【新幹線開業前夜】1964年9月の時刻表から読む東海道本線

時刻表深読み

世界初の高速鉄道となる東海道新幹線が開業したのは1964年10月のこと。
これを機に東海道・山陽の輸送体系は一変しました。

今回はその前の月の時刻表を紐解いて、新幹線開業前夜の大動脈である東海道本線の鉄道模様を、昼と夜に分けて見てみましょう。
本記事で使用しているタイトル画像も含めた時刻表の写真は、全て「交通公社の時刻表1964年9月号」です。

まずは前提となる時代背景から

  • 新幹線開業前のため、当然長距離輸送も全て在来線が担う
  • 東海道でさえ高速道路は未発達で、航空機も大衆化していない
  • 東京駅~大阪駅までの特急2等車(今の普通車)の費用は
    運賃1180円+料金800円=1980円。
    航空機だと6000円~7000円。

  • 高度経済成長期の真っただ中で、平均年収は41万円。
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【昼の部】多様な列車種別と列車名

特急は文字通り「特別」な存在だった

写真1
東京から九州へ至る太平洋ベルトを結ぶ優等列車たち。
1000㎞以上の距離でも鉄道が主役の時代だった。
写真2
昼過ぎの昼行特急列車が出発した後は、後にブルートレインと親しまれる九州行き寝台特急が東京駅ホームに華を添えた。

上の写真は東海道本線下り優等列車の時刻表です。
これを見て分かるのは、特急よりも急行の方が本数が多いということです。
また急行より1ランク下の準急は写真1,2には載っていません。

この時代はまだ特急は選ばれた人が利用する存在でした。
編成内容も豪華で食堂車はもちろん、「パーラーカー」と呼ばれた展望座席も用意されていました。
終着駅到着時刻の下にある電話マークは、車内公衆電話があることを意味しています。
固定電話がようやく自宅に開通していった時代にしては手厚いサービスです。

「展」で表記される、特急電車のパーラーカー。
大宮の鉄道博物館にて。

昼間の電車特急の東京~大阪間の所要時間は6時間半で、現代の「サンライズ出雲」とほぼ同じです。
電車急行は7時間半かかっているので、特急の速さが目立ちます。
これでも東海道本線だからこそ特急が数時間ごとに運転されているのであって、山陽本線も含めて、他の幹線では昼間の特急は数本しかありません。

脇を固める急行と準急

写真3
短中距離輸送には準急や急行が活躍した。
当時の幹線準急のポジションでも現代の特急並みかそれ以上である。

2016年に定期急行列車「はまなす」が廃止されたことで、優等列車は完全に特急に一本化されましたが、この当時は急行と準急も存在していました。
下りの行き先の地名を付けた急行や準急がエコノミー指向の中長距離輸送を担っていたのです。

準急行の料金は距離にかかわらず100円、普通急行は300㎞を境に200円から300円に上がります。
特別急行は一番安い区間でも600円でした。(いずれも2等車)

料金の分け方からは、当時は急行ですら、今なら新幹線を使うくらいの長距離乗車が前提となっていたことが窺えます。
例えば写真3を見ると、現代の特急「踊り子」の前身と思われるのは準急「いでゆ」「あまぎ」です。
つまり、今「特急」として走っている列車は、半世紀以上前は準急だったものが成り上がっているに過ぎないともいえます。
それどころか、準急「東海4号」(東京~名古屋間。12両編成1等車有)は、2度の格上げを経て1996年~2007年まで特急「(ワイドビュー)東海」(東京~静岡間。6両編成グリーン車無)として運転された時期より、ずっと充実した編成内容です。

電車急行に抜かれる客車急行「桜島」

再び写真1
ロングラン列車「桜島」は、同じ急行である「第1宮島」と「いこま」に抜かされる。

ところで写真1の東京9:18発「桜島」に注目です。
この列車は「霧島」(東京11:00発→鹿児島翌13:35着)・「高千穂」(東京14:35発→西鹿児島翌19:50分着、日豊本線経由)などと同じように、東京~九州間の急行列車として24時間以上も走り続けた長距離列車です。

今では考えづらいですが、飛行機は当然のことながら、寝台特急でさえも敷居が高い人にとっては、これらの列車は九州への重要な存在でした。
ちなみに、九州行きの寝台特急はまだ4往復で、約5年後に迎えることになる全盛期と比べるとまだ少ないです。
九州行き急行は東海道本線は昼行、山陽本線では夜行、翌日に九州内では昼行列車として機能するため、全区間を乗車する客のみならず、それぞれの区間内での利用も多かったそうです。

「走るホテル」と呼ばれた寝台特急の20系客車。
特急の格式が高かった時代、庶民は「冷房が付いたあさかぜに乗ると朝風邪をひく」と僻んだらしい。
大宮の鉄道博物館にて。

さて、急行「桜島」は東京を出て大阪着は18:13ですが、東京を後に出発した急行「第1宮島」と「いこま」は、なんと「桜島」より早く大阪に到着しているではありませんか。
両列車が電車なのに対して、「桜島」は機関車が牽く客車でスピードが遅いために、同じ急行を相手に追い抜きをくらっているのです。
そういえば晩年の九州行きブルートレインも、九州の途中停車駅で電車特急に抜かされていましたが、それに似た哀れを醸し出しています。

