失われて石室だけが残っている。
盗掘されて空っぽになった石室の中に入ると冷んやりした。
チケット売り場には四季折々の石舞台の写真がある。
中身を盗られ外郭も失った哀れな石組みは、飛鳥の自然と歴史が創り上げた見事な枯山水であった。
【後半】寺の始まり
昼食を終え、これから飛鳥観光の後半に入る。
前半は古墳を見たので後半は寺を中心に巡ろう。
食事前に自転車も飲酒運転は禁止であることに気付いて良かった。
最初に訪れたのは聖徳太子が生まれたとされる橘寺。
その真偽はともかく、彼の愛馬の銅像があったりと、聖徳太子ゆかりの寺として知られている。
またここには人の心の善と悪を表現した「二面石」がある。
すっかり摩耗してどちらが善か悪か判断がつかないが、亀石と共に飛鳥を代表する石造物で、誰がなぜ作ったのかは不明である。
こうした古代ロマンが、松本清張の「火の路」や池澤夏樹の「キトラボックス」のように大胆な知的エンタメを成立せしめているのであろう。
次に訪れたのは山腹にある岡寺。
駐輪場から少し登ると、古い味わいのある門が迎えてくれた。
本堂には土でできた仏像としては日本最大の、高さ5m近くになる白く少し険しい顔をした観音座像がある。
境内から見る飛鳥の里の景色も良い。
暑さが堪えてきたので、博物館巡りをしよう。
まずは万葉文化館へ。
その名の通り万葉集に関する施設で、立派な建物にもかかわらず入場は無料だった。
次に訪れた飛鳥資料館は、これまで見たものをアカデミックに整理したり、あるいは訪問し損ねた古墳の壁画や石造物のレプリカを見ることもできる。
最後に行くのは飛鳥寺。
6世紀末に蘇我馬子が創建した日本最古の本格仏教寺院である。
入口には住職による「御一読を」と書かれた看板があった。
飛鳥寺の由緒・興亡、ここが日本の起点であることをやや芝居がかった調子で語っている。
3つあったうち唯一残る金堂には飛鳥大仏が鎮座する。
この時代に特有の面長でアルカイックスマイルを浮かべた仏像である。
住職らしき男性が寺や大仏について訪問客に説明している。
入り口の看板から抱いていたイメージとは違って、話が分かりやすく親切な人だった。
モナリザと同様に、大仏の表情は左右で印象が異なるというのも興味深い。
かつて境内は南方向を中心に、現在の20倍の広さがあったという。
金堂から南の方を見渡しても田んぼだ。
寺の西に小さな五輪塔がある。
これは蘇我馬子の孫で、大化の改新(乙巳の変)で暗殺された蘇我入鹿の首塚である。
当時の最有力者だった蘇我入鹿が、自身の氏寺の傍らでこんなにひっそりと祀られているのは意外な気がする。
後の権力者(藤原家)によって一方的に「悪」と断罪された、彼の怨恨の念が未だに漂っているようだ。
飛鳥駅に帰ってきたのは16時過ぎ。
計7時間の散策だった。
仏教が伝わり広まった飛鳥時代は、権力・権威の象徴が古墳から寺院へと変化した時代であり、大きな歴史区分では原始から古代へ移り変わる時代である。
そして、飛鳥寺創建の約100年後に高松塚古墳やキトラ古墳が築造されたように、両者の過渡期としての歴史の重みが飛鳥にはあるのだ。
帰りは近鉄特急「青の交響曲」で大阪へ戻る。
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