十勝亜阿房列車①:旧広尾線の幸福駅と愛国駅で旅の景気づけ

旅行記

梅雨後半の日本の7月上旬は旅行に行きたくなる季節ではないが、梅雨がない北海道は例外である。
他の地域よりは涼しいし、何より湿度が低いのでカラッとしていて過ごしやすい。
そんなわけで2025年7月の第2週、私(185系)と元同僚で某寺院副住職の地蔵氏の二人は、2日間レンタカーで道東の大地十勝を巡った。
廃止された国鉄士幌線しほろ(帯広~十勝三俣)の関連設備を見たい私と、十勝平野の直線畑を車で運転したい地蔵氏の興味が嚙み合ったのだ。

本記事は第1回。
士幌線跡巡りの前座として、帯広駅から南に延びていた旧広尾線の幸福駅と愛国駅を訪れた。
なお「亜阿房列車」とは題しているものの、今回は実際に列車に乗るわけではなく、廃線跡や駅跡を訪れてかつて列車が走っていた姿を偲ぶのが目的である。

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空港から近い幸福駅

予約していた空港のレンタカー事務所で手続きを済ませ、いざ車に乗り込む。
私はアクセルとブレーキの場所すら覚えていないペーパードライバーだから、今日明日運転するのは専ら地蔵氏である。
普段はマニュアルのスポーツカーを乗り回している彼にとって、静かなHEVのオートマ車の手応えはいかにも物足りなさそうだった。

さて、今回の目的である士幌線は帯広駅から北に延びていた路線である。
一方で帯広駅より南の方角へは広尾線(帯広~広尾)という路線もあった。
つまり国鉄時代の帯広駅は道東における鉄道交通の要衝だったのである。
帯広空港は帯広駅より南側に位置し、広尾線の幸福駅と愛国駅という縁起が良く観光スポットにもなっている駅跡が近くにある。
ということを地蔵氏に説明し、まずはこれらの駅に寄ってもらうように頼んだ。

空港を出発してから10分も経たないうちに幸福駅に着いた。
かなり有名な観光地らしく大きな駐車場もある。
辺りには整然とした防風林と畑があるのみで、駅の雰囲気どころか駅を利用する集落すら見当たらない。

プラットホームにはオレンジ色の古いディーゼルカーが保存されていた。
外装は綺麗に塗られている。
しかし車内に入ると木造の床に色あせたボックスシート、天上には扇風機が並び窓の下には栓抜きもあって、まさに昭和の世界観である。
二人で席に座って、自分たちが生まれる直前に消えた鉄路に思いを馳せた。
「鈍重なエンジン音が聞こえてきませんか?」と尋ねると、地蔵氏は「流石ですね。」と言って笑った。

犬小屋を大きくしたような、実に簡素で微笑ましい木造の駅舎には、方々から来た人たちが隣の売店で買った記念切符を絵馬のように内にも外にも張り付けていた。
何となく結婚式場を思わせる鐘があって、気後れしながらもせっかくなので鳴らしてみた。
すると隣にいた地蔵氏がいきなり「せつ~」とか何とか、お経を唱え始めるではないか。
これも「職業病」なのだろうし、低くてよく響き渡る声ではあったのだが、さすがにこの場には相応しくないので止めてもらった。

幸福駅から国道236号を通って愛国駅を目指す。
ちなみに幸福駅と愛国駅の間には、大正というこれまたおめでたい名前の駅があった。
路線バスの停留所名を見ると「大正20号」といった、開拓した土地らしい大雑把なものだった。

真っ直ぐに延びている道の両側にはトウモロコシや蕎麦、そしてほうれん草に似たビート(砂糖の原料)の畑が一面に広がっている。
地蔵氏も「これならハンドルを持たなくてもよさそうですね」と感動している。
私が持参した国鉄時代の線路縦断面図を見せて、広尾線はカーブが非常に少なく、あったとしても緩いものばかりで、これほど「高速運転に適した」線形は全国の幹線でも東北本線くらいだということを説明した。

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駅跡の面影を感じる愛国駅

やがてちょっとした集落が現れると、そこが愛国駅の周辺だった。
小さな商店の向こうにオレンジ色のよく目立つ屋根の駅舎が見えた。
ホームには蒸気機関車が停まっている。
駅舎内も自由に見学できて、昔の写真やタブレット閉塞機などが展示されていた。
また愛国駅は幸福駅よりも明らかに規模が大きかったことが、図面からも今の駅跡の姿からも分かる。
現在の駐車場辺りには貨物駅もあったようだ。
観光地化が進んでいる小さな幸福駅と比べると、愛国駅の方が昔の駅らしい雰囲気が感じられる。

広尾線の現役時代から「愛の国から幸福へ」というキャッチコピーと共に、愛国駅から幸福駅への切符が人気だったらしい。
「愛国」ではなく敢えて「愛の国」としたのはイデオロギー性を中立化するためだろうが、今現在の選挙(2025年7月の参院選)を見ていると、近いうちに「愛国」に戻されるのではないかと思えてくる。

国鉄時代の時刻表の路線図

愛国駅を後にして少し北へ走ると帯広市街地に入った。
市内を東西に貫く根室本線は高架化されていて、見渡す限りの直線畑の中から現れた人口15万人の帯広市が都会のように思えてくる。
帯広駅の隣、柏林台駅の高架下を潜り抜けてナビを続けた。
「地蔵さん、ここを真っすぐです。これで広尾線から士幌線に乗り換えましたよ。

次回は士幌線跡巡りの前半。
士幌駅跡を経由して上士幌町鉄道資料館のある糠平ぬかびら駅跡へと北上する。


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