夕方通勤時間帯も普通列車は少ない

写真4
関東でお馴染みのグリーン車(当時は1等車)連結の普通電車だが、当時は東海道本線と横須賀線

今なら5~10分待てば必ず列車がやってくる18時台ですが、当時は随分長閑なダイヤに感じられます。
首都圏で最も早く沿線が成熟した東海道本線さえも、今ほどは郊外の宅地化が進んでいなかったのでしょう。

ちなみに、首都圏各線でグリーン車を連結した普通・快速電車が走る現在ですが、この当時は普通列車でも1等車を連結するのは東海道本線と横須賀線の電車だけでした。(長距離を走る客車列車は除く)
まあこの辺りは説明せずとも、一般的な沿線イメージで納得できるところかと思います。
また、現在並行して地下を走っている横須賀線は、まだ分離されておらず東海道本線と同じ線路を走っていました。(写真4にダイヤは載っていない)
こちらも10~20分毎の運転です。

しかし、列車本数の分だけ輸送人数も少ないかというとそうではなく、従って1列車あたりの混雑率は想像を絶するほどでした。(ちなみに冷房は無し)
そんな凄惨な夕方ラッシュの電車を眺めながら乗る寝台特急「みずほ」や「あさかぜ」の旅は、さぞかし優越感に浸れたことでしょう。

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【夜の部】東海道本線は夜行列車銀座だった

次々と東京駅を発つ夜汽車

写真5
中国・関西・四国(へ続く宇野)、そして九州へ。
夜行列車が列をなして走ってゆく。

写真5は九州行きの寝台特急たちが出ていった後の時間帯ですが、とりわけ19時50分~22時10分までの間は、まさに西日本各地へ夜行列車が10分毎に発車していく壮観なダイヤとなっています。
鉄道輸送全盛期を象徴するひとコマです。

行き先で目立つのはやはり大阪で、最後まで残った「銀河」だけでなく、「彗星」「あかつき」「月光」といった、後に関西~九州間の寝台特急で使われる列車名が見られます。

東海道本線に電車特急が登場したことで、東京から大阪へ日帰りが可能になりました。
写真1,2の「こだま」はそれを象徴する列車名で、現在の新幹線にも受け継がれています。
しかし、下り「第1こだま」で大阪に13時30分に着いても、日帰りするには3時間後の上り「第2こだま」(大阪16:30発→東京23:00着)に乗らなければなりません。
東京~大阪間の移動は、物理的にはともかく、現実的には少なくとも片道は夜行列車を使うのが一般的だったのです。

夜行列車の編成にも注目

東京~大阪・神戸間夜行寝台急行の編成表。
最も多い2等寝台の定員は54人なので、需要の大きさが見て取れる。

東京~大阪間の夜行列車で興味深いのは、その数の多さだけでなく編成内容の多様さです。
大きく分けて「座席のみの電車」と「寝台列車」に分かれています。
前者が「電」の文字が書かれている「はりま」や「第2いこま」などで、後者は天体シリーズの列車たちです。

さらに、寝台列車の中でも連結している寝台のタイプによって上下関係が生じています。
寝台を表す時刻表のマークに描かれた数字やアルファベットが寝台のタイプを表しています。
ランクとしては、個室(当時は東京~九州間の寝台特急のみに連結)>A>B>C(ここまでが1等寝台)>2(2等寝台)です。
なおベッドの幅が50数センチで3段式の2等寝台の料金は、上段600円、中段700円、下段800円、1等寝台Aの下段は2530円、一番高い個室は3080円でした。

「蚕棚」と呼ばれた3段式の2等寝台は幅も狭い。
大宮の鉄道博物館の20系客車の車内にて。

列車ごとに見て最もグレードが高い(俗に言う「殿様編成」)のは、14両編成中1等寝台車が5両とビッフェを連結した「彗星」で、「月光」がそれに続きます。
一方で、観光団体専用列車(いかにも昭和の日本人らしい)を併結した「金星」は、2等寝台のみのシンプルな編成です。

このように、時間を有効活用しつつ翌日にも備えて快適性を重視する層(当時の「モーレツ社員」や「企業戦士」)から、疲れてもいいから安く移動したい層(主に学生)に至るまでの需要に対応していたのです。
この態様は現代の夜行バスにも見られます。

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東海道の線路

以上から分かるように当時の東海道本線では、それぞれの時間帯でそれぞれのニーズを満たすべく、実に多様な列車が運行されていました。

現代に目を移すと、航空機との競争ならびに膨大な3大都市圏間の輸送量に対応するため、東海道新幹線は「のぞみ」に資源が集中投下されています。
また民営化後に顕著になったのが、「新快速」に代表される都市圏内の高速・高頻度輸送の充実ぶりです。
逆にそれ以外の短中距離輸送は、あまり重視されていないように思えます。

2027年に中央リニアが名古屋まで開業する予定です。
1964年10月の東海道本線がそうだったように、東海道新幹線は上客を奪われることになります。
その際にどのような地域輸送重視のダイヤに移行するのか、時刻表愛読者である私は今からでも楽しみです。

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