機関車に牽かれて夜の街道をひた走る青い寝台列車。
今や過去のものとなりましたが、ブルートレインが最も活躍したのが東京~大阪~九州各地へ至る路線です。
本記事では九州行きのブルートレインの絶頂期である1974年4月の時刻表より、その輝かしい姿を追っていきます。
当時の時代背景は
- 新幹線が1972年に岡山まで開業するも、九州への寝台特急にはそれほど影響は無し。
ただし翌1975年には博多開業を控える。 - 航空機は大衆化してきたが、まだ鉄道と比べると敷居が高い
- 高度経済成長期の最終局面。
前年のオイルショックの影響もあり、結局この年は戦後初のマイナス成長に転ずる。 - 新婚旅行の行き先として九州が定番・人気だった。ちょうどこの頃は第二次ベビーブームで、要するに団塊世代の結婚適齢期と重なっていた。
まもなく新婚旅行で海外に出る人も現れてくる。
といったように、1974年の春はまさに時代の転換点を迎えんとする時でした。
伝統の名前が揃う東京発の寝台特急
日本の産業の中枢、太平洋ベルトを縫う列車
東京から太平洋ベルトに沿って九州へ至る回廊は、戦前より日本で最も華やかな区間でした。
関門トンネルによって本州と九州が鉄路で結ばれたのは1942年ですが、それ以前も連絡船を介して九州内の急行列車に接続する日本の看板列車、特別急行「富士」が運転されていました。
関東組の寝台特急列車一覧(下関行きの「あさかぜ」含む)を以下表にまとめます。
列車名 | 東京発 | 行き先 | 到着時間 |
さくら | 16:30 | 長崎/佐世保 | 11:51/11:26 |
はやぶさ | 16:45 | 西鹿児島 | 14:19 |
みずほ | 17:00 | 熊本 | 11:16 |
富士 | 18:00 | 西鹿児島(日豊本線経由) | 18:24 |
あさかぜ1号 | 18:25 | 博多 | 10:51 |
あさかぜ2号 | 18:55 | 博多 | 11:21 |
あさかぜ3号 | 19:00 | 下関 | 10:27 |
金星 | 22:50 | 博多 | 10:11 |
「金星」は名古屋発ですが、新幹線と連絡した深夜発なので実質的には東京発といえます。
東京~博多間でも所要時間は16時間半と長いので、「金星」以外の列車には食堂車が連結されています。
特に「富士」に至っては、東京から大分・宮崎を経て西鹿児島(現・鹿児島中央)へ、24時間以上かかっています。
この当時の東京から九州各地への航空機の運賃は15000円程度ですが、東京発の寝台特急なら西鹿児島まででも、乗り換えなしで計6700円程度(B寝台下段利用)でした。
途中駅で乗客を拾ったり降ろしたりできるという鉄道の特性は、沿線人口が多い東海道・山陽筋でとりわけ効果を発揮します。
各列車名の下克上
「富士」「はやぶさ」「さくら」など、由緒正しい列車名が揃っています。
現在新幹線に使われているのは「はやぶさ」「さくら」「みずほ」です。
「みずほ」は「はやぶさ」の補完的意味合いが否めない地味な存在でしたが、なぜか今や山陽・九州新幹線「さくら」の上位列車として君臨しています。
大分や宮崎の人には悪い気もしますが、日本を代表する「富士」が日豊本線特急というのは勿体ない気がします。
また戦後の「富士」は、東海道新幹線開業前は四国行きの連絡線に接続する宇野行きの列車として復活しましたが、やはりこれも微妙なところです。
東京から博多間の夜行列車に使う案もあったそうですが、富士山が夜中で見えないとか、将来のエース列車のために温存する、とのことで「あさかぜ」に決まりました。
大久保邦彦氏は「富士」について、「大事にしすぎて婚期を逸した娘よろしく、36年新設の宇野特急電車に安売りされた」(時刻表復刻版・解説)と述べています。
一方「はやぶさ」は長らく鹿児島本線の九州特急を代表する存在として親しまれてきましたが、2008年にブルートレインが廃止された後、2011年にまさかの東北新幹線のエース列車で復活します。
ところで、元祖ブルートレインこと「あさかぜ1号」は、これらビッグネームの中でも一目置かれる存在でした。
大宮の鉄道博物館にて。
この列車は他と同じ20系客車ですが、編成中A寝台車や個室寝台車が多く、その豪華さが際立っていたため「殿様あさかぜ」と呼ばれていました。
戦後の名士列車といってもよいでしょう。
① | ②~④ | ⑤ | ⑥ | ⑦ | ⑧ | ⑨~⑭ |
個室寝台 | 個室寝台+A寝台 | A寝台 | B寝台 | G車座席 | 食堂車 | B寝台 |
約半数の車両がA寝台・グリーン車という豪華仕様の列車だった。
蚕棚のような幅50数センチで3段式のB寝台にもかかわらず、20系客車が後継車両よりも豪華な「走るホテル」と伝えられているのは、この「殿様あさかぜ」の編成によるところも大きいのではないかと思います。
3段式で幅も狭く、後の客車と比べても窮屈だった。
そもそも3段式寝台が狭いと言っても、ブルートレインの「あさかぜ」が走り始めた1950年代後半は、「特別急行」自体が庶民にとって高嶺の花で、冷房が効いた客室で横になれるだけでも贅沢でした。
