十勝亜阿房列車⑥:崩壊しつつあるタウシュベツ川橋梁の見学ツアーに参加する

旅行記

梅雨後半の日本の7月上旬は旅行に行きたくなる季節ではないが、梅雨がない北海道は例外である。
他の地域よりは涼しいし、何より湿度が低いのでカラッとしていて過ごしやすい。
そんなわけで2025年7月の第2週、私(185系)と元同僚で某寺院副住職の地蔵氏の二人は、2日間レンタカーで道東の大地十勝を巡った。
廃止された国鉄士幌線の関連設備を見たい私と、十勝平野の直線畑を車で運転したい地蔵氏の興味が嚙み合ったのだ。

本記事は第6回、最終回となる。
士幌線廃線跡の白眉であるタウシュベツ川橋梁を見るため、ひがし大雪自然ガイドセンターのツアーに参加した。
なお「亜阿房列車」とは題しているものの、今回は実際に列車に乗るわけではなく、廃線跡や駅跡を訪れてかつて列車が走っていた姿を偲ぶのが目的である。

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【前置き】糠平ダム建設で放棄されたタウシュベツ川橋梁

本編に入る前にタウシュベツ川橋梁について説明したい。
主に木材輸送を目的に、士幌線の糠平~十勝三股が開通したのが1939年。
しかし戦後の1955年、北海道の電源開発のために糠平ダムが建設されたことで、ダム湖に水没する糠平駅前後の区間はルート切り替えが行われる。
タウシュベツ川橋梁は水没した旧線の廃線跡である。

糠平湖周辺の路線地図
上士幌町鉄道資料館にて(一部加工)

さて、水没したといってもダム湖には水位の変動があるので、水位が低い季節にはタウシュベツ川橋梁は地上に姿を現す。
一般には1月頃から凍結した湖面より姿を現し、5月頃から再び沈みはじめ、9月頃に完全に水没するといわれている。
もちろん年によってかなり変動はある。
ちなみに参加したツアーのガイドたちは冬季のタウシュベツ川橋梁を強く推していた。

新線に切り替わった士幌線だが、高度経済成長期のモータリゼーションによりその使命は失われていった。
それに対して、糠平ダムは現在も道東の主要な電力源として活躍している。
糠平ダムが遠慮もなく毎年タウシュベツ川橋梁を飲み込んでしまうのも仕方がない。

1日目に訪れた糠平ダム
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集合場所はひがし大雪自然ガイドセンター

2日目の朝。
然別湖のホテルをチェックアウトして、昨日通ってきたパールスカイラインを引き返す。
予約しているのは朝9時発のひがし大雪自然ガイドセンターによるツアーである。
ぬかびら温泉郷には近くに「ひがし大雪自然館」という似た名前の施設があるので間違えないようにしよう。

ツアーの定員は15人。
ちなみに私は1カ月前に予約を申し込んだのだが、その直後に空き枠がなくなったのでギリギリで間に合ったと思われる。
日程が決まったらなるべく早めに申し込むことをおすすめする。

ガイドは3人いた。
長靴に履き替えて3台の車に分かれて現地へ向かう。
国道273号を北上し、やがて車は林道へ逸れた。
その先にはゲートがあり、ツアーに参加するか、個人の場合は手続きを踏んで通行鍵を貰わなければ進むことはできない。

この辺りはクマが出没する地帯だ。
ガイドは「この前クマがいたのは1カ月ほど前ですね。だいたい1カ月に1回くらいの頻度で出没するので、そろそろ見れるかもしれません。あそこの水辺なんかによくいるんですけど。」と、まるでクマ見学ツアーのような調子だった。

しばらくすると林道は廃線跡と合流した。
ガイドに指摘されると、たしかに生い茂る草木から細長い道が延びているのが分かる。
やがて車が停まり、あとは廃線跡を歩いて現地まで行く。
「地蔵さん、もしクマが出てきたら結界張ってくださいよ。」
「私の結界は人間に対しては効果がある(会社で実証済みらしい)けど、クマに効くかどうかは分からないよ。」

慣れない長靴で足場の悪い道を歩くこと約5分、視界が突然開けて糠平湖のほとりに出た。
しかし、あのアーチ橋は見えない。

「今年はもう水没してしまったのか。仕方がない。」と思っていると、
「さあ皆さん、タウシュベツ川橋梁に着きましたよ。まだ見つけられていない方は、我々が廃線跡を歩いてきたことを思い出してください。」とのこと。
なるほど、ヒントを与えられてようやく分かった。
眼の前に見えている、黒ずんだ灰色の荒れた石ころの塊がタウシュベツ川橋梁だったのだ。
正面からはアーチが見えるはずがないではないか。
そんなわけで、私にとってのタウシュベツ川橋梁の第一印象は、長年の悲願の末に幻の橋と相対して感動するといったものではなく、傷んだ現状を認識することだった。

