【信越亜阿房列車】特急「あずさ」と「しなの」を乗り継いで東京から長野へ

旅行記

首都圏から長野へは北陸新幹線で1時間半程度で行くことができます。
しかし、敢えて在来線経由で、特急「あずさ」と「しなの」を塩尻駅または松本駅で乗り継ぐ行き方も、快適に車窓を楽しむことができるルートです。

今回は2023年2月上旬に同行者1名と共に、両列車で長野駅を目指しました。
当サイトの乗車記では、車窓や車両など一般的な情報を主にお伝えしていますが、本記事は「旅日記」要素の強いものになっています。

また、雰囲気を鑑み、以降は「である調」で執筆しています。

紫線が「あずさ」、オレンジ線が「しなの」乗車区間
国土地理院の地図を加工して利用
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新宿~塩尻の「あずさ5号」南小谷行き

新宿駅の南口に待ち合わせ時間10分前に着くと、既に地蔵氏はそこにいた。
この地蔵氏が本日の同行人である。
彼は会社の同僚で、歳は私とほぼ変わらない。
職場では地蔵のようにおとなしいのだが、プライベートで会って話をすると、実に雄弁で話題が尽きない。
ちなみに、彼も私に対して似たような印象を持っていたそうだった。

こちらで手配していた切符を手渡して改札に入り、私はビールを用意する。
地蔵氏は私以上に酒飲みだが、塩尻に着くまで飲まないなどといい子ぶっている。
暖かい車内に入ってホッと一息。
8時ちょうどの「あずさ5号」南小谷行きは時刻通りゆったりと出発した。

中央線の車窓は全体的に左側が良い。
走り出してすぐ、高層ビル群の中から我々の勤務する建物が見えてきた。
「○○(上司の名前)さーん、今日もお仕事お疲れ様です!」とビールを開栓した勢いそのままに私が叫び、二人揃って「いい眺めですな。」とうっとりしながら白い無機質な細長い直方体に見入っている。

多数の通勤電車(地蔵氏曰く「人間用貨物列車」)とすれ違う。
三鷹駅で複々線区間が終わり、中央総武線電車の車庫を通り過ぎると、朝ラッシュ時間帯のため1編成以外は出払っていた。
「あの電車は羨ましい。他の皆が働いとんのに自分だけ休んでますね。」
「うちらも同じようなもんですよ。」

高尾駅を通過すると、車窓が一変して山岳地帯になる。
それまでとのギャップもあって、いよいよ旅が始まったなと思わせる景色である。
「あずさ」のE353系は初代「スーパーあずさ」車両と同様、カーブで車体を内側に傾けて高速で通過できるが、揺れが大きかった先代と違って乗り心地が良い。
私が持参した線路縦断面図をストイックに読んでいると、「道楽者ですねぇ。」と感心される。
否、呆れていたのかもしれない。
もっとも、彼とて首都圏に住んでいながら赤いスポーツカーを所有して乗り回しているのだから、相当な道楽者である。
そんなわけで、「あの山は何だろう?」とどちらかが言うと、私は通過した駅名をもとに、地蔵氏は交錯したハイウェイの情報をもとに推測する。

大月駅も通過して、長い笹子トンネルを通る。
「以前事故があった時は、この辺を車で通るのは怖かったですよ。」
「貴方でも車を運転して怖いなんて思うんですか?」
「そりゃそうですよ。まあ、ネズミ捕りほどではありませんが。」
そうこうしているうちに、視界がパッと開けて甲府盆地が視界に広がる。
ここが中央本線の第一ハイライト(新宿の高層ビルも車窓ハイライトに含めると「第二」)である。
もちろん昼間の景色もいいが、夜の景色も灯りが立体的な地形を映し出して心にしみる。
葡萄畑を見ながら地蔵氏が「早くワインが飲みたい」と切実に呟く。

甲府駅に到着。
八王子駅以来の停車駅である。
予想した通り、乗客が半分程度にまで減った。
背広・ワイシャツ姿の人は下車、ラフな格好で大きな荷物を持った人は車内にとどまっている。