そのため、人々は「あさかぜに乗ると朝風邪をひく」と言って僻んだそうです。
ブルトレ全盛期を象徴する大阪発の寝台特急
夜は真っ青に染まる山陽本線
関西勢の寝台特急は京都・岡山発も含めると、なんと計17往復にもなります。
それ以外にも古い車両で遅い急行列車もありますが、この時代はかなり特急への移行が進んでいました。
多くの列車が新大阪始発になっていることから、東京・名古屋から新幹線乗り継ぎ客も多かったと思われます。
列車名 | 出発駅・時刻 | 到着駅・時刻 | 列車名 | 出発駅・時刻 | 到着駅・時刻 |
月光1号 | 岡山2043 | 西鹿児島752 | あかつき4号 | 新大阪2028 | 西鹿児島1114 |
あかつき1号 | 新大阪1828 | 西鹿児島913 | あかつき5号 彗星3号 | 新大阪2045 | 佐世保857 大分751 |
彗星1号 | 新大阪1832 | 宮崎936 | 月光2号 | 岡山2343 | 博多636 |
あかつき2号 | 新大阪1843 | 西鹿児島938 | あかつき6号 | 新大阪2128 | 熊本904 |
明星1号 | 新大阪1858 | 熊本619 | 彗星4号 | 新大阪2143 | 宮崎1257 |
あかつき3号 | 新大阪1902 | 長崎730 | あかつき7号 | 新大阪2158 | 長崎1027 佐世保1010 |
彗星2号 | 新大阪1928 | 都城1116 | 明星3号 | 京都2155 | 博多802 |
きりしま | 京都1914 | 西鹿児島958 | 明星4号 | 新大阪2242 | 熊本957 |
明星2号 | 新大阪1958 | 熊本709 | 彗星5号 | 新大阪2257 | 大分958 |
この日以降運転を開始する列車もあるため、最大17往復となる。
なんと壮観なことでしょうか。
九州各地へ幅広い時間帯にアクセスすることができました。
関西組の列車名は「きりしま」以外は、東海道新幹線開業前に東京~大阪間の夜行急行で使われていたものです。
東海道新幹線開業後に一旦生き別れになった彼らが、関西~九州間特急で集結し、再び一時代を築いたのです。
車両のバリエーションも豊か
上の表に示した列車では、この時代の寝台特急に使われていた全ての車両が揃っていました。
異論はあるかと思いますが、大まかな流れとしては
第1世代の20系、寝台の幅が広くなった第2世代の583系・14系・24系、そして寝台が3段式から2段式になった第3世代の24系25形(以下25形)、といったところです。
車両 | 寝台の寸法(幅) |
20系客車 | 52㎝ 3段 |
583系電車 | 上・中段70㎝/下段102㎝ |
14・24系客車 | 70㎝ 3段 |
25形 | 70㎝ 2段 |
20系は1958年から製造されていますが、その後経済成長により日本人の体格が向上し、1967年の583系以降は幅は70㎝となりました。
「月光」「明星」「きりしま」は全て寝台電車583系で運転されていました。
夜はこれらの列車で働き、昼間になると巧みなギミックでベッドを収納して4人用ボックスシートを備えた特急列車に変身するという、高度経済成長期の24時間働く企業戦士のお手本でした。
24時間戦った昭和のモーレツ社員だった。
九州鉄道記念館の展示。
25形は今回の改正より導入された新型車両です。
「あかつき」「彗星」の一部に投入されました。
「B寝台がA寝台並みに快適になった」と喜びたいところですが、そこには現実的な判断もありました。
翌年に控えた山陽新幹線博多開業後は寝台特急の利用も落ち込むことが予想され、定員を減らしてもよいとされたのです。
写真は九州鉄道記念館の14系で、こちらは後年3段から2段に改造された。
残念ながら25形以降の寝台車は、「カシオペア」「サンライズ」を除くと本格的に進化することなく、既存車両の改造で対応します。
しかしそれでは新幹線・航空機・格安ビジネスホテル・そしてデフレ不況といった構造要因に抗うにはあまりに不十分でした。
また国鉄の財政悪化のため、1976年以後数年に渡り値上げ(特に1976年には運賃・料金が50%強も上がった)を繰り返したため、航空機に対する競争力は著しく低下していきました。
実用的な輸送手段だったブルートレイン
近年はスローライフや鉄道旅行の楽しみといった価値観を前面に打ち出した、クルーズトレインが運転されています。
夜行列車が再評価されるのは大歓迎ですが、やはりそれらは私が学生時代に乗った「はやぶさ」や「あかつき」の旅情には及ばないでしょう。
私は夜行列車に限らず鉄道は、(言い方は悪いが)人寄せパンダではなく社会に溶け込んだ存在として機能してこそ美しいと思っています。
話が極端になって恐縮ですが、J.S.バッハ(1685~1750)は生前、癒される「クラシック音楽」を作ったのではなく、あくまで職人として偉大な曲を創り上げ、後世に「音楽の父」として名を残したのです。
この時代の時刻表からは、重要な輸送インフラとして、寝静まった山陽路を幾重にも照らしてひた走るブルートレインたちの勇ましい姿が蘇ってくるようです。