ついにタウシュベツ川橋梁が見えた
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タウシュベツ川橋梁周辺を散策

若干注意事項を説明した後、1時間の自由時間となった。
いつの間にか木の幹で造った杖が人数分用意されている。
「は~い、ここに杖があります。1本500円になりま~す。あっ、もちろんウソですよ。」
関西弁のガイドが明るい声を張り上げた。
湖面を迂回して橋の対岸まで、ガイドについて行くことにしよう。

散策しながら眺め回すと、改めてその痛々しい姿が実感される。
壁のコンクリート部分は剝がれ、建造物の内部に充填されていた砂利も崩れ、錆びた鉄線が無残にも垂れ下がっていた。
特に11連のアーチのうち中央部(左右から6番目)などは今にも崩れ落ちそうだ。
今でも列車が走れそうな第三音更川橋梁(第2話で訪れた)と比べると、タウシュベツ川橋梁の方が若いにもかかわらず、老ける速度には驚くほど差がある。
11連のアーチがつながった姿はあと数年で見納めとも言われている。

ここは冬はマイナス20~30度になる酷寒の地だ。
水没したタウシュベツ川橋梁は、氷結した湖面の水位低下やコンクリートに染みこんだ水の膨張といった凍害によって、長年かけて劣化してきたのである。
そのことを考えれば、かくも過酷な環境に放棄されて以来、よくぞ70年間もここまで耐えてきたように思える。
ちなみにタウシュベツ川橋梁の高さは約10mで、この日は4mほど水没しているという。

大雪山系と糠平湖に目を奪われていると、ついタウシュベツ川橋梁を見失ってしまいそうになる。
「風化する」とは「景の一部とする」ことなのか、と思えてくる。

ガイドがイチオシの撮影スポット
右手の雪を被っているのがニペソツ山、左手に見えるのがウペペサンケ山

橋の対岸に着いた。
湖面に橋が映し出されるのは早朝の凪の時間帯だけらしい。
それを見るための5時半発の早朝ツアーもある。

橋の高さと、橋に接続する廃線跡の高さが違っている。
これは我々見学者が日々押し寄せることで、廃線跡の砂や石が削り取られてきたのが理由だという。

ツアー全般について述べると、ガイドたちはタウシュベツ川橋梁だけでなく自然について詳しく、周辺の見所なども説明してくれて実に有意義な時間だった。
多趣味な地蔵氏などは、そのうちの一人と相当な情報交換をしていた。
ガイドたちはタウシュベツ川橋梁が最も美しいのは冬だという。
アイスバブルやキノコ氷といった、他では見られない奇景絶景の写真を見せていただくと、温暖な瀬戸内気候で育った私でも冬に来たくなる。

タウシュベツ川橋梁が現役の鉄道橋として稼働したのは20年足らず。
廃墟になってから今年で70年だ。
戦前~戦後の激動の時代変化に翻弄され、道東の厳しい自然環境によって物理的にも傷つき、なおも黙々と四季の移り変わりを受け入れている姿に人々は惹きつけられるのだろう。
さらにはそれによって地域経済をも潤しているのだ。
「FIREする」(Financial Independence, Retire Earlyの略)とよく聞かれる昨今だが、タウシュベツ川橋梁の歩みはその最も美しい実践である。

補強せずに朽ちるに任せて欲しいですよね。それが諸行無常というものですから。」
ようやく地蔵氏がやんごとなき身分に相応しいコメントを発した。

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帰りは日本航空で帯広から羽田へ

これでやるべきことは全て終わった。
天気も良く(むしろ良すぎたくらいだ)、予定以上の旅程をこなすことができた。
お互いの日頃の行いの良さを確認しあった。
11過ぎにひがし大雪自然ガイドセンターで解散となり、昨日と同じ道を通って帯広空港へ向かう。
帰り道はさすがに長く感じた。

搭乗するのは帯広15時15分発の日本航空574便羽田行き。
国内線でフルサービスキャリアは滅多に乗らないので、実は日本航空を利用するのは初めてである。
地蔵氏によると、日本航空のCAのサービスは全日空よりも優れているらしい。
実際に乗ってみると、機内のドリンクサービスが終わって紙コップを回収する度に、ベテランのCAが「ご利用ありがとうございます。」と笑顔で丁寧に応対していたのが印象的だった。
無料ドリンクのゴミを渡すだけでそこまで感謝されるのは個人的に違和感がないわけではないが、それも含めて日本式のホスピタリティというものなのだろう。

各々の自宅へは、羽田空港から品川駅まで地蔵氏と一緒だった。
混雑した京急線の電車に乗ると、「家畜運搬車」に収容された地蔵氏は途端に不機嫌になった。
(終)




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