韮崎駅にらさきを過ぎると甲府盆地は尽きて、再び高度を上げていく。
高原風の景色を右左に走るうち、後方に今更ながら富士山の山頂が見えた。
小淵沢駅こぶちざわに停車。
昨年、地蔵氏ら4名でここから小海線に乗ったことがある。

「小淵沢駅までが山梨県で、次は長野県の信濃境駅。駅名はええもんですね。さらにその次の富士見駅が中央本線の最高地点(955M)です。」
昨年小海線に乗って日本鉄道最高地点を通った瞬間、ディーゼルカーのエンジン音が変わったのが、車を運転する地蔵氏には印象的だったらしい。

小淵沢駅から見る八ヶ岳

果たして富士見駅を通過したものの、特急電車では速いし静かなので、今回はサミット通過の感慨があまりなかった。
下りに転じて少しずつ人里が増えて来る。
「こういう田舎らしい景色は長閑ですね。いつか白川郷とかも行ってみたいんですよ。」
と地蔵氏。
「はい。自然の中に人間の営みがあるのが尊いですよね。だから私に言わせれば、千葉県浦安市になんぼヴェネチアに似せた街並みを造ろうが、あれは美しくないんです。そこに人は住んでませんから。」

やがて茅野駅ちのに停車。
ここから沿線人口が多くなるのだが、あろうことか中央本線はこの先暫くの間複線から単線になってしまう。
「単線だと列車の行き違いが必要ですから、この辺りでダイヤが遅れが発生すると特急がその遅れを引きずって来て、首都圏の中央線のダイヤが乱れるんです。おかげで私は遅延証明書という免罪符を手に入れるわけですよ。」
「たしかに××さんなんかいつも遅れて出社しますよね。」
「きっと××さんは遅延証明書の定期券を持ってはるんでしょう。」

しかし、冗談にならぬことが起こった。
上諏訪駅に進入する際に列車が非常ブレーキをかけて停まってしまった。
駅手前の踏切で人身事故に遭ったのだ。
車内放送は、早期運転再開を期待しないようにと遠回しに伝えている。
後ろの方の車両に乗っているが、ちょうど我々がいるのがホーム端である。
乗り降りはできないので、この駅から(まで)利用する「あずさ5号」の乗客はさぞかし気の毒だ。

やがて聞きなれない車内放送が始まった。
「負傷者を搬送するので、恐れ入りますがブラインドを下げていただくようお願いします。」
私は前に読んだ本を思い出した。
「まるで戦争中みたいですね。軍事施設を通過する時の。」
「ああ、ロシアならやりそうですね。」
このご時世、よく彼に5年前のロシア・ウクライナ・ベラルーシ旅行の話をするのだが、まともに興味を持って聞いてくれる数少ない人物である。
「いや、日本も戦時中そうしてたんですよ。山陽本線では瀬戸内海の軍港や造船所を通る時、えばった車掌が鎧戸を降ろすよう指示していたんです。」

どうしようもない乗客たちの間を車内販売のワゴンが巡っていく。
たくさん用意されていた缶ビールが随分と減っていた。
私は「あずさ」限定のサラミを買って、2本目のビールを開けた。
地蔵氏にも勧めたが、誘惑するなと断固拒絶された。
あまりの退屈さに、後ろの席にいた子供が通路からこちらを見ている。
「まだビールは早いんちゃうか?」
と言うと、母親が「すみません」と謝る。

運転再開予定時刻を過ぎたが、まだ動かない。
どうやら先頭部が凹んだので、修理する人を待っているらしい。
この後乗り換える「しなの」も、帰りの新幹線も自由席なので、それほど予定が狂うわけではないが、それよりも気がかりなのは地蔵氏の様子である。
もうすぐ我慢していた酒が飲めるはずだったのに、1時間半も待たされた挙句、意味の分かりかねる言葉を発している。

結局1時間45分遅れで運転再開した。
2時間以上遅れると特急料金が払い戻しになるのだが、まあだいたいこんなもんだろう。
「ほう。上諏訪は旅館が多くて、意外と栄えてますね。」
「あずさ」と共に地蔵氏も蘇ったようで安心した。

諏訪湖のほとりを走り、岡谷駅からは長大トンネルを抜けて塩尻駅へ。
駅の前で中央西線が合流してくる地点は、なかなか壮大で感動する瞬間である。
やれやれといった面持ちで駅を出た。

「あずさ」から見る諏訪湖
高架線になって家に視界を邪魔されない岡谷駅付近が見所
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塩尻駅で「しなの」に乗り換え

塩尻駅からは約1時間後に出発する「しなの」で長野まで行くことにした。
駅前に地ワインが飲めるカフェがあった。
「ちょうどええ。ここにしよか?」
「本当ですか?」
地蔵氏は形だけの抵抗を見せるが、本心は嬉しそうだった。
私は国際品種のメルローを、地蔵氏は地場品種のベーリーAと生ハムを注文した。
さすが軽めのワインに合うものを分かっている。

左手が中央東線(東京方面)、右手が中央西線(名古屋方面)

2杯目も終わるころにそろそろ時間となり、12時55分発「しなの9号」長野行きに乗車。
「しなの」もカーブを高速で走行できる振り子式車両の383系だが、こちらは少し古い。
性能は新型車両並みかそれ以上だが、細かい揺れは目立つ。
路線上は塩尻駅から松本駅を経て篠ノ井駅までが篠ノ井線、そこから長野駅までは信越本線を行く。

松本駅からしばらくは大糸線と並行して、安曇野の盆地と北アルプスを左手にして北上する。
「向こうの方を大糸線が並行して走っているんです。あっちはローカル線で駅が多くて速度がだいぶ違うから、ミステリーの時刻表トリックにでも使えませんかね?」
「ほう。そっちの方面にも造詣が深いんですね。」
もちろん軽い思い付きに過ぎない。

明科駅あかしなからは盆地を離れて上り勾配となる。
積雪が目立つようになった山間部に粗末な建物が点在して、高原の寒村といった風情だ。
「しなの」は意に介することなく走り、長い下りトンネルに突入する。
私は地蔵氏をつついて、左側から右側の席に移った。
下りの途中にある姨捨駅おばすて付近は右手に善光寺平や千曲川を見渡す区間があり、日本三大車窓の一つに数えられている。

まもなく車内放送が私の説明を繰り返した。
ちなみに、残りの二つだが、一つは線路切り替えにより廃線、もう一つも災害で長期運休(復旧の見込みたたず)だから、現状は列車から景色が見えるのはここだけである。
この日の天気はまずまずであったが、屈曲する千曲川に沿って集落が広がる善光寺平は、雪が残っている山裾の線路とは対照的な表情だった。
お互い「ふむ。」とだけ言って景色に見入っていた。

山越えは終わった。
終着までもう少しの所、犀川を渡っているところで私は思い出した。
「さっき通過した駅が、あの川中島ですよ」
「古戦場もあっけなく過ぎてしまいましたね。まあ、昨年甲府で武田信玄像に挨拶しましたし。」
14時ごろ、当初の予定より1時間遅れで長野駅に到着した。

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長野駅に到着

もちろん長野に用事など無いので、駅ビルで蕎麦を食べて帰ろうということになった。
地蔵氏は蕎麦屋で飲む酒が一番好きらしいから、前から蕎麦を食いに行こうとは話していたが、何かのきっかけで私の「長野は蕎麦はもちろん、地酒・地ビール・地ワインなんでもありまっせ」という一言で今回の不要不急の旅が決まったのだった。
天ぷらそばの他に、鴨肉や野沢菜漬けも頼んだ。
ビールの後に私は日本酒、地蔵氏はそば焼酎を飲んでいる。

帰りは15時24分発の「あさま622号」に大宮まで乗る。
発車間際に乗り込んだが、始発なので自由席でも座れた。
これまでだいぶ酒を飲んできたが、最後の宴会ということでワイン・ビールにつまみを駅の土産物屋で調達し、もはや何回目か分からぬ乾杯をする。
1時間半の乗車時間の間にこれらを平らげ、いろいろ話をしたがその内容までは正直覚えていない。
武蔵野線の某駅で別れた。

どぶろくは地蔵氏の自分用土産

翌日。
私は生気を欠いた状態で出勤した。
本来いるはずの地蔵氏の姿はそこになかった。








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